トップページ > 薬学と私 > 一般社団法人北多摩薬剤師会 会長 平井有先生 「くすり文化発掘と私」

薬学と私 第47回

 私は日本に30万人ほどいる薬剤師の、またそのうちの薬局での仕事にたずさわっている15万余の開局薬剤師のうちの一人です。
 ただ、あまたの薬剤師諸氏とただ一つ異なっている点は二十年余をかけて骨董市でくまなく集めた1万点を越える薬関係のコレクションのコレクターということです。 この度歴史ある薬学会のHPに寄稿させていただく機会に恵まれましたのはひとえにこの点について触れるためと察し以下駄文を書かさせていただく次第です。

 私はもともとは家業が製薬業だったこともあり薬学系の大学へ進学し薬剤師となりましたがGMPのためそちらの道は途絶、約40年前に薬局を開局いたしましたが医薬分業も黎明期であった当時の薬局を取り巻く環境は現代のそれとは大きく異なっておりました。
 その頃の薬業界の状況については多くの諸先輩が語られているので今回は遠慮させていただきますが、今で言うところのOTCの販売に明け暮れることに飽き足らず漢方つまりは東洋医学に傾倒したため三十歳代には鍼灸師の資格も取得し鍼灸医院も併設しました。

 そんな20年前のある日、たまたま立川市近隣の新撰組で有名な日野市の高幡不動尊で開催されていた露店の骨董市を訪れる機会がありました。そこには時代劇ですらお目にかかることのなくなった“お歯黒”や“貝殻に入った軟膏”などが売られておりました。
 古老より昔は軟膏は貝殻に入っていたと聞いたり、また書物の上だけでそんな話を読んだ事はありましたが“百聞は一見に如かず““論より証拠”で、実物の持つ迫力は格段のものがありました。
 もともと自分は歴史好きでしたが、薬剤師を生業(なりわい)としている者として、またその薬の世界のルーツや歴史を知りたかったこともあり、このような実物や現物に則した“くすり文化”の歴史をたどるあたかも発掘作業のような骨董市めぐりがこの時から始まりました。

 そのコレクションの数は5年以上前には1万点を超していたと思われますが、数を数える余裕もなく現時点での正確な数は不明で、収集しすぎて収拾がつかない状況です。
 その内容は多岐に渡り、例えば明治23年(1890年)から同25年(1893年)にかけての日本薬剤師会の前身の日本薬剤師連合会だった当時の木製看板[A]や日本薬学会と日本薬剤師会が合体し日本薬剤師協会となった昭和23年(1948年)から昭和37年(1962年)にかけての琺瑯看板[B]、昭和30年(1955年)の日本薬剤師協会出版の調剤指針第一版[C]などもあります。

[A]日本薬剤師連合会木製看板
[B]日本薬剤師協会琺瑯看板
[C]調剤指針第一版

 また各製薬メーカーも保管していない薬本体やその関連資料も多く、それらをまとめる意味を込めてコレクションの一部を12年程前から立川市薬剤師会の会報に毎月連載記事として執筆し、さらにそれらの一部を北多摩薬剤師会のHPにわかりやすく、面白い“くすり文化”を伝えることをモットーに“おくすり博物館”と題して公開をしてきました。是非ご高覧いただければ幸いに存じ上げます。

 この“おくすり博物館”では広範な“くすり文化”を通じて日本人の持つエネルギーを感じ取れますし、また例えば昭和という時代をみることも出来ますし、日本人の仕事に熱心に取り組む国民性や外国文化を受容しさらにより良く発展させる能力や、川柳にも通じる笑いの感覚なども読み取れることが出来ます。

 このHPを通してさまざまな問い合わせ、資料提供の依頼も多く、例えば新型インフルエンザ流行の兆しのあった頃にはほとんどすべてのTV局より昔の黒いマスクやマスクの発達史について、危険ドラッグが世間を騒がし始めた昨今ではヒロポンなどに関して、東大大学院生物情報工学研究室よりはオリザニン発見の鈴木梅太郎博士の業績に関して、防府市青少年科学館からは日本で初めて体温計を作った柏木幸助氏の業績に関して、玉砕の島サイパン島帰還兵の家族からは逃避していた洞窟で少女に塗ってもらった軟膏「ペルメル」について、東京医科歯科大学の大学院生からは修士論文への昔の処方せんの転用の依頼などなど実にさまざまです。

 また現在は2年前より東京都薬剤師会の会報「都薬雑誌」に売薬歴史シリーズを連載、薬学生・薬剤師向け情報誌[ミル]には薬や薬局に関する広告文化を連載、展示関係では大阪道修町にあります少彦名神社のくすり資料館に金看板や昔の家庭薬を貸し出し、9月に新宿西口で開催されますOTC啓発イベントや3月に幕張メッセで開催されますジャパンドラッグストアーショーにも同じくコレクションを提供しております。

 いずれはこれらコレクションをきちんとデータベース化し、日本のくすり文化の発展を伝える常設や企画展示を行える施設をと考えていますが、現時点では散逸したり消滅する前に少しでも多くの資料を骨董市で収集することで精一杯の状況です。

 ここで若い方々へのメッセージを込めてあるコレクションをご覧いただきたいと思います。
 その昔、薬局を経営している薬剤師は“街の科学者”と称されたことがあります。
 このコレクションは調剤室で薬の研究に熱心に取り組む“街の科学者“をモデルに図案化した戦前の売薬のパッケージで、薬剤師としての気概と誇りが感じられるデザインです。

[D]「複方ピリン散」
[E]「ピラミサン」

 ところが御覧いただいている日本薬学会のHPには次のような一文が書かれています。(日本薬学会HP⇒薬学への招待⇒薬学はヒトにやさしい専門家を育てます。ヨリ)

『薬剤師はくすりの責任者として、患者さんの笑顔のために奉仕します。
わたしたち薬剤師は信頼される「まちの科学者」です。
身近な相談相手として、安心して住める社会をつくるために貢献します。』

 かつての薬学教育は有機化学を中心に組み立てられていましたが、現代では調剤や薬の販売に代表される薬剤師の仕事は、在宅訪問や病院においても病棟業務など患者さんにより接近、密着したものとなってきています。
 その他学校薬剤師業務や薬物乱用防止教育、そしてスポーツファーマシストとしてさらには災害時の医療スタッフの一員として避難所の衛生管理まで含めた責務に取り組む姿は昔以上に国民の薬剤師に求める“街の科学者“としての役割の高まりや広がりを物語っています。そして我々は確実に“街の科学者“としての遺伝子を引き継いでいるものと思います。