menu

日本薬学会沿革

創立から2000年

 明治13年(1880年)、日本薬学会は我が国では最も古い学会の一つとして誕生しました。ドイツで近代化学、薬学を学んで帰国した長井長義氏は、東京大学で化学および薬学の教授に就任し、エフェドリンの発見をはじめとする世界的業績を挙げました。氏は初代薬学会会頭として就任し、「薬品を可及的速やかに人体に吸収されやすい形に変えること、生薬の有効成分を明らかにすること、化学合成技術を駆使して薬品を創製することを以て、世界に日本薬学を雄飛させよ」と会員の決意をうながし、以来40余年にわたり会頭として学会の発展に尽くされました。学術誌として、学会創立の翌年(1881年)には早くも「YAKUGAKU ZASSHI」(薬学雑誌)が、1965年には機関誌である「ファルマシア」が創刊されました。
 また、地域ごとの活動も活発に行われており、1950年代には支部が設立され、現在では北海道、東北、関東、東海、北陸、関西、中国四国、九州(2019年より九州山口)の8つの支部があります。各支部では、学術集会や講習会の開催をはじめ、地域の薬剤師会との交流、優れた若手研究者や学生の発表に対する表彰や独自のイベント、高校生への薬学ガイダンスなどの事業を行っています。

 本学会は数々の世界的な研究業績、国際化の潮流の中で、世界で求められている画期的な新薬の創製、医療社会における薬剤師の役割などの期待に応えるべく、創立以来さまざまな新規事業を計画し、実施しています。
 1990年には新しい医薬創製を積極的に推進する支援部門として「医薬化学部会」が誕生し、1991年には長井長義氏ゆかりの地に立つ殿堂として長井記念館が落成、1992年には国際純正・応用化学連合(IUPAC)の関連する組織としてアジア医薬化学連合(AFMC)が本学会の企画で発足しました。1995年には国際薬学連合(FIP)に正式加盟し、国際的な連携が進みました。薬学教育においては1994年に厚生省の薬剤師国家試験の出題基準が改善され、試験の半数が医療薬学分野に関連するものとなり、研究においても薬学会年会での医療薬学分野の発表が数字を伸ばしました。

長井記念館薬学資料室

 1990年代は社会主義体制の崩壊、湾岸戦争、国内ではバブル崩壊、阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件など、社会の不安感が一層高まった時代でもありましたが、20世紀最後の年に白川英樹氏がノーベル化学賞を受賞されたことは、日本社会ならびに科学界に希望を与えました。




2001年から2010年

 21世紀を迎え、本学会は薬学研究のさらなる発展を目指して専門部会制を発足させ、2009年までに「医薬化学部会」「化学系薬学部会」「物理系薬学部会」「生物系薬学部会」「環境・衛生部会」「医療薬科学部会」「構造活性相関部会」「レギュラトリーサイエンス部会」「薬学教育部会」「生薬天然物部会」「薬理系薬学部会」の11部会が誕生しました。各部会は学術活動を通して、薬学研究の発展のみならず大学院生や若手研究者の支援と育成に努めています。さらに、2010年には薬学研究の展望を示す「薬学の展望とロードマップ」を発行しました。
 薬学教育においては、2004年に学校教育法が改正され、2006年から6年制薬学教育が導入されました。この新しい薬学教育基盤の要となる「薬学教育モデル・コアカリキュラム」および「薬学教育実務実習・卒業実習カリキュラム」の策定にあたり、本学会は主導的な役割を果たしました。さらに、このカリキュラムを普及し実行を目指し、その教科本の作成や、薬学教育協議会、日本薬剤師会、日本病院薬剤師会などの協力を得て、薬学教育に関わる様々なワークショップを支援・開催しました。また、薬学に深く関連することとして、2004年に、旧厚生省の「医薬品副作用被害救済・研究振興財団」および「医薬品副作用被害救済基金」を統合する形で、独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMDA)が設立されました。これにより、医薬品や医療機器の承認審査、安全対策、健康被害救済などの業務が一元的に行われるようになりました。この時期、薬学に関係の深い分野でのノーベル賞の受賞として、2001年から2010年までの10年間に野依良治氏、田中耕一氏、下村脩氏、鈴木章氏、根岸英一氏が化学賞を受賞し、日本の科学界において朗報となりました。

2011年から2020年

 2011年3月に東日本大震災が発生し、大きな被害を受けました。そのため第131年会は誌上開催となり、被災した学生会員に対して支援事業を開始しました。また2011年度は6年制薬学教育の完成年度であり、2012年には6年制課程の卒業生による初めての薬剤師国家試験が実施されました。また、2013年に本学会は、文部科学省「薬学教育モデル・コアカリキュラム改訂に関する専門研究委員会」に改訂案を提示しました。これは「薬学教育モデル・コアカリキュラム(平成25年度改訂版)」としてまとめられ、2015年度入学生からこれに基づく教育が行われました。また、2015年には、大学院生が研究に専念できる環境を整備するため、「長井記念薬学研究奨励支援事業」をスタートさせました。
 21世紀に入り本学会や薬学を取り巻く環境にも大きな変化がありました。2014年には薬事法が改正されて「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律(薬機法)」が施行されました。さらに2015年には医療分野の研究開発業務を一体的に実行する日本医療研究開発機構(AMED)が設立されました。
 薬学関連の研究では、2012 年に山中伸弥氏がノーベル生理学・医学賞を受賞してから、2015年に大村智氏、2016年に大隅良典氏、2018年に本庶佑氏と生理学・医学賞が続き、日本の科学力のレベルの高さを示しました。
 2019年末に新型コロナウイルスの感染が初めて確認され、その後、世界的な感染拡大を受け、第141、142年会はオンライン開催、143年会はハイブリッド開催となりました。その後2023年にCOVID19が5類へ移行したことを受け、144年会でようやく対面のみでの開催が可能となりました。この間、本学会は新型コロナウイルスに対するワクチンやその治療に関するシンポジウム等の企画を多数実施しました。これにより、新型コロナウイルスに対するワクチン開発や医薬品の創成を含む研究の進展に寄与するとともに、科学的根拠に基づく事実の普及にも大きく貢献しました。
 学会誌として「YAKUGAKU ZASSHI」に引き続いて、いくつかの学術誌の発刊を経て、2012年には「Chemical and Pharmaceutical Bulletin(以下CPB)」、「Biological and Pharmaceutical Bulletin(以下BPB)」とあわせて3誌体制となりました。さらに2018年には生物系オープンジャーナルとして新たにBPB reportsが発刊され、2020年からはCPB、BPBのNews Letterをメールマガジンとして配信しています。

2021年以降

 2022年2月から、CPB、BPBは冊子体から電子ジャーナルへと移行しました。刊行物としては「THE創薬-少資源国家"にっぽん"の生きる道-」を刊行し、創薬を通じて「科学技術創造立国」を目指す道標を示すとともに、将来の薬学を担う若手に向けた薬学紹介の小冊子「高校生のための薬学への招待」「これから薬学をはじめるあなたに」の全面改訂を行いました。
 我が国の博士課程への進学者や博士の学位取得者の減少が問題となるなか、2022年に「学位(博士)取得者のキャリアデザインに関するワークショップ」、2023年に学部学生の研究マインドを高めることを目的とした第1回シン・全国学生ワークショップ「研究マインドを活かすキャリアについて博士を取得した先輩と共に考えよう」を開催しました。女性研究者の支援についても、2021年にキャリアアップならびに研究活動の支援を進めるために「女性薬学研究者奨励賞」を新設しました。
 2023年には「薬」をキーワードとした学術団体を統合した、我が国初の連合体「日本薬系学会連合」を発足しました。これは広範な専門性を有する薬系学会の相互交流と連携を図り、薬と健康に関する科学及び技術の研究を促進することにより、わが国の薬学の水準を向上させ、医療および健康増進に貢献することを目指しています。
また、会員増強の取り組みとして、2023年からシニア会員・終身会員と学生ジュニア会員を新たに設け、幅広い年代に向けた情報提供と交流の機会を提供しています。国際連携活動については、その方針を再検討し、FIPを退会する一方、これまでのドイツ薬学会等との交流に加えて、アジアの国々との連携と交流に力を注いでいます。
 薬学教育については、2022年に医学部や歯学部と連携し、カリキュラムの見直しが進められました。本学会も薬学教育モデル・コアカリキュラムの改訂に積極的に関与し、2024年度入学生から新しいコアカリキュラム(令和4年度改訂版)に基づく教育が始まりました。
 約30名でスタートした本学会も、現在では15,000名を超える個人会員と約200の団体・企業の賛助会員を擁し、活動の幅も大きく広がり、薬学研究、教育、社会貢献、国際連携など多岐にわたる取り組みを通じて、次世代の薬学を担う人材の育成や、医療と健康の向上に寄与し続けていきます。