薬学と私
第88回
薬学と私

田辺三菱製薬 代表取締役
日本製薬工業協会 会長
上野裕明 氏
初めに
今般、日本薬学会より同HPの薬学コラムへの寄稿を依頼され、今回、それをお受けする事とした。本コラムは「薬学と私」というタイトルであるが、私自身は薬学部の出身ではないが、"薬"を生み出す事に興味を抱き、創薬研究に携わる事をきっかけに長きに亘って「医薬品」というもの関わってきた。ついてはこの機会を利用して、何故"薬"に興味を頂き、そして今に至ったのかを振り返りながら"薬"と私の関係、そして将来への期待についてお話ししたい。
学生時代
愛知県の片田舎(愛知県半田市)に生まれた私は、自宅近くの市立の小学校、中学校に通い、高校も通学しやすい愛知県立の半田高等学校に入学した。そこでは初体験となる野球部に入部し、その後、高校生活の大部分を部活で過ごす日々が続いた。ただその先の大学進学の道が見えにくい中、大学進学を優先すべく、残念ながら途中で野球部を退部する決断をした。これは今でも後悔が残る想い出である。その後、一念発起して受験勉強に勤しみ、東京工業大学(現東京科学大学)を受験したわけだが、第一志望の電気電子関係ではなく第二志望の化学の学部に合格となった。ここが私の人生における化学への入り口であったかと今は思う。
東京工業大学入学後、高校時代に途中で野球を断念した後悔の念もあり、ここでも準硬式野球部に入部して野球部の部活が中心のキャンパスライフを過ごす事となった。従ってさして勉学に勤しむ毎日ではなく、特に春、秋のリーグ戦の時期は大学の前期、後期の試験時期と重なり、ろくな勉強もせずに試験に臨み(言い訳にはならないのだが)、試験成績も振るわなかった。当時、同大学では試験成績の優秀者は院試免除で大学院進学が認められる制度があったが、到底、それには及ばず、自分自身としては学部で就職する事を考えていた。
そのような中、4年生を前に、卒業研究を行う研究室を選ぶ時期になり「最後の1年くらいは勉学、研究に没頭しよう」と考え、その当時、研究生活が厳しいと言われていた有機合成化学を行っている化学工学科の辻二郎教授の研究室を選択した。そこで初めて本格的に有機合成化学を学ぶわけだが、それまで授業等で学んだ有機合成化学は殆ど身に付いておらず、一から学ぶ事となった。その中で、一番に感じた事は、有機合成化学の実験と言うものは自分で実験計画を立案し(勿論、先生方の指導に基づくものだが)、それを自分で実行し、そしてその結果は良くても悪くても自分に返ってくる。即ち、自分の考えや腕前が結果に直結し、それが非常に解り易く返ってくる。そこに大きな魅力を感じ、この分野を更に入り込みたいと思うようになり大学院進学を決心し、それまでの遅れを挽回すべく院試に備え猛勉強し、晴れて大学院進学を果たす事ができた。
大学院進学後の指導教官は当時の助手であった高橋孝志先生となり、そこから天然物の全合成研究に取り組んだ。そこではステロイド化合物の新しい全合成法の開拓研究であり、どのような新しい方法論でステロイド骨格と側鎖を組み上げていくかという研究で、これが自分と"薬"の最初の出会いであったと考える。その中で天然に存在する生理活性を有する化学物質を自分の手で作り上げる事の面白さに取りつかれた。
このような有機合成化学の研究を続けながら、将来は「化学によるモノつくり」によって社会の役に立つ仕事をしたいとの思いが募り始めた。そしていろいろ考えた挙句、新しい医薬品の創生に携わる仕事に就きたいという思いに繋がり、企業での創薬研究を志す事とり、先生たちからは博士課程に進学することも進められたが、修士課程修了後、産業界に踏み出すこととした。
企業での創薬研究時代
創薬研究を志して入社したのは兼業メーカーではあったが、当時医薬品事業を強化しようとしており、また私が大学院時代に研究したステロイド医薬の創薬研究をしていた当時の三菱化成工業(現在の三菱ケミカルグループの前身の会社の一つ)であった。当時は新入社員全員が3か月間の工場実習を経験し、その後それぞれの部署に割り当てられた。私は晴れて創薬研究に携われる横浜市青葉台の総合研究所に配属された。
研究所配属後の最初のテーマは新規の外用抗炎症ステロイド薬の探索研究であった。今でも多くのステロイド医薬(副腎皮質ホルモン誘導体)が外用抗炎症剤として使われているが、その当時から薬効がより強く副作用がより弱い新規の抗炎症ステロイドが求められており、その研究プロジェクトに途中から参画した。私が参画した時点では、プロジェクト全体で大きな課題に直面しており、ブレイクスルーが必要な状況に陥っていた。参画後、まだ創薬研究の経験も知識も十分でない私であったが、課題の原因を私なりに探ってみると、大学院時代に研究した合成法が活用できるのではないかと考え、それを提案したところ直ぐに受け入れられ実行に移した。
そして新入社員として創薬研究を始めてから6か月後に、自分のアイディアが奏功して自ら開発候補化合物を創製する事ができた。そしてその後の非臨床試験も順調に進捗して、その3年後には臨床試験が開始された。ただ、その臨床試験の結果は動物実験の結果がまるで反映されず、残念ながら間もなくその化合物の開発は終了となった。しかしこの間に経験した事は私のその後に大きな影響を与えた。まず大きかったのが研究から開発までに一連の流れを経験した事、そして社内の各部門の関係者や臨床医と関わり持てた事、そしてもう一つはこの結果をJMC(Journal of Medicinal Chemistry)に投稿できた事である(これがこの先の学位取得に繋がる)。
最初のプロジェクトが臨床入りする頃、次の新しいプロジェクトを立ち上げる事を上司から命じられ、その立上げに奔走した。今から考えれば入社3年目、しかも化学出身の研究員に新規プロジェクトの立上げを命ずる事などは想像できないが、その当時はその大胆さなどは解らずに、ひたすら関連分野の医学、生物関係の論文を読み、また学会にも参加して、そこで知った臨床医の先生にもコンタクトを取りヒアリングをした覚えがある。その経験がベースとなり、専門は有機合成化学ではあるが、臨床医の先生に接する事や医学系の文献を読む事のハードルは低くなった。そんな経験を通じて、実際に研究員として携わった8つの研究プロジェクト中、5つは自分の立ち上げたものであり、内3つが開発段階に入り、内2つが臨床入りした。その内、1つのプロジェクトは米国大手製薬企業に導出できたが、残念ながら承認取得には至らなかった。ただこの間、会社全体の部門とはほぼ接点ができ、また海外大手製薬企業と交流する機会を得たのも大きな経験となった。
米国Scripps研究所留学時代
ここで自分の研究者、もっと言えばケミストとしての一番大きなイベントを紹介したい。大学の研究室時代、常に海外の著名なケミスト、その研究室の動向が関心の的であった事もあり、その時からいつかは自分も海外に出て海外の研究者と共に研究に取り組む事を志向していた。それで入社してからは、当時の社内の研究留学制度による海外留学を希望していたが、まずはその前に学位取得が必要であった。そのために、会社での研究成果の論文や大学院時代の論文を併せ博士論文として出身の東京工業大学に提出し理学博士の学位を取得した。そしてその後、社内の審査をパスして研究留学の機会を得て、1992年11月より2年間、米国サンディエゴにあるScripps研究所のDept, of ChemistryのK. C. Nicolaou教授の研究室での天然物合成の研鑽を積むことになった。そこで与えられたテーマは抗がん剤Taxolの全合成研究であった。当時、Taxolは高い抗がん活性示す新しいメカニズムに抗がん剤として世界的に注目されていたが、一方で天然物であることから供給が限られており、その人工合成法、即ち全合成法の開発研究が当時の有機合成化学の世界では大きな研究テーマとなり、世界的に競争が激しくなっていた時期でもあった。当時、Nicolaou研究室は総勢50名程度の大所帯であり、その中でもTaxolの全合成チームは常時10名程度配置されていたが、チーム内でも激しい競争が繰り広げられ人の出入りが頻繁であった。そして自分もその中での競争に晒され、詳細は割愛するが、様々な苦労を経て何とか全合成を達成する事ができ、またその最終工程を担う大役を果たし、その結果をNature誌に掲載することができた。勿論、この成果はNicolaou先生はじめTaxolチーム全体の努力とそして幸運によるところが大きいが、その中で経験した米国での真の競争と協奏は何よりも貴重な代えがたい経験で、その後の自分を支える大きな糧となっている。
(その後、縁あって、2020年4月より田辺三菱製薬の経営を担うことになるが、その部分についてはまた別の場でお話ししたい)
おわりに(日本の創薬力強化に向けて)
私自身、2023年5月より、日本製薬工業協会、通称"製薬協"の会長を拝命している。製薬協は1968年に設立された研究開発志向型の製薬企業70社(2024年12月16日現在)が加盟する任意団体で、主な活動としては製薬産業活動としては製薬産業に共通する諸問題の解決や医薬人の理解を深めるための活動など、多面的な活動を展開している。
そのような活動を続けている中で最近の大きなトピックを紹介したい。COVID-19パンデミック時で問題となった日本発のワクチン、治療薬の開発の遅れや、新しいモダリティーでの日本発の新薬創出の遅れが言われている中で、ここに来て「日本の創薬力強化」に向けた政府内の議論が加速している。その中の最近の大きなイベントしては昨年の7月に開催された「創薬エコシステムサミット」であり、そこには岸田前首相も参加し、自ら講演し「日本を世界の人々に貢献できる「創薬の地」としていく。こうした方針を政府がコミットしていく」と言うお話をして頂いたことは私の頭に鮮明に残っている。私も長きに亘って製薬企業で研究開発関係の仕事をしているが、日本の総理大臣が「日本の創薬力」について語った事はこれまで聞いた事がなく、画期的な事だと認識している。そしてそのような中で、我々製薬企業や製薬協がどのように取り組むかが問われていると考える。
このように「日本の創薬力強化」が叫ばれている中、薬学の果たす役割は極めて大きいと考える。即ち、薬学とは私の理解では、化学、医学、生物学、物理学と言った基礎学問をベースに、いかに「薬」と言う社会的にも価値の高いものを生み出すのに必要な学問であると理解している。即ち基礎学問を理解して、「薬」を生み出すために必要な要素を組み合わせた実学なのではないかと考える。自分自身、大学で薬学部に所属した経験がない私がこのような事を申し述べる事は大変におこがましい事と重々承知しているが、長年の製薬企業での研究開発経験を踏まえて現在の認識はこのようなものである。
今改めて、日本の創薬力強化が叫ばれている中で、その一つの大きな課題として、日本のアカデミアの基礎的な発見やシーズをいかに実用化、即ち医薬品に結び付けるかという事が挙げられているが、この課題を克服するためにも、正に今「薬学」の出番であり、それに向けて薬学教育がより進化し、そしてそれを学ぶ若い人の将来の活躍を大いに期待している。