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薬学と私

第81回
基礎と臨床の融合を目指して/アカデミック薬剤師ができること

千葉大学医学部附属病院薬剤部
石井伊都子 先生

 私が薬学部を選んだ理由は、薬を作って人類に貢献したいとか臨床の現場で患者さんを救いたい等の立派な思いではありませんでした。単純に理系思考であったことと、薬学であればなんとなく潰しが効くくらいの軽い気持ちでした。ただ、これも全くの軽い気持ちですが研究は楽しそうだと感じていたことと、何かを黙々とやることは好きでした。親戚を含め医療関係者がいるわけでもなく、高校の先生からは女性は資格を取れる学部がいいのでは?とさして根拠の無いアドバイスをもらったくらいでした。

 私の出身大学は千葉大学です。1年生の時に薬学基礎科目の有機化学、物理化学、生化学が始まり、全てを化学的な解釈で理解することに私は驚きましたが、自分の思考回路に適していたためか自然に受け止めました。その後、専門応用科目を修学しましたが、当時の卒業要件に薬局や病院での臨床実習が含まれていませんでしたので、在学中は臨床現場に立たずして卒業してしまいました。私は全学の体育会スキー部に所属していたこともあり、冬休みや春休みは部活に明け暮れていましたので、自主的に長期休暇中に臨床実習を入れるなど滅相もないことでした。先生方からしてみれば優等生女子揃いの本学において、私はちょっと外れた存在だったかもしれません。

 卒業研究は一生懸命に取り組みました。以前の同窓会で「この課題は自分しか解決する人がいないんだと思い込んで実験してたよね」などと談笑したことを思い出しましたが、そんな毎日でした。単純に、自分で何かを構築していくのがとても楽しかったという思いもあります。一方、テストはほぼ一夜漬けで体力勝負であり、ポジティブに表現すればアスリート気分でやっていたように思います。さてさて、こんな私ですが、特に紆余曲折せぬまま、卒業の翌年に学生として所属していた生化学研究室の教務職員になってしまいました。私は大学院修士課程の進学を予定していたのですが(その証拠に合格発表のお祝いで池に落とされてます)、たまたま一つポジションがあき、当時の教授の廣瀬聖雄先生に2日後に返事を頂戴と言われてNoともいえず、そのまま決まってしまいました。今から思うとなんと緩い時代だったのでしょう。なお、1秒も薬剤師体験をしたことない当時の私にとって、就職先の選択肢に薬剤師は微塵もありませんでした。

 学生でいる大学と教職員としている大学では見える景色が違いました。研究をするには資金が必要ですし、研究室の運営にもかかわらなければなりません。その上、廣瀬先生には、「自分の色を出す研究を見つけなさい。」と、今考えてみると分を超えた命題が出されました。そこで、薬学部に足りない部分を自分の研究にしようと思い、何故か私は薬学部と製薬会社を比べてしまいました。若さゆえの無鉄砲さと無知の絡まって勝手に得た結論は「製薬会社は世に薬が出せるけど、薬学部は全部の研究室が協力しても薬が出せない」と。かなり視野の狭い頃の話であり、短絡的な思考の上ですのでご笑納いただればと思いますが、当時の私にとっては結構大きなショックでした。その裏付けとして、卒業生は研究室を訪ねて近況報告をしてくださることは多々あったのですが、創薬のために訪ねて行く先は医学部の先生方でした。

 生化学の領域で当時の千葉大学薬学部に無いことは、培養細胞への治療効果を評価する細胞治療学という考え方でした。また、製薬会社へ就職した先輩や同級生が常に医師に意見を求めていることを理解したくなり、医学部の先生方にもご指導を受けたいと考え始めました。ちょっと病気になって大学病院で治療したことがきっかけで、当時第2内科講師でいらっしゃいました齋藤 康先生(千葉大学前学長)や助手の白井厚治(東邦大学名誉教授)のグループと動脈硬化の発症機序について共同研究を始めることになりました。共同といっても、私が一方的に沢山のことを教えていただいたにすぎません。患者さんのニーズは何なのか、それを解決するために何をしたらいいのか、そのためにはどんな方法が適しているのかなど、実験セミナーでも常に「患者さんために」という言葉が飛び交っていたのが印象的でした。このころから私はかなり患者さん、つまり臨床を意識しながら研究をする習慣がついてきたと思います。留学先のNIHでも、ラボの長であるHoward S Kruth 先生は医師でしたので、彼の実体験した臨床の話をよくしていただきました。

 廣瀬先生は1996年に退職されたため、当時の薬剤部教授・薬剤部長の北田光一先生の病院薬学研究室に移ることになりました。その理由の一つに薬剤部と一体型の研究室でワークすることで薬剤師としての臨床を垣間見ることができるのではないかという素朴かつ短絡的な考えからでした。医師の先生方には沢山ご教示いただきまたが、薬学の感覚とは何か違うとも感じていました。2003年に助教授になったタイミングで薬剤部研修をさせていただきました。まだ、外来患者の調剤に追われ、病棟業務が走り出したばかりの頃です。厚生労働省より「モノからヒトへ」と言われる原因になるような業務のあり方でした。しかし、薬に包まれるようにして過ごす時間は、それはそれで楽しかったのです。根本的にモノが好きなのでしょう。その上、北田先生はよく「患者さんが一番の先生」と話ししてくださいました。分かったような分からないような、そんな状態でしたが、私はそのまま北田先生の後を継ぎました。側から見たら大きな展開のように見えるかもしれませんが、私にとっては至極自然な流れでした。

 2012年より現職を務めていますが、ジェネリック医薬品への切り替えやバイオ医薬品の承認数の急増、それに即したようにバイオシミラーへの切り替えなど生化学研究室で学んだ知識を利活用しています。また、当院は処方箋への臨床検査値の表記を早くから開始し、処方箋の鑑査業務を薬物治療のマネジメント業務へと展開させてきました。実際の患者さんで、医療安全を守り薬物治療の効果が向上できたという報告を受けると、単純に嬉しいです。ようやく「患者さんのために」が実現し始めたのかとも実感します。振り返ってみると、基礎的トレーニングの上に臨床の展開がある、基礎と臨床は切り離せないと改めて感じます。つまり新しい薬剤師の臨床を開拓するには基礎への深い理解が必要であり、また、常に基礎力のアップデートは必須です。昨今、基礎と臨床を切り離して考えることが多いように感じます。両者が補完しあってこそ医療が発展してきたのです。

 薬学という学問はどのように発展していったら患者さんに役立ち、その先に健康な社会が守られていくのか。大学病院にいる薬剤師(勝手にアカデミック薬剤師と呼びます)として、基礎と臨床の融合を目指し、ひいては創薬に発展させたいと思います。