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薬学と私

第73回
薬学と厚生労働行政 -厚生労働省の行政実務に必要な薬学-

厚生労働省 医薬・生活衛生局
医薬安全対策課長
中井 清人 氏

薬学:「モノ」からヒトの健康を考える学問

 私は、薬学という学問を、単に医薬品を創る・使うといった薬に関することを学ぶ学問とは思っていません。むしろ、医薬品、医療機器、再生医療製品や食品などの、いわゆる「モノ」からヒトの健康を考える学問だと思っています。

 この薬学という学問の医療現場における重要性は、医薬品による疾病の克服や健康の増進だけではありません。病院の薬剤師が病棟において薬学の知識を持って業務を行った場合について、医師の負担軽減にかかるアンケートの結果を見ると、薬剤師が病棟で患者さんに薬物療法のマネージングを行うことが、多忙な医師の負担軽減だけではなく、医療の質の向上にも大きく影響を及ぼしていることがわかります。私の弟は、勤務医ですが、通常勤務から当直に入り、次の日にそのまま通常の勤務に入っており、よく体が持つなぁと思っています。しかし、このアンケートの結果からは、当直翌日の勤務への配慮よりも薬剤師が病棟で業務を行うことが医師の負担軽減に効果があるという結果になっています。この調査結果は、複数回にわたって調査が行われており、すべて同様の結果でした。正直なところ、なぜ、これほどに評価が高いのか、その理由がわかりませんでした。しかし、まだ、想像の段階ではありますが、薬学という「モノ」からヒトの健康を考える学問のニーズが医療現場において強かったのではないかと思っています。
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 本コラムでは、薬学という学問を通じて、厚生労働省というところで行政実務を担いながら、薬学がどのように応用されて、社会に役立っているかを紹介したいと思います。

 私は、薬学部を卒業し、大学院で研究を行いながら公務員試験を受け、偶然にも合格することが出来て、大学院を中退して旧厚生省に入省しました。

行政実務での薬学

 最初は、麻薬課というところで麻薬や向精神薬などの許認可業務を行い、その後、科学技術庁などで研究開発進行業務を経験し、血液やワクチンの安定供給や医薬品、医療機器、再生医療製品などの承認審査、薬価や調剤報酬などの医療保険、薬学教育などの業務を担当して参りました。現在は、医薬安全対策課というところで、医薬品、医療機器、再生医療などの市販後の安全対策を担当しております。この間、約30年間に渡り、医薬品、医療機器、再生医療製品、体外診断用医薬品などの英語で言うと、Therapeutic Goodsとでも言うのか、いわゆる健康に関連する製品の業務に一貫して携わってきました。

 国の行政機関で勤める役人は、2~3年の周期で異動を繰り返して、様々な業務を経験していきます。私はその中で、全く異なる業務ではあるものの、薬学という「モノ」からヒトの健康を考える学問をベースとして行政実務を担い、企画立案機能を担ってきたと考えています。時には、最先端の科学技術の知識が求められます。私のようなぐうたらな人間は最先端の科学技術のフォローを全くしておらず、何度も何度も面くらいましたけども、その都度、表面をなぞる程度ですが、学び直して対応し、業務に活用するように努めて参りました。この最先端の科学技術を厚生労働行政に応用する際には、「モノ」がヒトの健康に影響を与えることに留意することが必須であり、薬学というベースが大きな支えになってきたと感じています。

 国の省庁の業務というと、国会対応などで、連日深夜まで残って仕事をしているというイメージが強いかと思います。実際に私もそのような生活を送ってきたことも事実ではありますが、国家公務員だからこそできた経験も多々あります。その中でも、私の人生に最も大きく影響を与えてくれた米国での経験を紹介したいと思います。

 私は、人事院の短期在外研修制度というプログラムで、約半年の間、米国のワシントンD.C.に滞在して、米国の省庁に通いながら、米国の薬剤師活動にかかる調査研究をする機会にも恵まれました。渡米の前に、医療機器の規制の国際調和の仕事をしていたことも有り、米国のFDAという省庁に少なからず友人がおり、それらの友人の支え・誘いによって、アメリカンフットボールやバスケットの観戦、クリスチャンの家庭でのクリスマスや本場のハロウイーンパーティなど、なかなか日本では経験できないこともエンジョイできました。また、当時は、今のようにスカイプが普及していたわけではありませんが、嫁、母親、そして兄貴に、マイクロソフトのメッセンジャーというソフトを用いて、日本で何度も練習をして、その練習の甲斐があって、米国から毎日、1時間以上、家族と連絡を取っていました。当時は、娘が小学生で息子が幼稚園でしたが、日本にいるときよりもずっと長く話が出来たことを記憶しています。また、約1ヶ月以上も家族が渡米し、日本での生活では考えられないほど、家族と一緒の生活をすることが出来ました。米国での生活という、東京とは異なり、時間にあくせくしないというか、自然にも恵まれた環境において、私の人生において、最も充実して楽しかった日々だと今でも、懐かしく思う日々であります。

 また、私生活の充実だけではなく、調査研究についても、英語での論文を二つ、日本語で3つほどまとめることが出来ました。その調査の過程においては、米国での薬剤師の活躍がどういった根拠に基づいた活動であるかなど、私なりに、薬学における興味を持った成果を出すことが出来ました。

薬学の広がりを実感

 今、薬学は、「モノ」からヒトの健康を考える学問として、大きく変化していると感じます。これまでは、有機化学を中心とした創薬としての役割が大きく強調されてきましたが、薬学教育6年生の導入なども有り、臨床領域での学問が大きく広がってきていると感じます。また、それに併せて、学問の幅が大きく広がり、これまでは試験管を振るようなウェットな研究が中心でしたが、公衆衛生や経済学のような試験官を振らないドライな研究にも広がってきていると感じます。

 私は、卒業後、働きながら、大学の研究室に在籍させていただき、ご指導いただける恩師にも恵まれて、約10年かかりましたが、薬学博士の学位を取ることが出来ました。当時、ドライな研究での学位取得はまだ珍しかったわけですが、今や、その広がりは目を見張るものがあります。私も学位取得後、細々とではありますが、継続して論文執筆活動をしています。

 これらの作業の中で、薬学は、「モノ」からヒトの健康を考える学問として、大きく広がっているように感じます。私は、行政経験としてでしか薬学の経験を話すことは出来ませんが、少なくとも行政経験として、薬学という学問をベースとした思考は、極めてユニークで有り、且つ重要であることを、自信を持って主張することが出来ると思います。是非、現在、薬学に少しでも興味をお持ちの方々には、自信を持って勧めたいと思います。「モノ」からヒトの健康を考える薬学という学問を、医学とは異なった切り口で、これからも、広げていき、幅広い方々と切磋琢磨していけることを希望します。