活薬のひと

壁をぶちこわす

Department of Radiopharmacy and Molecular Imaging
School of Pharmacy, Fudan University
教授 季 斌 先生

留学生時代

 Fudan大学(旧・上海医科大学)薬学院薬学専攻を卒業した後、病院薬剤師として働いて3年が経った頃、ある機縁で、1996年10月に私費留学生として来日し、1年後千葉大学薬学部生物薬剤学研究室に研究生として入学しました。翌年の修士課程の入試に合格し、喜んでいるところ、当時の教官教授の堀江利治先生に臨床薬学専攻を卒業するには、病院実習が義務化されたから、日本の薬剤師免許を取るようにと言われました。1冊は黒本(カバーが黒いから)、1冊は電話帳(分厚いから)というあだ名の当時の国家試験対策資料を買って、来日2年目で、日常会話もまともにできないまま、試験勉強に突入しました。当時は先生に言われたから、ノ-はいえないという単純なもので、合格できるかどうかは考えていませんでした。日本では薬の名前は基本的に英語をカタカナ表記にしているが、中国では独自の命名法であるため、全く系統の違う名前を覚えるのが、一番大変でした。運よく、日本の薬剤師国家試験をぎりぎり合格しました。発表日は学会期間中で、試験結果の発表会場には行けませんでしたが、同級生から全員合格とのお知らせは、伝言ゲームのように暗闇の学会会場で伝わってきた時の高揚感は今も鮮明に覚えています。今から考えてみれば、日本でもやれると自信につながった最初に壊した壁と思います。発展途中国家からきた貧しい留学生は日本で生活するにはバイトをするのは一般的で、薬剤師免許をとったことで内房線姉ヶ崎駅の近くの町薬局でバイト薬剤師として働くことになりました。私には中国で3年間の病院薬剤師勤務の経験がありますが、薬局薬剤師のスタイルは初めてで、新鮮でした。薬局長は疾患診断や使用薬物だけでなく、個々の患者さんの病歴、家族環境まで覚えて、患者さんからは薬の相談だけでなく、人生相談も日常茶飯事でした。大病院ではなかなかできないことで、地域医療の真骨頂ではないかとつくづく思いました。千葉大薬学部で博士号を取った後、研究職を希望したので、放射線医学総合研究所(現・量子科学技術研究開発機構)の脳機能イメージング研究部で研究を続けました。薬剤師の仕事とこれから関係がないかと思いましたが、巡り巡って、また薬剤師の仕事に関わったのは後述します。

研究の心得

 脳機能イメージング研究部は名前通り、脳機能を研究するところで、主に脳疾患の診断治療を目的とする研究です。ここで医学部出身の基礎研究者といまだ臨床現場で働く臨床研究者と一緒に仕事をすることが多くなりました。Positron Emission Tomography (PET)の分子プローブを駆使して、アルツハイマー病の病理を画像で可視化することが私の研究内容です。PETプローブは各種蛋白に親和性を有する化合物をPET核種で標識することで得られますが、投与量は治療用量の千分の一以下ですので、通常の薬物毒性を考慮する必要がほぼないです。動物モデルで有用性を確認したものを、いち早く臨床で実際の患者において検証するスタイルで、世界初となるアルツハイマー病の中核病理タウ蛋白のPETプローブ11C-PBB3と18F-PMPBB3の研究開発に貢献してきました。薬学の観点から、研究の最終目的は主に臨床の問題を解決することです。教科書に書いてあるものと実際臨床医とお話をして感じたものも大きく異なることがあります。自分の研究は実際の臨床にどのように役立てるかを常に念頭に置いて、研究方向を修正していく必要があります。臨床医と常に会話できるようにして、実際の臨床を知ることは新しい研究発想にもつながる道と思います。2006年に6年制が導入され、薬学教育に大きな変革が起きました。薬剤師はこれまでに比べ、遙かに臨床を多く知らなければいけません。薬剤師でも薬学研究者でも臨床現場で自ら問題を発見し、解決していく時代がくるかもしれません。

社会活動

 2007年頃から、日本政府の観光立国施策により、多くの外国人観光客が日本にやってきて日本の経済成長に貢献してきました。中でも経済成長の早い中国からの観光客は大挙に来日して爆買いという言葉まで誕生させた記憶はまた新しいと思います。実は医療現場には質の高い医療を求めてきた中国富裕層患者だけでなく、日本の医療政策や医療現場の経験を求めて、医療関係者も日本にやってきました。ある機縁で私が日中病院薬剤師教育プログラムをオーガナイズすることになりましたが、そこで世界共通語の英語が母国語ではない日中両国の医療関係者の交流は大きい壁になったのでした。英語で交流すると、言いたいことがうまく表現できず、聞いたことが意味曖昧で正確に理解できず深く交流できないことを危惧して、自ら通訳を務めることにしました。薬剤師の現場経験がないと通訳するどころか、何をやっているかを理解することすら難しい状況において、中国の病院薬剤師と日本の薬局薬剤師の勤務経験が思わぬところでものすごく役に立ちました。

最後に語りたいこと

 今年私は母校に呼び戻され、教鞭をとることになりました。また数ヶ月しか経っていませんが、中国研究者の競争はとてつもなく熾烈と感じ取れます。それでも、研究志望の学生の数は少なくないです。「創新」(新しいものを創出すること)という国家政策の後押しも原因の一つと思います。現在新しい国際創薬連合研究センターの工事が目の前に急ピッチで進んでおり、日本を含む世界からの医薬領域の研究者や留学生を迎え入れる準備が整えられつつあります。日本の薬学生は誠実で、基礎知識を備えており、研究にも熱心ですが、欲がないというのは私の印象です。東京や大阪、日本の大都市は世界中最も暮らしやすい都市ランキングに上位を占める常連です。暮らしの便利さ、治安の良さ、清潔度の高さから、安心感が生まれ、現状に満足してしまうのは無理でもないです。しかし、世界は大きい、発展も速いです。いつ役立つかわからないですが、無駄な経験はありません。若いうちから世界に目を向けて、国の壁、言葉の壁、学科間の壁、立ち塞ぐ壁にぶつかって、ぶち壊して、前人未踏の地に足を踏み入れていただきたいと思います。