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活薬のひと

薬学6年制における漢方教育の現状と未来への提言

第一薬科大学 漢方薬学科長
池谷 幸信 先生

 1976年に医療用漢方製剤42処方が薬価収載されました。私はその2年前に、漢方薬メーカー(株)ツムラの研究所に入社し、以来42年間、漢方・生薬の研究に携わってきましたが、2006年に臨床に係わる実践的な能力を備えた薬剤師養成を目的とする薬学教育6年制がスタートし、新たに「漢方薬学」科目が薬学教育に導入されたのを機に、(株)ツムラを退職し、立命館大学薬学部教員になりました。現在は第一薬科大学で教員をしております。教員になってからは、薬学生に「漢方を学ぶことは面白い」と思ってもらうにはどうしたらよいかを考えながら生薬学、天然物化学、漢方薬学などの教育に携わってきました。私の経験から漢方を軸にして生薬学、天然物化学、漢方薬学の教育を展開することにより、学生の好奇心を引き出すことができたので、3教科を結びつけた教育を提案致したいと思います。

「生薬学」について

 生薬単独でも日本薬局方収載の医薬品ですが、漢方薬は複数の生薬を組み合わせた医薬品です。学生は漢方薬が臨床で活躍している薬であることはわかっているので、「生薬学を学ぶと漢方薬がわかります」と話すと学生に生薬学を学ぶことに価値があると思ってもらえます。
 しかし、従来の生薬の西洋医学的な薬効・化学成分・単味生薬での利用法・確認試験法などを漠然と話していると、学生は生薬学を単なる暗記科目としてとらえ、臨床系の科目が多くなっている薬学教育の中で、生薬学を学ぶことの意義を見いだせていないように思えます。また、生薬学に関する「薬学教育モデル・コアカリキュラム」(以下コアカリ)では、化学系薬学中項目「C5 自然が生み出す薬物」の中の小項目「(1)薬になる動植好物」に、「①薬用植物の学名・薬効・形態、②生薬の基原・薬用部位、③生薬の薬効・成分・用途、④生薬試験法等の同定と品質」という学習指針・到達目標が示されているにすぎず、漢方との結びつきがありません。現在の生薬学の教科書はこのコアカリに沿って執筆されていますが、漢方を理解する上で重要な「薬能(漢方における効能)」・「薬性(人体を温めるまたは冷ます生薬の性質)」・「帰経(生薬が五臓六腑のどこに効くのかを示す)」・「五味(生薬の味)」が記載されていないものが多いのが現状です。
 中国では生薬の薬能や薬性や帰経が重視されています。また、英語版の生薬学の本『Yifang Zhang, "Your Guide to Health with Foods & Herbs: Using the Wisdom of Traditional Chinese Medicine"』には、各生薬の西洋医学的な薬効の記述に加え、漢方関連項目の「薬性」が「Properties」で、「帰経」が「Channels of entry」で、「五味」が「Taste」の項目で記載されています。
 このような生薬の「薬性(寒性・涼性・温性・熱性)」や「薬能」を理解すれば、漢方薬の服薬指導に活用できるのです。例えば、生薬の「黄連」や「黄柏」の説明に際し、学生に「高血圧や皮膚掻痒症に使う漢方薬の黄連解毒湯の構成生薬は体を冷やす寒性の生薬のみで構成されていることから、皮膚の炎症があっても冷えのある人には要注意です」という臨床応用に関する説明を加えると、生薬に対する興味を持ってくれました。また、立命館大学在職時、生薬学の講義の中で、桃仁と杏仁を漢方処方と結びつけて説明しました。講義終了後、2人の学生が「桃仁と杏仁は同じバラ科の植物で指標成分も同じアミグダリンです。しかし、桃仁は駆瘀血の薬能を持ち婦人向け漢方薬に配合され、杏仁は止咳の薬能を持ち喘息に使う漢方薬に配合されています。アミグダリン以外の成分が薬効に関与していると思うので、両生薬の成分分析をやらせて下さい。」と私のところにやってきました。2人は、7月末の定期試験が終了した後、2ヶ月間両生薬の成分を化学分析し、秋の学生祭でその結果を発表しました。漢方と結びつけることにより学生に生薬への興味を持ってもらえたことを確信しました。
 従って、漢方を深く理解し利用するために、生薬学の教科書には「薬能」・「薬性」・「帰経」・「五味」についての記載が必要であると私は考えます。

「天然物化学」について

 現大学での担当科目は、天然物化学です。立命館大学時代にはオムニバス講義でしか担当しなかった天然物化学を本格的に担当することになりました。担当科目を聞いた時から、どうしたら学生に天然物化学に対する興味を持ってもらえるかが重要課題になりました。
 天然物化学のコアカリは、天然物由来の生理活性物質の化学構造・生合成・作用を学ぶことになっており、漢方と関連する到達目標はありません。薬学部で天然物化学を学ぶ意義は2つあります。第1に薬剤師は、漢方薬・生薬製剤・健康食品の効能や副作用について化合物成分を根拠に説明できなくてはなりません。これには天然物化学の知識が必須です。第2の理由は天然物に含まれる化合物成分が創薬資源であるからです。そこで私は「なぜ薬学で天然物化学を学ぶか」を講義一日目の主題としました。私はやはり漢方薬分野の人間なので、「漢方薬の効能や副作用は、漢方薬に含まれる天然物によるものである。薬剤師は、漢方薬に含まれる天然物の薬効、副作用、化学構造を理解してこそ臨床の場で医師や看護師から存在価値を認められる。」ということを、例をあげて学生に説明しました。そして、その後の講義でも、漢方の薬効や副作用に関係する生薬成分の働きを説明し、次年度の履修科目である「漢方教育」への橋渡しを行っています。その結果、学生に天然物化学に興味を持ってもらえました。

「漢方薬学」について

 1976年以降、漢方薬が普及した理由は薬価収載が大きな理由ですが、漢方薬の剤形が従来の煎剤から漢方エキス製剤が開発されたことも大きな理由です。しかし、漢方薬学のコアカリに、病院や調剤薬局で最も扱う機会が多い漢方エキス製剤についての学習到達目標がありません。
 漢方薬の剤形の煎剤・散剤・丸剤の漢方上の意義や、漢方エキス製剤の利点・欠点を理解することは、薬剤師として重要なことです。また、医療用漢方エキス製剤の品質に関する知識も医師ではなく薬剤師だからこそ必要な知識です。1985年5月に、厚生省薬務局から、薬審二第120号「医療用漢方製剤の取り扱いについて」が各都道府県衛生主幹部(局)長宛てに通知されました。この通知では、エキス製剤と標準湯剤との同等性についての審査基準が示され、漢方エキス製剤の指標成分量の下限値や含量規格幅(可能な限り±30%以内)などが定められています。薬剤師が各メーカーの漢方エキス製剤の品質を比較検討する上で役立つ知識です。この内容は、日本漢方製剤協会・医療用製剤教育研修委員会編集の『MR漢方教本』に記載されていますが、漢方の一般的な教科書には記載されていません。十分な知識がないまま漢方エキス製剤を扱い服薬指導することがないよう、漢方エキス製剤についてはよりいっそう教育内容を充実させる必要があると考えております。

 漢方メーカーで漢方製剤の品質研究や天然物である生薬の指標成分の研究に長年携わった者として、学生のためには「生薬学」、「天然物化学」、「漢方」は、それぞれの専門教員がばらばらに行うのではなく、3科目ともに精通した教員ができれば一貫して行うのが理想だと思います。学ぶ対象は何であれ、それが何の役に立つのかわかれば、学生は自ずと学ぶ姿勢が変わってきます。それを見届けるのが私の生き甲斐です。漢方の効能や副作用を理解するために必要な薬能や薬性や帰経を取り入れた「生薬学」、漢方の効能や副作用を成分的に説明する「天然物化学」、漢方エキス製剤のことをもっと盛り込んだ「漢方薬学」にすることにより漢方教育が充実し、その結果、漢方が人々の健康により貢献していくことを願ってやみません。