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薬学と私

第85回
薬学の底力に気づいていない君たちへ

株式会社クボタ 社外取締役
荒金久美 氏

はじめに

 私は大分県別府市で地元に一つしかない普通高校を出て、東京に出て来ました。鹿児島実業高校の定岡正二投手が甲子園で大活躍をして、ドラフト会議で読売ジャイアンツから1位指名を受けて入団した年です。家族や親戚に薬学部を卒業したヒトは一人もおらず、医療や製薬・研究関係の仕事についているヒトも一人もいませんでした。薬学部という学部の存在を知ったのは、高校の一つ上の素敵な先輩が京都大学の薬学部に進学したということを知った時ですから、何ともお粗末な状況です。
 両親とも教師で、父は中学の理科の先生でしたが、「勉強しろ」とか、「〇〇大学に行け」とか言われたことは一度もなく、子供の進路には無頓着だったようです。中学時代、私がいた中学はとても荒れていたんですが、当時父はそのことにはまったく気が付かず、のちに自分が校長としてその中学に赴任してからその惨状を知り、「あんた、よく不良にならなかったなぁ」と感心してくれました。そんな父でしたが、小学生の頃の理科の夏休みの宿題だけは熱心に手伝ってくれました。小学校5年生の時は、「海岸植物の植生調査」と題した、海辺からの距離と繁殖している植物の背の高さ、根の長さ、水分を抱える力(乾燥減量)の関係を調べるという壮大なテーマで、とても小学生が夏休みの宿題でやるようなテーマじゃありません。同級生は夏休みに食べた果物の種を紙に張り付けるだけで済ましていたのに、こちらは何日も海岸に通い、採取した植物を家の屋上に干して秤で重量変化を計測したり、発表用の画用紙の書き方がへたくそだとさんざん書き直させられたりと、夏休みのかなりの時間を費やすことになってしまいました。
 しかし、振り返って考えると、この時の経験が、観察・考察・洞察・真理の探究みたいなアプローチの面白さを意識するようになった原点であったようにも思います。

解剖実習を「はまぐり」で乗り切って、薬学部へ

 東京大学理科2類から薬学部に進学したのには、ちょっとした理由がありました。それは昔から血を見るのが苦手で、手術や交通事故などの話を聞くだけで気分が悪くなって貧血を起こすことも度々あり、とても医学部や動物実験がある学部は務まらないと思ったからでした。駒場時代の動物実験の解剖は先生が私だけハマグリの解剖に変更してくださって、何とか乗り切りました。薬学部ですから、もちろん動物実験は避けて通れませんが、研究室は化学系の研究室に行こうと心に決めていました。
 薬学部では薬に関する専門知識に限らず、創薬や生命科学研究に関する幅広い基盤技術、過去の歴史から最先端の知識にまで触れることができ、自分の軸となる技術的基盤を作ることができたと思います。4年生で廣部雅昭教授が主宰されていた薬品代謝化学教室に配属となり、有機化学的なアプローチで生命科学現象の解明を目指すという素晴らしい研究体験をしました。
 当時は未熟で気が付きませんでしたが、最も貴重で価値ある学びは、答えがない未知のものにアプローチしていく時の姿勢と意気込み、戦略や方策と言ったものではなかったかと思います。

なんで化粧品会社なんかに入ったの?

 薬学の同級生のほとんどが薬学系のアカデミックポストや公的機関、製薬会社へ就職する中で、私は当時小林コーセーという名前だった化粧品会社に入りました。製薬会社はその頃はまだ封建的な風土が強かったので、化粧品業界ならば女性でも活躍できる道があるかもしれないと思ったからです。化粧品会社では当然のことながら薬の専門知識ではなく、幅広いテーマや課題への洞察力と適応力が期待されていたのだと思います。しかし、私自身なかなかそれに気づけず、化粧品業界を選んだことが良かったのかどうか悩んだ時期もありましたが、気持ちを切り替えて、会社が成長していくために自分に何が期待されているかを考えながら真摯に仕事に取り組みました。会社での仕事をまとめて廣部雅昭教授、長野哲雄教授のご指導のもとでドクターを取ることもできました。

 私には、薬学との関係性を考えるうえで忘れられない出来事が2つあります。
 1つは、ドクターを取って間もないころ、化粧品業界の研究者としてある学会のシンポジウムの打ち合わせをしていた時でした。シンポジウムの演者をお願いした先生は某大学の薬学部の教授で、シンポジウムの趣旨や構成をご説明し、化粧品の重要性にも大変理解を示してくださった後の和気あいあいの懇談会の場で、私にこう耳打ちしたのです。「荒金さん、あなたせっかく廣部先生のところを出ていながらよりによってなんで化粧品会社なんかに入ったんですか?化粧品会社じゃ、全く役に立たないでしょ。」
 化粧品の学会に呼ばれてきてくださる先生ですらこういう認識ですから、薬学から見れば化粧品業界は遠く異分野の世界にしか見えていないことを改めて突きつけられた気がしました。
 また、東大コミュニティのための会報誌「赤門学友会報」というのがあるのをご存じの方もいらっしゃるかと思います。2009年のことですが、ある日自宅の留守電に「卒業生インタビュー」に出ていただきたいというメッセージが入っていました。こちらから連絡したところ、「ぜひ」とおっしゃるので、「薬学部出身の方にはもっとふさわしい方がたくさんいらっしゃるでしょうに、私でよろしいんでしょうか?」とお尋ねしたときのお答えがすごかったです。
 「薬学部を出られて大学の教授や製薬会社に勤めて偉くなっている方は、まとも過ぎてこのシリーズでは面白くないんですよ。我々はその学部を出たにもかかわらず、全く違った道、変わった道に進まれた方にお願いしたいんです。」ということでした。私はどうも薬学部を出て化粧品会社に入った変わったヤツということで選ばれたようでした。

薬学の底力を示すことができるのは、薬学部出身者だけ

 この2つの出来事で感じたことは、世間がいかに薬学部の進路を固定的に捉えているかということです。「薬」という文字が入ってはいますが、薬学部は薬の専門知識を学ぶだけの学部ではなく、幅広い領域で渇望されている「イノベーションの創出」に必要な基礎体力を身につけることができるところです。
 ぜひ活躍できる領域を広く捉えて、多くの薬学部出身者が様々な分野で社会課題の解決とイノベーション創出の為に、大きな役割を果たしてほしいと心から願っています。社会で薬学の底力を示すことができるのは、薬学部出身者だけなのですから。
 私は現在化粧品会社を卒業して、クボタと戸田建設の社外取締役をやらせていただいています。先の先生にお会いしたら、きっとまた「あなたねぇ、せっかく廣部先生のところを出ていながらどうしてまた農機メーカーやゼネコンなんかで仕事しているんですか?薬学部を出た意味がないじゃないですか。」とおしかりを受けるかもしれませんね。