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薬学と私

第72回
薬学から始まった想定外のキャリア

株式会社INCJ
ベンチャー・グロース投資グループ
健康・医療チームディレクター
澤邉 岳彦 氏

■現在の私

 私はINCJという主に政府が出資する株式会社産業革新投資機構の子会社で働いています。INCJは、日本の産業の発展を目指して様々な会社の株式発行を引き受けて投資をしてきました。「投資」である以上、収益を求めています。つまり投資先には投資を基に成長していただき、引き受けた株式を引き受けた時以上の高い株価で将来売却することを目指しています(うまくいかないこともありますが)。
 私はそのような投資先の中でも主に創薬バイオベンチャーと呼ばれる新しい医薬品の開発を目指すベンチャー企業への投資を担当し、投資した後にそれらベンチャー企業が成功できるよう支援をしています。しかし、私は高校生の時にも、大学生の時にも、大学院を卒業して就職したときにも、今のような仕事をしようとは少しも考えていませんでした、というよりはそんな仕事があるとは知りませんでした。

■高校生の時に目指していたことと薬学部への進学

 私は高校生の時に素粒子物理学とか原子核物理学とか、そんなことを勉強したいと考え、東京大学理科一類に入学しました。見えない世界を見ようとすることにとても興味を持っていました(今でも持っています)。
 しかし、いざ大学の教養課程で学び始めると、物理への興味は弱くなりました。それは周りにとても優秀な人がいて敵わないと勝手に思い込んでしまったことが関係していたように思います。
 同じころ、同級生から「分子生物学の講義はおもしろいらしい」と聞き、私も受けてみました。確かにおもしろい。見えない世界を見ようとする学問はこんなところにもあったのかと思い、生き物を相手にする薬学部への興味がわいてきました。「薬学部に進学すると、製薬会社で研究職ができるのではないか」という下心まで芽生え、3年生から薬学部に進学しました。
 薬学部では多様な講義・実習が受けられました。薬学というのは「薬」という産業分野の名前を冠していて、医薬品産業の基礎となる多様な学問の集合体だと私は考えています。「薬」に関わる仕事をしている限り、それら多様な学問の延長線上の考えに接する機会が多々あり、そのような話をする上で薬学部で学んだ多様な知識は、たとえ浅い理解だったとしても、大変役立っています。

■研究職

 4年生、大学院と私は化学系の教室に在籍しました。それは当時教授であった首藤先生の「新しい薬を創ろう」という言葉が響いたことと、「製薬会社で医薬化学の研究職に就きやすいのではないか」という実に浅はかな下心による選択でした。
 とはいえ実際に大学院で新しい薬を創ることはできませんでした。
 それどころか、大学院修士課程を卒業して、医薬品兼業メーカーに入社して、念願かなって製薬会社の研究職に就いても、結局新しい薬を創ることはできませんでした。
 創れなかった自分の実力は棚に上げて、「研究の成否はテーマ設定したところで大方決まっているのではないか?誤ったテーマ設定ではどうやっても成功に至らないのではないか」という考えを持つようになりました。

■本社勤務

 「ではどうやってテーマ設定すればいいのか?」などということを偉そうに上司との面接で話していたら、本社に異動になり、社外に提携先を探す事業開発と呼ばれる仕事を命じられました。ここで初めて創薬バイオベンチャーに接する機会を得て、多くの人に助けられながら実際に提携契約の締結まで辿り着けたことは貴重な経験でした。
 同時期に「どうやってテーマ設定すればいいのか?」という解を求めてグロービス経営大学院に入学しました。企業経営を学ぶ学校で、仕事をしながら学ぶ社会人が集っている学校ですが、医薬品以外の産業で働く人と学び、意見を交えることは実に新鮮で楽しい時間でした。またベンチャー企業経営や投資についてもなんとなく学ぶことができました。

■医療機器

 グロービス経営大学院を卒業し、事業開発の仕事で提携契約の締結を経験すると、医薬品以外の産業で働いてみたいとか、医療を考えるのに薬のことだけ考えていても視野が狭い、という考えが湧いてきました。そんな時に縁あって外資系医療機器企業で働く機会を得ることができました。
 医療機器は医療の中のお隣の産業くらいに考えていましたが、これは実に甘い考えで、内科の世界ばかり見て外科の世界に目を向けなかった自分を情けなく思いました。医療機器企業には結局1年半しかいなかったのですが、その間にわずかながらも医療機器業界や外科の世界を知ることができたのはやはり貴重な経験です。

■投資の世界へ

 見えない世界を見ようとする医薬品・薬学の世界が恋しくなった私は、外資系製薬企業に転職しました。しかし、このころには世界的大企業がベンチャー企業を買収して新しい医療技術を取り込むのを目の当たりにして、新しい薬を創るならベンチャーだ、いつかは自分も創薬バイオベンチャーで新しい薬の開発に関わりたい、と思っていました。そんなときに現在働いているINCJ(当時・産業革新機構)に転職して創薬バイオベンチャーへの投資に関わるお話をいただきました。「創薬バイオベンチャーで投資されるのならば、投資する側を理解するのはいい経験だ」と思ってINCJに入社し、現在に至っています。

■今目指していること

 以前と変わらず「新しい薬を創りたい」と思い続けていますが、投資の仕事をしているうちに別の考えも芽生えてきました。それは「自分の子供の世代に、日本で研究を職業とする人が今より増えているようにするために、自分に何ができるだろうか」という考えです。
 研究にはお金が必要です。また、残念ながら結果が生み出せない研究もあれば、ほとんどの人には意義が理解できない研究もあります。そのような研究も含めて研究を職業にする人が増えるには、研究にお金を回すだけの十分な経済的余裕が社会に必要です。そのためには今までの研究成果やこれからの研究成果を基に世界で収益を得る必要があると私は考えています。そんな考えもあって、今は世界を目指す創薬バイオベンチャーへの投資と投資後の支援に携わっています。

■将来の私

 本稿を書いている時点で私は44歳です。あと20年は働くし、もしかしたら30年働くかもしれません。学生の時に今の自分を想像できなかったように、今の私に20年後の自分を想像することはできません。5年後すらわかりません。今のように創薬バイオベンチャーへの投資を続けているかもしれませんし、自分でやった方がいいと言って創薬バイオベンチャーにいるかもしれません。もしかしたら全然違うことをしているかもしれません。  四十がらみであちこち転職している私にも、まだまだ可能性は十分にあると信じています。まして、本稿の主たる読者の学生の方々には途方もない可能性がある!目の前にある機会を掴んで、次の機会を探し続けていっていただきたいと思います。もし縁あって薬学の道に入って、一緒に仕事をする機会があれば、ぜひよろしくお願いします!