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活薬のひと

化学構造式に導かれる臨床医薬品化学への道

兵庫医科大学薬学部
臨床医薬品化学研究室
清水 忠 氏

はじめに

 私自身は、理学部化学科を卒業しているため、薬剤師免許を有していません。また、現在の所属大学に着任するまで、有機合成を中心とした研究に従事していたため、臨床で働く薬剤師をはじめとした医療者の方々と関わる機会は全くありませんでした。縁があり医療系大学の6年制薬学部の教員となる機会を得た際に、医薬品を志向した基礎研究を進めるだけでなく、薬剤師免許を有さない基礎系教員であっても、臨床薬剤師の養成に何らかの貢献をしたいと考えていました。

自身の活動に影響を与えた2つのワークショップ

 臨床貢献を模索していた私に大きな影響を与えたワークショップの1つが、2009年からタスクフォースとして運営に携わっている実務実習認定指導薬剤師養成ワークショップでした。2013年末にタスクフォースの集まりがあった際に、隠岐英之先生(滋賀県薬剤師会)から「薬剤師に対して化学構造式の楽しみ方を話して欲しい」とのお話を頂きました。
 もう1つのワークショップは、医薬品の添付文書やインタビューフォームに記載されるデータの基盤となる臨床試験論文の評価と活用の方法を学ぶStudent CASP Workshopでした。現行の薬学教育モデル・コアカリキュラムの医薬品情報の項目にはEvidence-based Medicine (EBM)が記載されていますが、2013年の段階では、一部の薬系大学でしか行われていませんでした。このStudent CASP Workshopを主宰されている高垣伸匡先生(のぶまさクリニック)より、薬学部で医薬品の科学的視点と臨床情報を繋げる教育を進めて欲しいとの激励を頂きました。
 この2つのワークショップにおける出会いによって、化学と臨床を繋ぐことへの意識が強まったように思います。

化学構造式の楽しさを薬剤師に思い出して貰おう!

 薬物療法のプロを育成する薬学部では、医薬品を様々な側面から学んでいます。その基盤の1つとなるのは、創薬化学者が創製した化学構造式を読み解くための有機化学であり、薬学部のカリキュラムにおいても、多くの時間が割かれています。しかし、臨床の現場では、大学時代に学習した有機化学の知識は、ほとんど活かせていないのではないかという声もあります。
 そこで、化学構造式を基盤として医薬品の薬理活性・薬物動態の特徴、臨床研究データを繋ぐ統合的な内容の医薬品化学教育を始めました。敢えて、電子の流れを示す巻矢印を極力使わず、1) 化学構造式の類似性からの薬理作用や交叉反応が生じる可能性の理解、2) 医薬品の化学構造式中の極性官能基の割合、キレート形成、油水分配係数からの薬物動態や製剤特性の理解、3) エステルや反応性の高い官能基の特性に基づくプロドラッグや不可逆性の阻害機構の理解に注力しました。
 "化学構造式布教活動"と名付けた活動は、2014年6月の滋賀県薬剤師会を皮切りに、講演だけでなく、参加者同士で議論するワークショップ形式や配合変化実習などの様々な形式を取り入れながら、現在までに薬剤師会や薬系大学で計60回以上の活動の機会を得ています。

化学構造式をもっと臨床で活用してもらうには?

 "化学構造式布教活動"を始めて3年ほど経った時に、"薬剤師が化学構造式や有機化学の知識に興味を持っているのか?"、"活用はどれくらいされているのか?"という点に興味を持ちました。そこで、"化学構造式布教活動"に参加した薬剤師211名への調査を行いました。"化学構造式に興味が湧いた"、"もう一度、有機化学を勉強し直したい"との回答があった一方で、回答者の半数以上が添付文書の化学構造式を確認することはまれであるという結果でした。化学構造式を見ない理由として、"活用の仕方がわからない"、"活用する場面がない"、"活用する必要性を感じない"などの要因が挙げられていました。以前から話には聞いていた通りの結果ではありましたが、"化学構造式布教活動"は、化学構造式アレルギーの方に興味を持ってもらうことはできるが、臨床での活用につなげることは難しいと感じました。

基礎薬学と臨床情報を組み合わせて医薬品を評価できないか?

 そこで、薬学部におけるEBM教育を推進していた本学卒業生の上田昌宏さん(摂南大学薬学部)と臨床情報と基礎薬学的知見を総合的に考慮したワークショップのデザインを模索していたところ、東京理科大学神楽坂キャンパスで開催されるアカデミック・ディテーリングの講習会を見つけ、年3回のコースを受講しました。全コースを修了した際に、主催者の小茂田昌代先生(徳洲会千葉西総合病院)より、講習会のサポートを依頼されました。この小茂田先生との縁により、現在、日本アカデミック・ディテーリング研究会の基礎薬学コースにおいて、薬理・薬物動態・剤形などの医薬品の科学的特性を化学的な視点から理解するための考え方を伝えています。研究会活動を通じて、薬剤師であれば有している思考の過程を体系的に明示することで、薬剤師による医師の処方支援に繋がるサポートに少しでも貢献したいと考えています。

化学的な着想からビッグデータに基づく仮説生成とその先へ

 研究面でも、化学的な着想を臨床に繋げたいと考えており、現在、ビッグデータを用いる薬剤疫学的な仮説生成研究を始めています。ある同効薬の可逆性と不可逆性の阻害形式に着目し、有害事象報告の不均衡性の有無を検討しました。データ解析の結果は、投与経路の違いが不均衡性の有無に影響する可能性が示唆され、化学的な着想は見事に外れました。しかし、化学的な着想を臨床に活かす1つのモデルケースを目指して、今後も化学構造式をきっかけとした研究を進めていく予定です。

最後に

 化学構造式は、臨床における意思決定の場面において、中心的な役割を果たすことはないかもしれません。しかし、臨床情報がない局面や個別化医療において、化学構造式から導かれる医薬品の科学的特性を考慮することが必要となる場面があるのではないかと思っています。
 2022年7月より主宰している"臨床医薬品化学研究室"の研究室名は、「化学を基盤として医薬品と臨床に貢献したい」という想いを込めています。基礎的な医薬品化学研究と化学的な視点からの仮説を基にした臨床現場と連携した研究の両輪で薬学への貢献をしていきたいと考えています。
 我々が書く履歴書のように、いつか添付文書の最初に"薬の顔"である化学構造式が載るようになると良いなあと夢見ています。