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活薬のひと

薬学から異分野"水産"にチャレンジした話

徳島文理大学薬学部/生薬研究所
教授 山本 博文 氏

 本学のキャンパスがある徳島県は、太平洋、紀伊水道、播磨灘の異なった特徴をもつ3つの海に面し、さらに一級河川の吉野川や那賀川、中河川の勝浦川、海部川などが流れる水資源にとても恵まれた地域です。そのため、古くから四季折々の魚介類や海藻の採捕や養殖が盛んで、地域の基幹産業の一つとして、水産業が営まれてきました。しかし、近年の温暖化に伴った海水温の上昇や水質の変化などがきっかけで、1980年代を境に、漁獲量の右肩下がりに歯止めが全く掛からない状況です。こうした漁獲量の減少傾向は、今や全国的に問題となっており、地域の自治体が様々な取組みを実施しています。

海の環境変化

 私が幼少期を過ごした実家は、瀬戸内海に面した海水浴場の近くにあったことから、中学生の頃までは泳いだり釣りをして海でよく遊びました。海に潜ると底にはたくさんの海藻が自生していて、それが足に絡むとヌルヌルして少し気持ち悪かった事を憶えています。しかし、ある時、実家に帰省した際に故郷の海から藻場が消えたことを知りました。藻場は卵や稚魚を育てる環境として海洋生物にはとても大切な場で、その減少は、最終的に漁業にも影響します。以来、この問題の解決につながる研究は出来ないだろうか?と自分なりに考えてきました。

異分野と協力していくためには

 これまで私自身は、分子から生命現象を考える薬学領域に興味をもって、おもに生物活性化合物の合成や活性メカニズムに関わる研究に取り組んできました。その中で、偶然出会った天然有機化合物が、サルーシンと命名された藻類葉状体形成促進因子です。当時は海洋細菌が産生するラブダン型ジテルペンの誘導体で、少量で海藻の成長を促す活性があるという事くらいしか理解できませんでした。しかし、天然から極微量しか得られないことに興味をもって、もしかすると藻場再生に繋がる化合物かもしれないと思いながら、合成研究に取り掛かりました。そして、研究を始めて3年目で、どうにかグラム単位で不斉合成できるようになりました。緑藻類を使った細胞レベルの試験でも既知の効果が確認できたことから、「これで私ができることは終わった」と、だから、ここから先は藻類学の専門家や海藻養殖を行なっている方に実際に使って頂くことで、この化合物はきっと役立つはずだと考えていました。そこで、この化合物の可能性について少しでも多くの方に知ってもらおうと、人伝に教えていただいた人脈やインターネット情報を頼りに、藻類を扱っている研究所や漁業関係者を訪ねて、化合物の可能性について説明して回りました。ただ、その成果は散々なもので、私の説明が悪かったことも反省材料ですが、難しい顔をされるばかりでした。そして、説明に伺った一つの施設で言われたことは、「そんなに有効な物質なら、まず、丼ぶりに一杯でいいから、その物質を使って海藻を作って来て下さい。」ということです。当時、私自身は分子や細胞レベルでしか研究していなかったこともあり、それは無理だとガッカリしたことを覚えています。でも、その通りです。このケースのように、全くの異分野が融合してその後の展開を考える時には、多少なりとも、どちらの専門分野からも外れたグレーな領域が存在します。そして、そこを誰かが正しく繋がない限り、その後の展開は期待できません。この出来事はそれを考える良いきっかけになったし、その答えを考えた時、それを「あなたがやりなさい」と言われたような気がしました。

チャレンジすることの大切さ

 時間が経つのは早いもので、それから10年が経ちました。もともと生き物を育てることは嫌いでありませんでしたが、藻類を本格的に扱い始めた頃は、戸惑うことばかりで本当に大変でした。ゼロから海藻の生活環や培養法を勉強しながら試行錯誤を繰り返して、今では、一般的な食用海藻なら、自分ひとりでどうにか培養できるようになりました。その過程で、葉状体形成促進因子サルーシンが、あおさのりの成長に極めて重要な物質であることを見出すことができました。全国を回って自生しているあおさのりを採取し、夏でも養殖できる高温耐性を示すあおさのりを見つけることもできました。今では採取したあおさのりを遺伝子的に同定することもできます。当初は、丼ぶり一杯のあおさのりを培養するために始めたことですが、研究室のシャーレやフラスコから卓上水槽、その後、養殖槽へと徐々にスケールアップすることで、気がつけば年間トン単位で通年養殖できるようになっています。ちょっと勇気を出して、異分野を繋ぐための領域にチャレンジしたことで、その時には想像もしていませんでしたが、今ではあおさのりを扱う国内メーカーの方々をはじめ、中国、台湾、韓国、オーストラリア、ニュージーランドからも問い合わせがきます。

薬学の可能性は無限大

 昨今の環境変化によって徳島県でのあおさのり養殖は、1988年前後を境に衰退したと言われています。しかし、開発した一連の技術を利用すれば、もう一度、徳島県産あおさのりを復活させられるかもしれません。そのためには、これから解決しなければならない問題もあるだろうし、思いもよらない難問に直面するかもしれません。私自身も何処まで出来るか分かりませんが、この不安と期待が混じり合う感覚を今は楽しみながら取り組んでいます。

 最近、低分子医薬品の開発は高止まった傾向にあり、低分子化合物を扱う特に若い化学系薬学の研究者から、医薬品としての出口戦略が難しくなったことを相談されます。私自身もそう感じる事は多々ありますが、化合物を自分で合成したり、アレンジできることはやはり最大の武器で、少し視野を広げてチャレンジしてみると、応用できる分野は無限にあると感じます。

最後に

 地域での海藻養殖の活動を通じて、幸運にも、私は情熱と行動力をもった異分野の方々にたくさんお会いすることが出来ました。近い将来、日本の食文化や国民の食を守るべく日々過酷な現場で作業をされている漁業関係者の方々と協力して、地域や国内水産業の一翼を担う活動として、薬学領域から成長産業化に貢献できれば幸いです。