トップページ > 薬学と私 > 岡山県産業労働部産業振興課 主幹 小坂田章子氏「地方行政に薬剤師が果たす役割」

薬学と私 第61回

 私が薬学を学びたいと思ったのは、白衣を着て調剤をする薬剤師さんの姿に憧れたことがきっかけでした。小学校の卒業文集には、「薬剤師になりたい」と書いた記憶があります。しかし、高校2年生のときの担任の先生との進路相談で、「薬学部志望か。薬学部の学生というと、研究室にこもって一人で研究に没頭するイメージだけど、君はあまり向いていないような気がするなあ。」と、ショックな言葉を先生から投げかけられ、驚きました。私は研究に没頭するタイプではなく、外に出ていって人と話をする仕事の方が向いている、と言われるのです。確かにどちらかといえばよくしゃべる方でしたが、クラスでは比較的大人しい生徒として(?)日々を過ごしていたので、先生にそう見られていたのはかなり意外でした。
 さて、先生のアドバイスに対しては聞く耳持たず、当初の志望どおり薬学部に進学し、友人達と充実した学生生活、先生や先輩方との楽しくも時に厳しい研究室生活を過ごすことができました。よい実験結果が出ることばかりではありませんでしたが、白衣を着てクリーンベンチに向かう日々は憧れていた生活で楽しく、先輩の素晴らしい研究発表、先生と先輩の熱いディスカッションを耳にしながら、研究に対する姿勢や考え方を学ばせていただきました。
 その頃、ときはバブルもとっくに崩壊した後の就職氷河期。未熟な自分でも研究を行える仕事がしたいと研究職を希望し、何とか県外の製薬企業で内定をいただきましたが、内定がもらえなかったときのためにと、たまたま受験した地元の公務員試験にも合格したため、就職をどうするか、ぎりぎりまで悩みました。最終的には、公務員でも衛生研究所などで試験検査や調査研究に携わることができると聞き、研究に関わりながら地元で長く仕事をしたいという理由で、県職員の道を選びました。

 薬剤師又は薬学の課程を卒業した者として県に採用されると、岡山県の場合、食品衛生、薬事衛生、環境衛生などに関する業務、または地方衛生研究所での試験検査・研究業務などに従事します。法律や条例に基づき、県民の方々の安全・安心な暮らしを守る業務に携わります。縁の下の力持ち的な存在の仕事であり、食品や医薬品などの安全確保のため、様々な施策を講じ、立入調査や監視指導を行います。
 公務員の仕事というと、机に向かって仕事をしているようなイメージを持つ方も多いと思いますが、現場に出向いて話をする機会が非常に多いです。安全確保のため、品質向上のため、営業者の方々に理解してもらい、行動に移してもらうことが重要な仕事です。コミュニケーション能力が必要とされ、さらに技術職という立場での専門性も活かさなければなりません。
 まだ入庁間もない頃、難しいクレームに何とか対応することができたとき、上司に「この仕事にすごく合っていると思うよ。」と言われたことがありました。人と話をすることが好きな私ですが、あまり意識したことはありませんでした。図らずとも高校生のときに先生が仰ったとおり、外に出て人と話をするこの仕事に就いたのも何かの縁だったと感じました。
 ちなみに私の場合は、入庁後十年以上食品衛生行政に携わった後、薬事衛生行政に従事し、現在は「産業労働部」という、薬剤師という技術職としてはかなり異色の、地元のものづくり企業の技術振興を支援する部署で仕事をしています。
 日本のものづくり技術は世界でもトップクラスの技術を誇っています。なかでも、中小企業が、自動車産業や航空機産業などに製品を供給してきたノウハウを活かし、多様な分野に活かそうという動きが全国的に進められており、「医療機器」産業もその一つにあげられます。
 岡山県は、白桃やマスカットなど果物の産地として有名ですが、水島臨海工業地帯をはじめとする、ものづくりの産業が集積している県でもあります。難削材の切削加工や精密加工に高い技術を有する企業が数多く存在しており、それぞれの「強み」である技術力を活かして、他分野の産業に参入を希望する企業も少なくありません。
 ただ、技術があるからその業界に簡単に参入できるかというと、決してそうではなく、例えば医療機器の場合、まず法規制の壁が立ちはだかります。これまで医療機器分野での開発経験のない中小企業の方々が自力で医療機器を開発することは容易なことではありません。
 このような参入障壁を取り除き、優秀な技術を医療機器産業界へ活かせるよう、これまで薬事行政を担当した知識を活かし、薬事に関する相談、医療機器メーカーとのマッチングの支援を行うことなどが現在の私の業務です。東京で開催される医療機器の展示会への出展を支援したり、医療機器メーカーを訪問して、岡山県の取組や地元企業の技術力をPRすることもあります。規制側の業務とは違う角度の目線で行う業務ですが、経済を意識しながら考える施策は、新鮮であり日々新たな考え方と触れることができます。岡山県の企業が有する優秀な技術が医療機器開発につながれば、地元産業の活性化はもちろん、人の命が救える可能性が拡がります。県民の方のみならず、国内外に広くその恩恵を享受できる方が増えるかもしれません。薬学を志した者として、非常に遠くからではありますが、社会に貢献できる事業に関わることができているような気がしています。

 薬剤師がこのような業務に携わったのは、岡山県ではまだ私が初めてですが、全国では複数の自治体で同じような業務に携わる薬剤師がいます。今後、薬剤師がより幅広い地方行政の場で専門分野を活かす仕事に従事するべきだと考えています。県の仕事は、このように様々な立場で業務ができる所であり、事務職、技術職にかかわらず多様な職種の人と仕事をする機会が多いので、日々勉強となり、刺激を受けることのできる職場でもあります。
 薬学という専門性を活かせる仕事は本当に多岐に渡っています。自分がしたい仕事、自分に向いている仕事、いろいろあることと思いますが、自分の「強み」は何か、周りにいる方からヒントをもらえることもあると思います。幅広い業務に携わってみたい方は、地方公務員として生きる薬剤師の人生も思い描いていただけると大変光栄です。