menu

活薬のひと

漢方 - "有用性"からのアプローチ

日本薬科大学薬学部 漢方薬学分野
講師 糸数七重 先生

サイエンスとその限界

 現代は科学の時代とされています。あらゆる現象について、"何故それが起きているのか"が解明され、不都合な事象についてはその原因を究明し、その対抗手段を正確に講じることで解決してゆく ―― 原因がきちんと究明できないままでは、その対抗手段も特定できないと考え、何故その方法が解決のための手段となり得るのかを証明し得なければ正当な方法として認められない ―― それが現代のサイエンスです。これは非常に誠実な態度です。
 その一方でこの考え方には一点、不自由なところがあります。すなわち「未だわからないものについては手の出しようがない」ということです。原因不明の症状があり、効く可能性があるとされる作用機序のわからない物質があるとしても、サイエンスの立場でそれをそのまま臨床応用することは問題があります。学生の時、「効くかもしれないからと言って、わけのわからない物質を患者に用いてはならない。それで症状が消えたとしても、それは科学者の態度ではないし医療従事者としても不誠実だ」と言われたことをはっきりと覚えています。そしてこれも決して忘れてはならない、非常に大事な態度です。
 それでも目の前には症状で苦しんでいる患者さんがいて、その苦痛を取り除きたいと考えるとき、病気への"別の"アプローチ方法があれば、それは少なくとも"役に立つ"のではないでしょうか。そういった見方に立つとき、古代中国医学を源流に持ち、日本で発展した伝統医学である「漢方」という考え方が力を持ってきます。

なぜ、「漢方」なのか

 なぜ伝統医学なのか、とも言い換えられます。サイエンスに基づく治療が行き詰まった時に次のアプローチとして挙げられるのが、いわゆる補完医療 ―― まさしく"サイエンスでは穴が開いてしまう部分を補う"医療なのですが、その中でも私は伝統医学と呼ばれるものを、そして日本人であればまず漢方の使用を検討していただきたいと考えています。
 伝統医学にはいくつかの種類があります。中国伝統医学にルーツを持つものとしては漢方のほか、中医学、韓医学などがありますし、同じ東洋医学の範疇でもインドにその源流を持つものはアーユルヴェーダ(サンスクリット語で"生命の学問"の意)と呼ばれます。いずれも"伝統"が"医学"として成立している ―― つまり「〇〇の症状には××を用いると治る」といった治療知識の寄せ集めではなく、生命とは何か、人体はどのような仕組みで生きて動くのか、健康な状態とは何か、何故病気になるのか、どのようにして治療するのか、という"体系"をひととおり備えています。それはひとえに"伝統"が続いてきた時間のなせる業です。
 なぜ病むのか、なぜ治るのか、解剖や分析の技術のない時代から、人間はその「なぜ」を体験と観察によるフィードバックを繰り返しながら考え抜いてきました。そして2000年、3000年と積み重ねた観察の上に「人体とはこのような仕組みで生き、病み、治る」という、ひとまず破綻しない理論を組み上げました。これが伝統医学です。伝統医学の考え方はサイエンスによる物証を伴う解析とは異なりますが、様々な条件下における人体の反応に解釈を施し、その解釈を語るための言葉を生み出しました。それが例えば「気・血・水」といった伝統医学用語として現在でも用いられているのです。
 人体の仕組み、何故病むのか、何故治るのか ―― 日進月歩のサイエンスの力をもってしても、これは未だに完全に明らかにはなっていません。それでも目の前の人の苦痛を取り除こうとするとき、現象の観察から治療の方法を破綻なく体系づけた伝統医学という方法は、やはり「有用」なのだと私は考えます。

伝統医学の成り立ちと地域性

 もうひとつ、何故、「日本人ならまず漢方を」なのか ―― それは漢方が中国から日本にわたり、日本の風土の中で日本人の身体に合わせて発展してきた医学だからです。経験や観察による物事の解釈、そしてそれによって組み上げられた理論は、観察がどういった条件下で行なわれたかで異なってきます。例えば漢方や中医学では「冷えること」を嫌い、食事等は基本的に温かいものを推奨しますが、インドで生まれたアーユルヴェーダでは新鮮な果物をもっとも清浄な食べ物として尊びます。これは気候風土によってもたらされた価値観の違いと言えます。もちろん現代の生活環境は伝統医学が生まれた時代のそれとは異なるため、異文化圏の伝統医学が健康の維持により適するといったことも多々あるでしょう。その時には、「〇〇の伝統医学が正しい」のではなく「現状には〇〇の考え方が適している」という態度が適切です。教条主義的になってしまうのは本末転倒でしょう。

漢方とサイエンスとその先へ

 私は漢方の研究を専門としてきています。漢方の考え方、効き方をサイエンスの言葉で語りなおしたときに、それはどのような作用機序として説明し得るかといった生薬薬理、漢方薬理等の基礎研究も行ないましたし、現代社会において漢方がどのように使用されており、漢方処方の服用によって症状の消失や軽減がどの程度あったか、そのことに医療従事者や実際に漢方薬を服用した人はどういった評価を下しているかといった社会薬学的な調査も行ないました。それ以外にも種々の漢方処方に対して、二重盲検を用いたランダム化比較試験も行なわれています。
 漢方をはじめとする伝統医学は、その有用性という観点から、現代社会において今後も積極的に用いられていくべきであり、現時点でサイエンスによる証明が不十分だからと言って忌避されるべきものではない ―― そのほうが社会の幸福度が増す、と私は考えています。サイエンスも伝統医学も人体や疾患やその治療という《同じもの》と真摯に向き合い続けてきたもので、サイエンスによる解析の言葉で語っても、伝統医学による解釈の言葉で語っても、語られているのは《同じ人体の現象》なのです。
 その一方で、サイエンスによる伝統医学の研究も深められていかねばなりません。"伝統"はやはり文化圏や価値観によって規定されてしまう部分も大きいのです。サイエンスの特徴は普遍性です。より普遍的なものであるために ―― 一部の有用性から誰もが信頼して用いることのできる有効な手段として確立するために、今後もより漢方が使いこなされつつ研究されていくことを願ってやみません。