薬学と私

第70回抗PD-1モノクローナル抗体ニボルマブの研究開発に携わって

小野薬品工業株式会社
研究本部 オンコロジー研究センター
部次長 吉田 隆雄 氏

はじめに

 京都大学の本庶佑特別教授が、「免疫チェックポイント阻害因子の発見とがん治療への応用」の功績により、2018年のノーベル生理学・医学賞を受賞されたことは、みなさんご存知のことと思います。私は、幸運にもこの免疫チェックポイント阻害の仕組みを利用した抗PD-1モノクローナル抗体「ニボルマブ」の研究開発に携わることができました。本庶特別教授のノーベル賞受賞に貢献できたことはもとより、ニボルマブによって救われたがん患者さんの話を耳にできることは、研究者冥利に尽きます。ここでは、薬学を学び、そしてニボルマブの研究に関わってきた中で、私が体験してきたことをお伝えします。

薬学を志すまで

 小さい頃から電化製品の分解などが大好きで、中学生になるとラジオなどの電気工作をやりだすようになり、アマチュア無線の免許も取りました。しかし、高校に入り生物学を学ぶにつれ、機械よりも生き物の方がはるかに複雑であることを知り、どんどん生物学が好きになっていきました。ただこの頃は、生物の研究に関係する仕事ができればいいなと思うだけでした。その後3年生になり、進路指導の先生から「お前のやりたいことを聞いていると、薬学部に進学すべきじゃないか」と助言を頂いたのが、薬学部に進学したきっかけです。大学での教養課程の授業は退屈でしたが、薬学専門課程の授業はどれも刺激的で、次第に最前列で講義を受けるようになっていました。ここで初めて、薬学部が自分にはあっていたんだと気がつきました。実際、薬づくりに必要な学問をトータルで勉強できたことが、現在の仕事にとても役に立っています。

企業研究者としてのスタート、そして本庶特別教授との出会い

 大学院のとき、このまま大学に残って研究を続けるよりも製薬会社で薬の研究をしたいと思うようになりました。小野薬品に入社後すぐに配属になった部署では、京都大学の本庶特別教授と米国企業と小野薬品の3者の共同研究で、新しい遺伝子を見つけるという仕事に取り組んでいました。私もその一員となって、遺伝子の機能を探る研究を行っていましたが、ある日、上司から本庶特別教授の研究室で発見されたPD-1のことを知らされました。PD-1の遺伝子を人工的になくした動物は、自分の体を免疫細胞が攻撃してしまう自己免疫疾患になることがわかり、PD-1は免疫細胞の暴走を防ぐブレーキの役割をしているのではないかということでした。そこで、本庶特別教授とPD-1に関する共同研究を行うこととなり、私もそれに関わるようになりました。そのうち本庶特別教授が、がん細胞もPD-1の仕組みを使って免疫細胞にブレーキをかけ、免疫細胞の攻撃から逃れているのではないかとのアイデアを思いつかれました。実際にPD-1が働かないようにした動物では、がんが大きくならないことがわかりました。

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アイデアを医薬品にすること

 本庶特別教授のアイデアを薬にするには、抗体という遺伝子工学を応用したバイオテクノロジー医薬品を創るのが一番良い方法でした。しかし、当時の小野薬品では、抗体を用いて医薬品を製造した経験も製造する施設もなく、協力してくれる会社を探す必要がありました。そこで、社内のさまざまな部署を通じて、国内外の製薬会社に声をかけてもらいましたが、相手をしてくれる会社は現れません。というのも、それまでに試みられたがん免疫療法(免疫細胞を活性化させることで、がん細胞を攻撃する治療法)がことごとく失敗に終わり、それと同じように思われてしまったからです。諦めかけたときに、アメリカのベンチャー企業であるメダレックス社(その後、ブリストル・マイヤーズ スクイブ社が買収)が話に乗ってくれました。このメダレックス社と共同研究することで、ようやくニボルマブのもととなる抗体をつくることができました。私は、このニボルマブ研究のプロジェクトリーダーとなり、メダレックス社や社内のメンバーとともに、ニボルマブをヒトに投与する前に必要な実験(前臨床試験)を行いました。私だけではなく小野薬品にとっても初めてのことばかりで、戸惑いと悩みの連続の日々でした。

ニボルマブの研究開発を通じて学んだこと

 薬の候補を、薬として国に認めてもらうためには、患者さんに薬の候補を投与して、有効性と安全性を確認する試験(治験)を実施する必要があります。そこで、社内の臨床開発の担当者と共に医療機関を訪問して、ニボルマブの治験への協力依頼をしましたが、前述のようにがん免疫療法の一つであるニボルマブには、誰も取り合ってくれません。それでもあきらめずに、これまでのがん免疫療法と全く違うメカニズムの薬剤であることを粘り強く説明した結果、なんとか治験を開始して頂くことができました。一人のがん患者さんが、この治験に参加されたときのことです。その患者さんのがんは、メラノーマ(悪性黒色腫)という、がんの中でも最も悪性度の高いがんでした。普段からおなかが苦しく食事も満足に食べられないとのことでしたが、ニボルマブを投与すると食事がとれるようになったそうです。その後、検査をしてみると全身に転移していたがんが消えていることも確認できました。担当されていた主治医の先生から、元気になって諦めていた夢に挑戦でき、大変に喜んでおられたと聞きました。このような話を耳にして、臨床開発の担当者と、一日でも早く患者さんのためにニボルマブを薬として認めてもらえるよう頑張ろうと誓いました。

次の目標

 その後に実施した治験でも良好な結果が得られ、ニボルマブは抗PD-1抗体として世界に先駆けて日本で最初に、メラノーマに対する薬としての承認を頂きました。その後、肺がんや腎臓がん、胃がんなどにも有効であることがわかり、それらに対する薬としての承認も頂きました。しかし、ニボルマブが効果を示す患者さんは限られており、すべての癌の患者さんに効く訳ではないことがわかってきました。そこで、ニボルマブを投与する前に効果を予想できる方法を開発することや、ニボルマブが効かない患者さんにも効く新たながんの薬をつくることが、私の次の目標です。次の目標は決して簡単に達成できるものではありませんが、難題に直面したときには、先に記載した患者さんのことを思い出すようにしています。そうすると、少々の困難なら乗り越えられそうに思えてきます。

薬学を志すみなさんへ

 私が薬学を志したのは、生き物の複雑な仕組みを理解したいということがきっかけです。まさか私が、ノーベル賞に関係する仕事をすることなど予想もしていませんでした。しかし、このような貴重な体験を経て、今は一人でも多くのがん患者さんのためになる新たな薬を創りたいという気持ちでいっぱいです。みなさんも、薬学に限らずいろんなことに興味を持ち、「なぜ?」という気持ちを持ち続けていってください。そうすれば、自分がやりたいことに必ず出会えるはずです。私の体験談が、皆さんの今後の進路を考える上での一助になれば幸いです。