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活薬のひと

予防から機能回復まで:製薬企業の挑戦

田辺三菱製薬株式会社
代表取締役 専務 執行役員
(2020年3月時点)
子林 孝司 氏

変わらないもの

 医薬品の「手段」が、低分子から中分子、抗体を含む蛋白製剤、核酸、遺伝子、細胞、さらにはデジタルと選択肢を大きく広げられつつあります。アンメット・メディカルニーズの解決、一人ひとりの患者さんにとっての最適医療の提供というニーズに応えていくために、創薬関係者は生命科学をはじめ諸分野の科学の先端を取り込みながら、挑戦を続けています。従来、創薬の関係者と言えば、所謂製薬企業に在籍する研究者が中心でしたが、今はアカデミア、ベンチャー、異業種の研究者と所属組織は多様化し、裾野は広がっています。また、創薬のプロセスも様変わりしています。
 でも、創薬の根っこのところは変わりません。「患者さんのために」「病気を治す、罹らないことに貢献したい」という関係者の「思い」です。これは創薬研究者に限らず、医薬品を安心して使っていただくための仕事に関わるすべての人たちに共通する思いです。品質、有効性及び安全性が確保された医薬品を創製し、安定供給して適正にご使用いただくために、いろいろな分野、業種の方々が力を合わせています。医薬品の開発の歴史を振り返ると、そうした思いを具現化することで人類の保健衛生の向上に貢献してきたことが分かります。
 不易流行。携わる人、用いる材料と方法論は変わり続けますが、世の中が変わっても志だけは変わらないと確信します。製薬産業がこれからも社会に貢献し続けるためには、こうした志を具現化していくことを誇り、喜びとする人材を育て、世代を繋いでイノベーションを巻き起こしていくことが鍵だと思います。
 

Around-the-pill、Beyond-the-pillをめざして

 「物」としての医薬品の有用性を最大化、一人ひとりの患者さんにとっての最適化を実現していくためには、「物」の効力だけでは限界もあります。あるいは、有効性は認めても安全性面で使用を回避するケースもあります。そういうところで、物とデバイス、医療機器や器具との組み合わせ、あるいはデジタル・セラピューティクスと呼ばれるような介入等、患者さんあるいは生活者の身体的・心理的・社会的側面における健康に貢献する手段の提供が期待されます。
 この分野は、特にデジタル分野は手段の的確性のフィージブルとフィードバックのサイクルが速い。また、要素技術や知的財産の相互利用も進めやすく、競合から協奏機会が拡大していく産業領域だと思います。デジタル分野では、データが蓄えられます。現象の「見える化」が進みます。こうした技術やデータが寡占されずに、医療ニーズに応えるべく広く透明性をもって活用されるような環境を整えていくことが、一人ひとりの患者さんにとっても社会全体にとっても重要だと思います。とはいえ、社会全体としても緒についたばかりでレギュレーション面の整備も急がれます。
 Patient-journeyという、疾患の治療にだけ目を向けるのではなく、患者さんの生活全般における問題、患者さんをとりまく関係者の様々な課題を拾い上げ、ソリューションを提供していこうとするアプローチが広がっています。患者さん中心の医療とも言えます。生活者一人ひとりを中心に据え、病気にならず、また、万一病気になったとしても治療後にしっかりと機能回復できるような医療サービスの提供です。予防から機能回復までをカバーする社会の実現と、それを持続させることができる医療の進化に貢献する「創薬」への挑戦を始めています。従来の創薬の枠、制約を乗り越え、実社会で真の有用性が検証され、適合した手段、ソリューションだけが残る、医療経済的にも持続型社会の発展に貢献する、社会課題解決型の創薬への挑戦です。
 

社会からの信頼を得る

 サイエンスをより進化させ、その進歩を実社会に実装していくためには、「何のためにそうするか」という目的の共有を含め、「どうやって実現するか」というプロセス面でも社会的透明性が必要です。医薬品は、適正使用によって有効性と安全性を担保しており、それを支えるのは「情報」です。製薬企業が発信する情報は、内容的にも伝達方法においても社会から信頼されるものでなければなりません。
 製薬産業においては薬害等の負の歴史があります。企業市民として社会からの信頼を確固たるものとし続けるためにも、「持続可能な開発目標(SDGs)」という概念が経営目標として位置付けられることは重要です。創薬と医薬品の安定供給を継続してきた自社のコアコンピタンスを、引き続き社会課題の解決に貢献できるよう、磨きあるいは変容させる努力を続けています。製薬企業における経営力は、薬学を核とした自然、社会及び人文分野における科学進歩の進取的取込みと社会から信頼される具現の繰り返しにより鍛えられると思います。その推進力は人材です。これからも社会からの要請に応えられる人材の育成に、経営のど真ん中の仕事として取り組んでいきたいと思います。
 

最後に自己紹介

 製薬企業に入社して40年経ちました。薬学系出身ではない私からの発信ですが、創薬に対する思いの一つとして受け止めて頂ければ幸いです。
 入社後、最初の配属先は安全性研究所でした。動物での安全性試験を通じ、対象とする医薬品候補化合物の安全で倫理に適った臨床開発の進展に必要な安全性評価に資する情報を提供する仕事でした。薬学とは程遠い動物行動学という分野にしか興味がなかった入社当時の私にとっては、周りにおられた薬学、獣医学ご出身の方々の実践的な知識、技術に驚き刺激を受ける毎日でした。日常的に動物実験に携わり、用いる動物の生態、行動、反応をじっくりと観察する機会に恵まれたことが、物事の因果関係を多面的多層的に捉える、考える習慣を身に着けてくれたと思います。入社当時から考え、学ぶ「ゆとり」を頂けたことは、私自身の企業人としての成長にとって大変有難かったと思います。