活薬のひと

薬育のできる人材育成をめざして

慶應義塾大学薬学部 名誉教授 福島 紀子 先生

薬育の必要性

現在は、質・量ともにボーダレス社会の拡大により、ネットを利用して世界中から医薬品を手に入れることが可能となり、また、フリーマーケットのアプリで医薬品が売られているといった報告もあります。薬を活用する垣根が下がることは悪いことばかりではありませんが、誤用や乱用を避けるためには、医薬品の正しい知識を子供たちが低学年から持っておくことが重要であり、自分で判断できる力を身につけておくことが大切です。2014年の薬事法改正(医薬品医療機器等法に改名)で、「国民は、医薬品等を適正に使用するとともに、これらの有効性及び安全性に関する知識と理解を深めるように努めなければならない。」という国民の役割が明記されました。一方で薬の専門家である薬剤師は、医薬品を購入し、又は譲り受けようとする者に対し、これらの適正な使用に関する事項に関する正確かつ適切な情報の提供に努めなければならない責務があります。つまり、薬を正しく使うための方法や、有効性・安全性や副作用などについての理解を深め、自分で判断できる力を身につけるための教育(薬育)がとても重要であることがわかります。薬剤師は薬育ができることが必須条件になると考えます。

薬育を始めた原点

初めて薬育の原点と思える活動に関わったのは、1991年の小児糖尿病サマーキャンプに参加した時でした。当時の薬学教育の中では、患者や家族の生活について学ぶ機会がなく、学生のうちに患者の普段の様子や家族の思いなどを知ってほしいと思い、患者会やサマーキャンプに薬学生と共に参加していました。キャンプの医師から薬学生が参加するのであれば、子供たちにインスリンの話をしてほしいと提案がありました。参加しているⅠ型糖尿病の子供たちは、未就学児、小学生、中学生と幅広いため、伝え方を参加する学生と検討し、最終的にインスリンの働きや、なぜ注射なのかなどについて紙芝居を使って説明しました。翌年のキャンプで会う約束をしていた小学校入学を楽しみにしていた女の子の姿が見えなかったのですが、母親が、病気の子供を育てることへの不安から宗教に入信し、その教えに従って子供へのインスリン投与をやめてしまい、亡くなったとのことでした。この出来事は、親の世代にも必要な薬育があることを痛切に教えてくれました。次の回では、紙芝居の内容を塗り絵にして参加した子供達に渡し、帰宅後に子供から家族に紙芝居の内容を説明してもらうなどの工夫をしましたが、後日、未就学児、小学低学年の母親達から「子供からインスリンの大切さを教えてもらいました。こういう情報提供の方法もあるのですね。」と書かれた手紙が届きました。薬の効果や作用機序、副作用について分かりやすく、また相手が理解できるように伝えることの重要性と、薬の情報の伝え方は一つではなく、特に子供から保護者に伝えてもらうことで薬育の連鎖のネットワークが形成されたことになります。また、薬学生の持っている柔軟なアイディアや表現の工夫等の力をひきだしていくことの重要性など、一連の取組からの経験が、薬学生が行う「薬育」の原点となりました。

薬育プログラムの構築

インターネットの普及により、違法な医薬品や健康食品のネット販売が問題になり、子供たちでも簡単に医薬品を購入できる時代が到来することが推測され、薬物乱用問題につながる懸念もありました。自分で自分の健康を守ることができるように、子供に理解できる薬育プログラム(高学年の薬物乱用防止教育も含む)の構築が急務でした。2006年度より小学生、中学生に対する薬育プログラムの構築を開始し、翌年に出前授業の募集を行ったことがきっかけで実施できるところが数校に拡大、薬学生が行う薬育の評判が学校薬剤師や特に養護教諭の間で伝わり、都内6区、国分寺市、埼玉県などの小・中学校で実施する機会を得ました。薬育授業を行う際に、授業に対する児童、生徒の理解度の評価調査を行い、理解度が低い部分についての見直しが行われ、分かりやすい絵や、模型の使用、また学生による寸劇なども入れて、子供たちの印象に残るような工夫が重ねられました。
大人のための薬育としては、0歳児の子供を持つ母親のための薬育や、地域住民を集めた区民センター、高齢者施設での薬育プログラムを構築し薬学生が実施しています。

小学校での発達段階別薬育

2010年度からは、一つの小学校をモデルとして、児童の薬に対する理解度を考慮した発達段階別薬育を継続的に実施しています。発達段階別薬育とは、小学校の各学年別に実施するもので、学年が上がるにつれて授業内容を増やし、詳しい情報や専門的な内容を取り入れた構成としているため、小学生においても早期からの系統的な薬育が可能となる内容です。2013年の調査では、発達段階別薬育が中学生の薬の総合的な適正使用の実施頻度を高める要因になることや、生徒の薬に対する理解を高める要因になっていることが示唆されています。
 発達段階別薬育のプログラムは、繰り返して教える部分と同じことを視点を変えて説明するなど、理解しやすい工夫がされています。薬学生による説明は、小学生から見れば、お兄さんやお姉さんが話してくれるため、比較的身近な存在として授業参加意欲に好影響をあたえているようです。薬学生にとっては、小学生への情報提供の仕方を学ぶことにもなり、相手に合わせた説明の工夫ができるようになります。薬学生の感想でも「小学生が真剣に話を聞いてくれた。」「積極的に参加してくれて話しやすかった。」「相手の立場に寄り添ってわかりやすく伝え、言葉遣いにも気を付ける工夫が大切だと思った。」「これからの服薬指導にも活かしたい」などが挙げられています。

薬育プラットフォームの確立が課題

 以上のような薬育を、薬局の忙しい時間に担当することは無理があるとの指摘がありますが、支部薬剤師会の実習生の集合研修の際に練習するなど工夫をして、薬育のできる薬学生を育て、近隣の小学校で実施することを検討していただきたいと思います。一方で、教える側の負担が少なくない中で、継続して一人で教えることやすべての学年分の担当を行うには大変な努力が必要になってしまいます。教える側が分担してタスキを引き渡たしてゆける体制づくりが課題といえます。
これまでに、1回45~60分の内容で、100回を超える薬育を実施していて、授業に関わった薬学生も100名近くなっています。その中からは、卒業後の薬育経験はもとより、保健所の取組として薬の適正使用の啓発活動に応用した例や、いずれ学校薬剤師として参加したいという希望を持った人もいます。薬学生による薬育は、児童、生徒にとっては比較的身近な存在として、授業参加意欲に好影響を与え、薬学生にとっては、情報提供能力や、プレゼンテーション能力が飛躍的に改善されるなど、相互にとって有効です。すでに薬育ができている学校では問題はないとは思われますが、実施できていない状況も散見されるため、薬系大学と地域の学校薬剤師や薬剤師会との連携による、薬育のネットワークの発展的な展開を期待しています。