トップページ > 薬学と私 >NPO法人 AfriMedico 代表理事 町井恵理氏「薬剤師としての自分の役割とアフリカでの置き薬提案までの道のり」 

薬学と私 第60回

  アフリカで青年海外協力隊ボランティアをしていた私は、薬が村まで届いていない現状を目の当たりにし、薬剤師として薬のアクセス向上に貢献すべく、日本発祥の置き薬のモデルをアフリカに展開しています。
 置き薬は日本発祥の仕組みで、「先用後利」という特徴があります。先に薬を使用しその時点では薬代を払う必要はなく、営業マンが来たタイミングで支払うという仕組みです。昔、日本でも定期的に収入のない時代にはとても重宝されたようです。また、置き薬の普及した理由は大きく分けて3つあると言われており、①インフラが整っていない②家族の人数が多い③皆保険制度がないという点です。1つ目の理由としてインフラが整っていなくても家にいつも薬が常備してあるので、すぐに使えます。2つ目の理由として、家族の単位が大きいとそれだけたくさんの数が使われ、事業として成り立ちやすくなります。3つ目の理由として、皆保険制度がないと医療費も高くなります。これらの理由から置き薬が使われるようになりました。
 この3つの点は現状のアフリカと酷似しており、アフリカに貢献出来ると考えて活動を進めています。

 そもそも何故薬学を目指したのか?私は両親ともに薬関係の仕事をしており、父親は薬の開発、母親は薬剤師をしていました。そのような両親からの影響もあり、親からは特に薦められたことはなかったですが、薬が身近にあったことが大きく薬学のみを大学の進学として受験しました。今ではこの時の選択はおおきな分岐点の1つだったと感じます。

 薬剤師になると思っていた私は大学中にいろんなことをしようと休みの度に海外へ行き、リュック1つでバックパッカーをしていました。そんな中、インドに行った時にマザーテレサの施設でボランティアをしてから、ボランティア精神が目覚め、この時から将来は海外でボランティアをしたいとぼんやりと考えるようになりました。しかし、社会で役立つにはまずは社会人経験を積んでから行こうと決め、大学卒業後数年間製薬会社で勤務しました。そして6年後、青年海外協力隊ボランティアに応募し、やっと手に入れた合格通知でしたが、両親は大反対。3か月間説得に説得を重ね、結局は親戚にはアフリカに行くことを言わずに出発することになりました。親に「戦争に送り出す気分だ」と言われ、よほど親を心配させていたのだと思います。私は親不孝なことをしているのだろうか?と泣いてバスタオルがびしょびしょになっていたのを覚えています。

 ただ、ここで私の本気さを試されていたと感じています。ここでくじけてしまうようなら自分のやりたいという意思が弱いということ。その程度の決意ならアフリカに行っても何も達成できません。両親のおかげで、アフリカでの生活は意味のあるものとなったと今では感じていますし、ハードルが高ければ高いほど後々の自分の成長の糧となることを感じていて、今は大きなネタの1つです。

 アフリカでの生活は最初はとても充実したもので見るもの全てが刺激的でした。道端に普通にいるヤギ・羊・ロバに衝撃を受けたり、ごみの焼却などがないから自分で燃やすようドラム缶を買ってきて処理したり、イスラム教を学ぶべくコーランを読んだり、と同僚やその家族との触れ合いの中で学ぶ文化や考え方の違いが私の今までの固定観念を払拭させ、日本人としての自分と地球人としての自分を認識させられました。
 そんな日々も2年目になると日常となり、日本が遠く離れた夢の島のような感覚になっていました。自分は本当にこの地で役立っているのか?最後まで考えさせられました。

 しかし、自分に何が出来たか?を振り返った時に自分を肯定してくれたのはデータでした。自ら活動前に120名ほどの村人からアンケートを取り、何が問題で何を解決すべきかを明確にし、自分の活動による変化をデータで取れるようにしました。ボランティアだからこそ、有難迷惑にならないように住民のニーズと我々の出来ることを明確にし客観的に見ることを重視しました。実際に行ったアンケート結果は、村人のマラリアの原因が「蚊」と答えてくれた正答率が活動前は2割から、2年間の活動後には8割まで増えていることが確認できました。しかし、「蚊をよけるために蚊帳の中で寝たか?」「蚊帳を購入したか?」などの行動まで変わっていたかどうかの質問結果は3割程度でほとんど変わっていませんでした。
 この事実は、2年間自分は何を成し遂げたのか?を明確に示すもので、村人へ知識しか与えることが出来ず、行動に繋がらなかったということが判りました。では、何があればよかったのか?ここから自分の能力が不足していると考え、大学院へ進むことになります。

 自分にもっとマネジメントスキルがあれば、アフリカでの結果も変わったのではないか?と考え、MBAのコースへ進学します。その疑問を解消する糸口を探すべく勉強していましたが、今まで実地で行ってきたことが、学びによって整理される感覚や新しい知識の習得が純粋に面白かったのです。勉強が面白いと感じたことは今まで無く、睡眠も少ないときで4時間ぐらいに削り勉学に励みました。
 疑問を解消する糸口はそんな簡単には見つかりませんでしたが、大学院の卒業前近の研究プロジェクトでビジネスモデルを考える機会がありました。「アフリカの医療を改善するにはどんなビジネスモデルがいいのか?」というテーマで半年程度、研究しました。その時のいろんな調査が今の活動にもすごく活きています。下積みの大切さを今さらながら感じています。

 ただ研究だけで終わってしまっては意味がありません。この考えたモデルが本当に実現できるのか?医療が届いていないアフリカの地域のことを考えると何とかしたい想いはどうにもならず、NPO法人AfriMedicoを立ち上げました。メンバー集めも初めは0人。誰一人手伝ってくれる人はいませんでしたが、やっと1人と現れ、そして最終的には20人を超える人が手伝ってくれ、スタートしました。そんなメンバーは、私の宝物です。

 法人としてスタートして、現在で2年目。またまだ課題は沢山ありますが、優秀なメンバーに支えられ、ここまでやってこられました。ただ、現状に感謝しつつも満足することなく、結果を残すことが大切だと感じています。
 きっとこの活動は私の人生をかけて進めていく長期的なプロジェクトとなるでしょう。私が出会ったアフリカ、そして大好きなメンバー、その人々と人生を過ごしていく。それが私の人生。このコラムを読まれている方もおそらくさまざまな出会いがあるのだと思います。そんな出会いから自分は何で社会に役に立つことができるのか?私の記事を読んで考えるきっかけになれば幸いです。

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