トップページ > 薬学と私 > 千葉大学大学院看護学研究科 ケア施設看護システム管理学 教授 酒井郁子先生 「看護学から見た薬学」

薬学と私 第44回

 千葉大学では、亥鼻IPEという専門職連携教育を行っている。医学部、看護学部、薬学部の学生がチーム活動を通して、将来ともに働くための能力を獲得することを目指した教育カリキュラムである(https://moodle01.m.chiba-u.jp/ipe/index.html)。
 その活動にかかわって、7年が経過した。3学部の学生を教育するには、3学部の教員が連携・協働することが求められる。この活動がなかったら、看護学部の教員である私はたぶん、薬学、そして薬剤師という存在を今のように身近に感じたりはしなかったのではないかと思う。
 薬学者は、不思議な行動をとる(しかしたぶん、看護職も医師も薬剤師からみたら、不思議な行動をとると思われているであろう)。たとえば、飲み会でビールをついでもらうとき、必ずラベルを上にしてついでくれる(そういう習性なのだと薬学部の教員に教えてもらった)。うちの娘が中学校の時、理科の実験でトマトの皮の切片を何千枚も作ったという話を、同僚の薬剤師や薬学部の教員にしたら、目を輝かせながら「切片づくりってさあ、大変だけど、はまるよねー」。。。私には、まったくわからない(笑)。そして「その研究って、つまり、どんな結論だったの?」と本気で突っ込む。
 薬学部でのミーテイング終了後、大雨が降ってきて、どうしようか、といっているとラボから何本も置き傘を持ってきて、みんなと一緒に看護学部までついてきてくれて、傘を回収してラボに帰っていく。クールだけど、やさしい、そしてちゃんと始末をつける(つまり傘は持って帰るのである)。記憶力がいいので、「2年前に先生、こういってたじゃないですか」とおっしゃって、びっくりさせてくれる。2年前のことなんか覚えていない私は、ドキドキしてしまう。だけど、「それって筋が通らないですよね。意味わかんない」と理屈や理論が通らない議論に対してピシッと反論したりして。
 彼、彼女らは、どんなふうに薬学と向き合い、自分のものにしていくのだろう。ラボでのふるまい方をどのように身につけていくのだろう。顕微鏡の画像のその先にいる患者さんをどういう風にイメージしているのだろう。

 看護学から薬学を見ていて、ほんとにおもしろいなと思うことがある。たとえば「構造」という用語である。看護学の人間が「構造」といった場合、質的なデータから理論とモデルを構築するときに使う。「看護の構造」とか「患者の希望の構造」とか言ったりするわけである。それは抽象度が高く、はっきり言うと研究者の主観でもある。でも主観というものを大切にする学問であるから、論理的に説明がついていれば、それは別にかまわない。それは看護する上ではとても大切な知見となる。
 医学では「構造」といったら、「人体構造」。つまり、人間の体の形態機能、細胞の構造だったり、消化管の構造だったりする。
 でも薬学の「構造」はというと、亀の甲羅だったり、分子構造だったり、本当の構造なわけです。同じ用語でもその意味するところは全く違う。違うところを見ているんだなって、そういう時に実感する。
 以前、プラハの学会に薬学部の教員と一緒に参加した。プラハには世界最古の「薬学博物館」というのがあって、時間を見つけて一緒に訪れたことがある。錬金術師発祥の地であるプラハ。薬学部の先生から解説してもらいながら、薬というものの意味を考えた時間であった。薬師と錬金術師をオリジンにもつ薬学。現在も実はその流れがあるのかなと思う。薬剤師養成と薬学者養成、この二つの流れは、時に合流し時に反発しつつも、薬学という大きな流れを作っているのかと、ふと思うことがある。

 看護学は、健康に焦点を当てて、患者さんのセルフケアの力をなるべく活用して、その人が決めた自立を実現できるようにしていくときに使う知識と技術である。患者さんに合わせて、看護の道具である「自分」を使っていく。医学は診断と治療。乱暴に言うと、治してなんぼの世界。だから成果にこだわり、効率を求める。
 薬学は、医療の中にあり、科学者である。薬から患者を見て、薬から治療の原則を見抜く。薬学がなかったら医学も看護学も実は成立しないのだと思う。だって薬がなかったら内科医は治療できないし、外科医は手術できない。薬がなかったら、看護学はほんとに手当てだけになってしまうだろう。
 人間を対象としつつも、「薬」を焦点にして、科学として大きな成果を作り上げている薬学に、看護学の人間として、リスペクトを抱いている。研究の本質を理解しつつ、そこにとどまらずに実践適用まで責任を持つのが薬学であり、地道な実験を繰り返し、真実を明らかにしていくその過程を、黙々とこなしていく薬学者というのは、ほんとにすごい人たちである。若い学問である看護学から見たら、研究に対しての真摯な、そして謙虚な姿勢を見習わなくてはいけないといつも思っている。

 看護学の人間として、薬学の人と一緒に働けたらなあといつも思っている。研究、教育、実践、医療人として患者のQOLの向上をともに目指すというその一点において、分かり合えると感じている。用語の違いや価値観の違いは対話によって理解が深まり、決してバリアになるものではない。
 だからこそ、お互いとともに、お互いから学び、お互いについて学ぶ、ということを、学問を超え、領域を超え、時間をかけて信頼を築いていけたら、日本の医療はもっと良くなるのではないか、と夢を抱いている。そして、それは現実のものになろうとしていると感じている。