menu

薬学と私

第78回
臨床における薬学の展開 - 医療への貢献を目指して

東京大学名誉教授
伊賀立二 先生

 薬学とは「医療に貢献する学問」であると考えます。創薬への貢献と、臨床における薬の専門家としての貢献です。

薬学部での23年 - より多くの研究成果を求めて

 1965年教養学部から薬学部へ進学した当時の薬学部は、医学部薬学科から薬学部として誕生したばかりの新しい学部でした。3年次の講義で、薬品分析化学の南原利夫先生が、「医と薬は車の両輪である」と話されたのが今でも鮮明に記憶に残っています。しかし、現実の薬学部は創薬志向が強く、医療に関する講義や実習などはほとんどありませんでした。
 4年次の卒業研究は薬学部の中で臨床に一番近い製剤学教室(現分子薬物動態学教室)を選びました。製剤学教室の初代教授 野上 壽 先生は、東大病院の薬局長を長く務められ、また薬局(現薬剤部)は製剤学教室誕生の地でもありました。このような経緯から、当時は教室と薬局の交流は盛んでした。また、教室には、製薬企業の研究室からの研究生も多数在籍されており、他の教室とはかなり雰囲気に違いがありました。
 1967年に大学院に進学し、一貫して薬物肝移行動態の速度論的研究に取り組み、博士課程を終え助手として研究指導にあたることとなりました。1976年に米国カンサス大学メディカルセンターに留学し、薬物肝臓移行動態の研究を続けました。ここでは、研究の進め方のみならず、いかに早く論文としてまとめるかを学びました。帰国後は、講師、助教授として教育、研究指導に力を注ぎ、研究成果は海外でも評価を得ることができました。しかしながら、臨床との距離はかなり遠くなり、臨床を目指した初心を改めて思い起こす日が多くなった頃、当時、医学部附属病院薬剤部長の中川冨士雄先生から薬剤部へ来ないかとのお話しを頂きました。一年後には退官されることから後任の薬剤部長候補としてのお誘いでした。
 1988年12月に薬剤部へ助教授として転任し、1990年4月に、教授・薬剤部長として臨床への薬学の展開を目指すこととなりました。

医薬品の適正使用への貢献

 患者本位の医療における医薬品の適正使用への貢献は、薬の専門家として薬剤師の最重要課題です。
 1994年7月に新外来棟が完成し、処方オーダリングシステムが導入されました。これを機に、A4紙の右半分に処方せんを、左半分に処方内容を記載した処方医のカルテ用と患者用のタッグ方式の「処方カード」をプリントしました。
 複数の医療施設受診時の処方情報の交換は、重複投与や薬物間相互作用の回避のために不可欠の要件です。このためには患者自身が薬歴を一元管理することが必須で、そのためのツールとして、東大病院では「お薬手帳」を発案しました。「処方カード」を時系列で貼付するとともに、他施設からの処方情報も記載しており、受診時に医師に提示すること、ならびに処方せんを持参する薬局でも提示することを啓発しました。
 1997年の医薬品相互作用に起因するソリブジン事件を受けて設置された厚生省の医薬品適正使用推進方策検討会で「お薬手帳」による取組みを紹介し、その後、厚生科学研究班での検討を経て、診療報酬上でも「お薬手帳」が評価され、全国的に普及が進みました。今日では、薬局では「お薬手帳」を提示することになっており、医師にも「お薬手帳」が浸透しており、長年に亘りその普及に力を注いだことが報われたことを嬉しく思っております。
 医薬品 (Medicine) は 薬物(Drug)に情報(Information)が付加されたものであり、医薬品の適正使用には医薬品情報が必須です。医師へは、警告や緊急安全性情報をリアルタイムで知らせるための赤紙の速報紙「薬品情報ニュース」を必要時に、また、「臨床医のためのくすりの時間」(冊子)と「医薬品情報ニュース」を定期的に発行し情報提供に力を注ぎました。患者さんへは、重篤な副作用や相互作用に注意が必要な薬剤が処方された場合には、重篤な副作用の初期症状や、飲み合わせに注意する必要のある薬剤などを記載した「お薬説明カード」を「処方カード」と一緒に渡し、服薬指導時に「お薬手帳」に貼るように伝えました。今では、薬局でのこれらの情報提供は診療報酬上でも評価され義務化されています。

チーム医療への貢献

 1990年当時は薬剤師が病棟へ出向くことは皆無であり、入院患者の調剤薬は入院調剤室から搬送システムで病棟へ送られ、注射薬は病棟ごとに箱渡しでした。病棟での医薬品の管理や注射薬の調製は看護師が担当していました。
 1993年に胸部外科で注射薬の処方せんによる調剤をスタートさせ、1998年には全科対応となりました。その後、オーダリングシステムの稼働により、処方監査を充実させ、患者ごとの注射薬と輸液のセット渡しとバーコード管理を実現し、医療事故の防止をはかりました。これら病棟業務の展開により、医薬品管理の適正化と看護師業務の軽減に寄与し、注射薬による医療事故の防止に大きく貢献いたしました。
 入院患者への服薬指導を中心とした薬剤管理指導業務は、注射薬のセット渡しの進展に合わせ、外科病棟から開始し、全科へ展開しました。各科ごとに担当薬剤師を決め、カンファランスや回診への参加、リアルタイムでの医薬品情報の提供などチーム医療の一員としての病棟活動を展開しました。
 2001年の新病棟開院後は、薬剤師が病棟に不可欠な存在となるべく、特にリスクの高い集中治療室(ICU)、冠疾患治療室(CCU)、高度治療室(HCU)への薬剤師の常駐化を行い、無菌病棟や血液腫瘍内科病棟へは定時に出向き、注射薬の混合業務や医療スタッフへの情報提供、在庫医薬品の管理など、顔の見える薬剤師としてチーム医療への貢献に力を注ぎました。
 今では、薬剤師の病棟配置が診療報酬上でも評価され、病棟での薬剤師の業務内容も大きく変化しました。しかしながら、まだ患者さんからの信頼は必ずしも十分ではありません。患者さんに寄り添うことにより患者さんからの信頼を深め、医師、看護師と共にチーム医療に不可欠な存在として、薬剤師のさらなる活躍を期待いたします。

次世代の薬学へ

 薬学が創薬はもとより臨床に貢献する学問としての基盤を強化し、医療に貢献するとともに、豊かな発想力を持ち、限界へ挑戦できる人材を育成することにより、次世代に対応できる薬学へと進化することを願っております。