活薬のひと

薬学の未来に向けて

京都大学高等研究院 特定教授・物質-細胞統合システム拠点(iCeMS)研究支援部門長 橋田 充 先生

薬学から世界トップレベル研究拠点へ

 新年度を迎え、新しい職場や業務で新たな挑戦に挑んでおられる皆様も多いことと思います。私は、入学以来47年間を過ごした京都大学薬学部を昨年3月に停年退職し、若手や外国出身研究者が主体となっている現在の職場で研究支援の業務に就かせて頂いて2年目となります。iCeMSは文部科学省の世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)のもとに2007年に発足した研究拠点で、昨年からは新設されたWPIアカデミープログラムに移行しましたが、国際頭脳循環、アウトリーチ、産学連携と起業、研究成果の社会実装など、これまで残念ながら個人的にはあまり縁のなかった体験を重ねさせて頂き、日々世界が広がる思いで楽しく過ごしています。

薬剤学とドラッグデリバリーシステム(DDS)

 私はそもそも薬物投与の方法論を扱う薬剤学、中でも薬物体内動態の精密制御を目指す薬品動態制御学、ドラッグデリバリーシステム(DDS)の研究を専門としてきましたが、多くの創薬の基盤研究領域の中でも医薬品の最終投与形態の設計・開発を専門とすることで、例えば低分子医薬品、バイオ医薬品、遺伝子医薬品、さらに再生医療等医薬品へと大きく姿を変えた医薬品・医療の発展と常に寄り添うことができたことは幸せでした。現在は、厚生労働省の薬事食品衛生審議会の仕事などにも関わらせて頂いていますが、これも薬剤学という創薬と医薬品の適正使用の双方の基盤となる研究領域を経験してきたことで与えられているものと思います。

薬学におけるダイナミックな変化

 薬学において長年過ごし、また最近の審議会などでの経験を通じて、私が薬学という世界に対して現在今この瞬間に抱いている印象は、多くの関連する問題、取り巻く環境が極めてダイナミックに動いているということに尽きます。もちろん、研究あるいは医療の現場において、日々の暮らしに閉塞感を感じておられる方もおられるとは思いますが、一歩退いて俯瞰しますと、医療は現在極めて急速に発展し、薬学研究者や医療人としての薬剤師の前にはこれまで想像もつかなかった全く新しい世界が広がっています。薬学は、人体に働きその機能の調節等を介して疾病の予防・治癒、健康の増進をもたらす"医薬品"の創製、生産、適正な使用を目標とする総合科学ですが、創薬研究においても対象とする疾病に対する理解は解剖・生理・病理学に基づくものから遺伝子情報を基盤とする情報科学の世界へと大きく発展・拡大しました。また開発される医薬品も、抗体医薬はごく一般的となり、抗体-薬物結合体、核酸医薬などの製造販売承認も続いています。こうした新しいカテゴリーの医薬品に対する薬物動態試験や安全性評価試験の在り方も大きく変わり、また製剤設計や生産管理の世界も大きく様変わりをしました。一方、細胞治療や再生医療も一般的な治療技術として認知されつつあり、最先端のT細胞遺伝子改変療法(CAR-T/TCR)においては改めてDDSのコンセプトとの関係も意識されています。医療機器の発展にも目を見張るものがありますし、人工知能(AI)技術の発展が、創薬研究の方法論から薬剤師の医療現場での業務にまで、これから大きな影響を与えるであろうことも広く議論されているところです。

医療の現場における実践

 先端的な医療技術の開発に対して、これを受け入れる医療現場での実践もまた非常に重要な要素ですが、医療の場において薬物治療を直接担う薬剤師の業務に対しては、日本学術会議が平成26年に「提言 薬剤師の職能将来像と社会貢献」を表出し、将来の医療システムと求められる薬剤師像、健康保持・疾病予防・予防医学などに対する薬剤師の関与、創薬・育薬研究における薬剤師の役割、さらに薬剤師人材育成のあり方などに関して提言を行っています。また、日本薬剤師会は本年、薬剤師が人々の信頼に応え保健・医療の向上及び福祉の増進を通じて社会に対する責任を全うするために、必要な行動の価値判断の基準を示すとともに薬剤師と国民、医療関係者そして社会との関係性を明示することを目的として、「薬剤師行動規範」を制定しました。その内容は、薬剤師の任務や義務から始まり法令遵守や他職種との連携、患者の自己決定権の尊重、差別の排除、生涯研鑽への寄与など多岐にわたり、薬剤師の誇りと矜持を社会に示し約束する内容となっていますが、とりわけ本規範の取りまとめ役を務めさせていただいた私にとりましては、"学術発展への寄与"すなわち「研究や職能の実践を通じて、専門的知識、技術及び社会知の創生と進歩に尽くし、薬学の発展に寄与する」ことが薬剤師の職務としてうたわれていることは、これからの薬学の教育・研究を位置づけるうえでも重要なことだと考えています。

薬学の未来に向けて

 以上において、創薬研究、医薬品開発、生産、薬事行政、承認審査、医療現場における薬物治療の実践などに関して、広く薬学の世界がダイナミックに変わりつつあることについて理解を分かち合えたのではないかと思います。これらの問題は、さらに未来の医療と職能、医療のイノベーションとレギュレーション、医療における国際調和などのテーマに拡大するものでありますが、一方で薬学の将来を支える基盤構築という視点から考えますと、教育の重要性について改めて思いが及ぶところです。平成18年度より始まりました学部6年制課程と4年制課程を並置する薬学教育は、平成27年度末をもって新制度の学部および大学院課程が完成しました。新制度の薬学教育は、高度な薬剤師・創薬研究者の養成に対する社会の期待を背景としつつ、"大学制度改革"と"医療制度改革・高度医療人材育成"の大きなうねりの中で船出をしたものでありますが、その目標は薬剤師、創薬研究者として有為の人材を、医療、製薬産業、大学、行政などの場に輩出することにあります。今薬学教育改革の節目を迎え、薬学教育のあり方について6年制課程の充実を図るか、4年制課程に注力をして有能な研究者の養成を図るか等々、広い視野、長期的な視点に基づく議論が求められていますが、薬学に対する社会の期待、或いは未来を担う高校生の夢に如何に応えるかが議論の核になると考えます。
 以上、薬学の現状と未来について考えてみましたが、我々の眼前でダイナミックに発展する現実に向かい合うには、大きな視野に基づく世界観の構築、一方ではタイムリーな情報収集が不可欠であることが再確認させられます。未来の薬学に対して、多くの皆様と夢を共有させていただきたいと強く願っています。