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薬学と私

第64回
創薬研究を経て病院薬剤師に転身した自分を振り返る

社会医療法人全仁会 倉敷平成病院
薬剤部 部長
市川大介 先生

 岡山大学薬学部修士課程を卒業後、万有製薬(現MSD製薬)で、約10年間、新薬研究に携わりました。その後、病院薬剤師に転身して11年が経ち、今は薬剤部長として充実した日々にやりがいを感じながら過ごしています。薬剤部長の経歴としては異色かもしれませんが、製薬会社での経験は、「薬」に対する科学的な見方、目標に向かう論理的な戦略、企業における管理職者の姿勢などを知ることができた貴重な機会でもあり、今の仕事における自分の糧となっています。製薬会社などでの研究を経て薬剤師として御活躍されている方も少なくないかと思いますが、今の薬学6年制の仕組みでは、研究者から薬剤師になるのは大変難しくなっています。薬学卒業生でも、4年制に進んで研究者になれば国家試験を受験する資格は無く、薬剤師になるには6年制薬学部に再入学しなければなりません。一方、6年制薬学生は国家資格取得が第一で、研究の道に進む卒業生は少ないように思います。薬剤師にも多様な経験や考え方があってもよいと思うのですが、4年制と6年制とで卒業後の選択肢が狭められてしまっている今の仕組みが、私には少し残念に感じられます。

岡山大学薬学部での薬学研究との出会い

 私は高校を卒業するまで鳥取県中部の羽合町(現 湯梨浜町)で過ごしました。薬学部進学のため、雪の多い山陰から岡山に来た私には、冬になっても雪がほとんど積もらない「晴れの国」の天候の良さに驚きました。薬学部では1年目から授業が忙しかった記憶がありますが、多くの友人との出会いに恵まれ、とても充実した大学生活でした。4年生の研究室配属時からは「微生物薬品化学教室」に進み、研究室の名前からは想像できませんが、マウスやラットの脳神経初代培養細胞に薬物などの刺激を行い、遺伝子発現を足掛かりにした分子生物学的手法で、記憶学習や神経機能のメカニズムを明らかにするという研究テーマに取り組みました。薬学部4年目と修士課程との3年間、素晴らしい恩師や同僚に出会い、研究成果は簡単には出ませんでしたが、研究の楽しさと、研究に向きあう厳しい姿勢を学び、多くの有意義な研鑽を積む機会に恵まれました。卒業後は、研究しながら新薬を作り出して社会貢献したいと考え、製薬会社の研究所に就職しました。

万有製薬(現MSD製薬)つくば研究所での新薬研究

 万有製薬つくば研究所では、約10年間、念願の新薬研究に携わることができました。科学技術の進歩により新薬研究にかける時間は徐々に短縮され、時間と戦いながら、新しい薬を世に誕生させることと向き合う日々でした。苦労して開発した多くの新薬の種が、安全性試験や臨床試験の過程、あるいはその前段階で、日の目を見ることなく消えていく実態を目の当たりにし、新薬研究の難しさを痛感しました。それでも、万有製薬では、世界初の受容体拮抗薬を見つけたプロジェクトに関わるという縁に恵まれました。私が関わった「ORL1」は、もともと内因性リガンドが不明なオーファン受容体でしたが、ノシセプチンが内因性リガンドとして同定され、痛覚過敏反応という他のオピオイドとは相反する作用を有することがわかり、新薬に繋がる標的分子として研究が進められました。メルクグループの膨大な化合物ライブラリーから見つかった候補化合物をもとに開発された低分子化合物は、世界初の選択的ORL1受容体拮抗薬として発表されました。私はプロジェクトの一員として、より優れた生化学的プロファイルを有する低分子化合物について、主に生化学的手法を用いて評価する業務に携わりました。薬理試験、薬物動態試験、安全性試験などでの評価、異なる基本骨格を有する低分子化合物の開発なども進みましたが、残念ながら、新薬として世の中に出るには至りませんでした。でもその過程で、実際に薬を創る研究者が、どのような倫理観で、どのような点に配慮しながら研究を進めているのかを学び、多角的な視点から情報収集をして試行錯誤する大切さも経験しました。体力的にも精神的にも厳しい時期もありましたが、多くの上司や先輩、友人に支えられた貴重な日々は、冒頭でも述べたように、今の仕事における自分の糧となっています。万有製薬で働いて10年目、家族が病気に罹りました。一緒に医療機関を受診して治療を進めていく中で、薬剤師であるにもかかわらず、あまりにも薬のことを知らない自分に愕然とし、自分の人生を見つめ直す機会に遭遇しました。臨床薬学を学んで自分の周りにいる大切な人たちに寄り添えるスキルを身につけたいという思いが強くなり、大学時代に過ごした岡山へと戻り、医療現場での仕事に挑戦することにしました。

薬を創る立場から、医療現場で使う立場に

 臨床経験が無い35歳が医療現場に飛び込むのは大きな挑戦でした。先に現場で働いている年下の薬剤師よりも知識・経験が浅く、「今日の治療薬」を片手に、不安を抱えながら毎日を過ごしたことを思い出します。医師が出す基本的な処方パターンを覚えて、そこから、何が正しいのか、間違っているのかを自分なりに考えるよう努力しました。病院薬剤師の業務は、創薬研究に比べると単調な部分も多いですが、当時はすべてが新鮮で、臨床薬学の知識が身についていく楽しさを実感できました。大学や製薬会社での研究で積んだ経験は、臨床データの解釈、作用機序の理解など、「薬」の効果や副作用を科学的に理解するのにとても役立っていると感じます。また、日を追うごとに多様な業務に関わる機会が増え、幅広い人間関係が少しずつ構築でき、業務を進める上での視野も広がりました。病院薬剤師としての経験が10年を超え、より難易度の高い薬学的介入をする機会が増えてきました。治療に自分の意見が採用されても、治療上の不利益になっていないかと、不安になりながら経過をチェックすることも多々あります。重症例など生死に関わる部分への介入では不安もより強く、それでも、臨床症状が改善したり、副作用が軽い段階で治療を支援できたりした時は、病院薬剤師をしていて良かったと感じます。その度に、病態や疾患についての知識をもっと勉強し、自分のスキルをもっと高めたいと感じます。薬剤部長としてのマネジメントにおいては、看護や介護、医療行政、保険制度、電子カルテなどに対する、多角的な見識と情報力が重要だと感じますし、何よりも組織を発展的に運営するための人材育成やリクルート、部員のモチベーションをアップさせる工夫などが重要だと感じます。製薬会社という大企業で管理職者に求められる資質や考え方、組織運営など、自分にはその僅かしか理解できていないかもしれませんが、製薬会社で私が出会った当時の上司は、自分が思い描く管理職者の理想形として、良い部分を真似て実践するように心がけています。

薬学に興味をもつ皆さんへ

 現在の病院薬剤師はまだまだ給与水準が低く、やや敬遠されがちかもしれません。ただ、医師の指示のもとで忠実に働く下請け的な職業ではなく、医師と共同して薬物治療を進めていく上で欠かすことのできない重要な職業に変わってきています。医療現場でどのような治療が行われ、医師や他の職種とどのように関わって薬物治療に貢献できるのかを病院薬剤師として経験することは、薬剤師としてのスキルと経験値をアップできる貴重な機会だと感じます。そして、急性期医療の最前線で、幅広い薬物療法の知識を身につけて治療を支援することは、病院薬剤師の存在意義でもあり仕事のやりがいでもあると思います。また、バイオ医薬品、ジェネリック医薬品など、技術も進歩し、臨床で使われる薬の数や種類も増え、薬剤師がいなければ、すべての薬を適正に使うのは困難で、薬剤師の活躍の場は今後もさらに広がると信じています。私自身、病院薬剤師としての臨床経験・知識をより研鑽する努力をしたいと思いますし、次世代の病院薬剤師を育成していくことも重要な役割だと感じています。臨床薬学の知識や経験は、自分の周りにいる大切な人たちの生命にも貢献できるものです。このようなやりがいのある職業を、皆さんと一緒にできる日が来ることを楽しみにしています。