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薬学と私

第90回
薬学研究を新薬創出に繋げるためには

Vifor Pharma Management Ltd.
Regulatory Strategy Expert
田頭 大志 氏


 新薬開発はとても困難な事業です。一つの新薬に 10-15年で1-2.6 billion ドルかかると言われるほど時間とお金がかかり、候補品が薬になる確率は約3万分の1とその成功確度はとても低いです。製薬会社に勤務していても、自分の携わった品目が実際に市場に出た経験がないという人も少なくないのではないでしょうか。

 その新薬開発がさらに難しくなっており、製薬会社の研究所から創成された候補品がそのまま新薬承認にまで至るケースも年々少なくなっています。2015-2021に米国で承認された薬のうち、その起源が自社由来だったものは3割にも届きません。現在、多くの製薬会社は新薬候補品のパイプラインを拡充するために外部のリソースに頼っています。製薬会社同士のライセンスもありますが、医薬品開発を目的としたベンチャー企業、いわゆるバイオテックが新薬開発の大きな推進力になっています。欧州では約20%、米国ではほぼ半数の新薬がバイオテック起源のシーズから開発されていますが、日本のバイオテック起源の新薬は2%と、欧米と比較してその貢献度は極めて低いのが現状です。言い換えれば、日本発の新薬の数が減っています。

 その理由の一つは、日本には欧米ほどのベンチャーエコシステムが醸成されていないことが挙げられます。エコシステムとは、いわゆるヒト・モノ・カネが有機的に絡み合い価値を創出し続ける環境、と捉えることができます。例えば、創薬につながりそうな研究成果(モノ)を持っていたとします。エコシステムの中では、この研究成果を臨床試験につなげ承認申請までサポートできる人材、製剤開発のスペシャリスト、医薬品開発における特許戦略家、ベンチャーを運営する経営者等々、いわゆる(ヒト)にアクセスできます。また、開発の段階に合った投資家も存在し、ベンチャー運営、新薬開発に必要な資金(カネ)も調達できます。研究者、各領域の専門家、投資家がネットワークを形成しており、各々が相互に連携して、新薬創出に向けた道筋を作りやすい環境がエコシステムといえます。これまで日本のエコシステムが成長してこなかった理由はいくつかあると思いますが、日本では終身雇用が基本であったため各領域の専門家は基本的に会社に勤めており、ベンチャー企業を構成する専門家を調達することが難しい、また新薬事業はハイリスク・ハイリターンのため成功確度の低い事業に投資する機関が少ない、ことなど挙げられるかと思います。 

 自社で創成した候補品を自社で開発し自社で市場に届ける、すなわち日本オリジンの新薬を創出することが製薬会社に入社した際に描いていた姿でしたので、日本のこの現状に少し寂しい思いもあり、同時に海外のエコシステムを実際に目で見てみたいと思いました。そこで会社を辞め、英国にMBA取得のために留学しました。英国は創薬エコシステムが発展しており、MBAはその大学や現地のベンチャー企業と関りをもてるプログラムが豊富です。実際、留学先の大学発のベンチャー企業でインターンする機会も得ました。大学内のベンチャー起業サポートを受け、臨床神経科学の先生が立ち上げたベンチャーで、アルツハイマー病などの神経変性疾患の早期診断の技術を開発していました。当時の診断技術では診断された時点で治療を開始しても遅いと言われていたので、成功すれば患者さんに大きく貢献できる技術です。私がいた当初は数名の小さなチームでしたが、その後いくつかの資金調達も成功し、今では事業も会社もより大きくなっているようです。また、当時の目玉は、眼科領域の希少疾患に対する遺伝子治療を開発していたその大学発ベンチャーが大手製薬会社に数百億円で買われたニュースでした。大学発のベンチャーがベンチャーキャピタル(VC)から投資を受けて成長し、最終的に製薬会社と大型契約を結ぶ、まさにサクセスストリーの典型と言えるでしょう。ここで重要なポイントは、研究成果を事業化するサポート機能が大学内に備わっていること、その事業を成長させる投資を行う外部VCとネットワークがあること、そして買収やライセンスを目的とした企業がそういった事業を常に注視している状況にあること、これが創薬エコシステムの代表的な例と思います。画期的な研究成果があっても起業の仕方がわからない、起業したけど投資家からの資金調達・サポートが無ければ成長は不可能、成長したけど誰の目にも付かなければ更なる発展は見込めない等、どのピースも事業成功に不可欠で、それを実際に現地で感じることができた良い経験でした。

 ここまで新薬創出にはエコシステムが重要と書いてきました。忘れていただきたくないのは、最も重要なのは基礎研究による新しい発見です。何か新しい発見をする、ポジティブな研究成果を出すことも非常に長く険しい道のりですが、この発見がなければ何も生まれません。私は基礎研究から離れて久しいですが、現役の薬学生、これから薬学の世界に入る高校生には是非薬学研究の発展に貢献していただくことを期待しています。研究生活にいそしむ傍ら、研究成果を創薬に繋げることも頭の片隅に置いていただき、起業家や投資家とのネットワーキングに足を運んでみたり、製薬会社の事業開発の方に話を聞いてみるのもいいかもしれません。大学での基礎研究と新薬開発とのギャップを理解できたり、より多くの人と繋がれば自分の研究成果を事業化する際に大きな助けになるはずです。最近では、行政による認定制度の下、日本のVCやそのVCが出資するベンチャー企業を支援するなど、行政によるエコシステムの底上げへの動きが活発化していますので、日本発の創薬ベンチャーに皆さんが関わる機会も増えてくると予想します。

 英国に留学後はスイスで働いておりますが、スイスの大学発のベンチャーが製薬会社と大型のディールを締結したニュースを見ることがあります。日本でもそのようなケースが起こることを期待しますし、世界でも高水準の日本の生命科学分野の基礎研究がさらに発展し、創薬エコシステムが成熟していくことで日本から多くの新薬が生まれることを願っています。