トップページ > 薬学と私 > 内閣府食品安全委員会事務局 評価第一課長 関野秀人氏「自然体から生まれた「最幸」の出会い」

薬学と私 第55回

 小学生の頃の私は、決して友達付き合いが悪い方ではありませんでしたが、家では二人の弟妹がいるにもかかわらずマイペースで自分の好きなことに没頭していることが多く、異質な存在だったようです。そのような私が家でしていたことの一つが料理でした。母親が夕飯の準備をしている隣でかなり邪魔になりながらも、子ども向けクッキングの本に載っている料理を片っ端からつくっていました。レシピを見ながら、食材を揃えて鍋やフライパンに入れてかき混ぜては、こまめに計量カップや計量スプーンを使って正確に調味料を加えている姿は、日頃目分量でやっている母親からすれば、何とも要領を得ず不器用に映ったようです。でも、私にとっては、混ぜたり量ったりが好きで、野菜や肉に熱が加わるに従って色が変わり、柔らかく形が変わっていく様子がとても不思議でした。透明な卵の白身を焼くと白くなって、冷ましても元には戻らないのはなぜなのかが気になって、目玉焼きやゆで卵を冷凍庫に入れても透明にならず、あきらめてあまり美味しくなくなったそれらを納得できぬまま食べたりもしていました。料理以外にも、理科で習った実験を家でやりたくて、アルコールランプやフラスコなどを買ってもらい、繰り返しやっていました。特に真っ黒な色をした二酸化マンガンが思い出深いです。
 このようなキャラの持ち主の関心にマッチする学問があることを知ったのは高校時代になってからでした。

 理系の家族・親戚がおらず、家業を継ぐように言われた記憶もない中、少年時代から思い抱いていた素朴な疑問や好奇心をごく自然に持ち続けた勝手気ままな私に対し、何ら進路を強要せずに薬学部の受験料を出してくれた両親には感謝しています。
 大学では、やはり実習が好きでした。反面、座学は、理解に努めたつもりでしたが、なかなかイメージが掴めませんでした。飲み込みが遅いのでしょう。目には見えない世界で、炭素、窒素、酸素そして水素などの元素が組み合わさった化学構造を持つ「物質たち」が、どのように手と手を取り合ったり離したりして姿形を変えていくのか、薬になる物質がからだの何処にたどり着いて、どんなメカニズムでからだに変化をもたらしているのか等々、化学反応や生体反応に関して神秘的なイメージを、気の向くままに思い描いていました。

 薬学部での実習を経験するに従い、次はあらかじめ結果がわかっている実験ではなく、未知の世界に踏み込みたくなります。そして、大学院時代に私の「いま」を導く出来事が訪れました。二人の後輩から公務員試験を受けると聞き、薬学を学んだその先にそのような進路があると思ってもいなかった私は、むしろそこに未知の魅力を感じてしまい、わずかな迷いも、誰に相談することもなく、瞬間的に喰いついてしまったわけです。
 これら折々の無造作とも天然とも言える経過を辿って、行政に携わることになってから早28年が経ちました。その中で薬学について気づいたことが二つあります。その一つは、薬学を学んだ人が幅広い分野で活躍していることからうかがい知る薬学の奥深さであり、もう一つは、「学生」と呼ばれなくなってからでも常に学ぶことの大切さです。

 2012年に6年制課程を修了した1期生が卒業して以来、5年間で既に4万人を超える卒業生が各方面で活躍しています。その約7割が薬局又は医療機関で仕事をしていますが、薬学部を卒業した人は、薬剤師資格の有無にかかわらず、研究開発分野をはじめとして、薬学教育を通じて培った実力をとても広い範囲で発揮しています。一方、薬剤師資格についても、医療現場で従事する場合のみならず、製薬企業において、自社製品の安全管理や品質管理に関する業務を統括するという重要な役回りを担う総括製造販売責任者や、製造現場の最高責任者である製造管理者に対する要件として法律上求められています。
 このような薬学修了者に対する多様なニーズは医学部などとは違った薬学の特徴でもあり、広範な活躍の場を有していることを実績として捉えれば、それだけ6年間の教育内容が多様な仕事に対応可能な資質を付与するに相応しい内容になっていると私は考えます。

 行政の仕事において、薬学で培った知識などは技術系職員に求められるアドバンテージとして活かすことができますが、直面するあらゆる課題に対して全て学生時代の「蓄え」だけで通用するほど甘くはありません。あらゆる職場環境において同様に思います。就業後、時の経過とともに科学は進歩し、各々の職場での要求も次第に多くかつ高くなっていきますので、行き着くところ、卒後にどの程度自らが研鑽に努めているかが鍵になってきます。
 その先には、努力した人が報われる世界があるべきです。研鑽の方法や対象は、各人が関心分野の違いなどに応じて各々選択することによって、そこから各人の専門性と得意とする分野が生まれます。それらが「個性」となって役割分担や連携につながっていけば、力強い限りです。昨今、「かかりつけ」になることを目指して、各種研修がかなりの賑わいを示しています。研鑚の必要性は今に始まったことではないのですから、元から地道に生涯を通じて長年自主的に研修されてきた人が本来の力を発揮し、高い評価と信頼を獲得できることを切に願います。

 2006年から始まった現在の薬学教育制度は、臨床に係る実践的な能力を有する薬剤師の養成を強く打ち出していますが、制度設計の趣旨として掲げられた「問題解決能力」は薬学教育そのものに対するメッセージであり、薬学出身者全員に向けられています。私は、薬剤師資格の要不要にかかわらず貢献し得る様々な分野において、種々の事象に関心を持ち、それらを受容し解決しようとする「意欲(好奇心、情熱、問題意識)」と、実際にそれらを理解し実行する「能力(探求心、行動力)」を培い、絶えず研鑽を続けつつ自らが得た能力をフルに活かすことができる人材を輩出する場所は薬学しかないと考えています。
 自身のこれまでを振り返ると、「自然体」と「こだわり」の繰り返しのように思います。満足すると今後が退屈になりますので、十分とは言いませんが、自然体で過ごした少年時代の先の必然的な薬学との出会い、そして薬学と出会ったことによってもたらされたその後の歩み。いずれもそれなりに幸せを感じています。それは、かなりの部分、周りの人のおかげでもあります。最後に皆様に感謝して本稿を終わります。ありがとうございました。