トップページ > 薬学と私 > 東海大学医学部内科学系/漢方医学 准教授 新井信先生 「『漢方の魔術師』に憧れて」

薬学と私 第43回

 私は薬学人としては多少変わった経歴を持っていて、薬学部を卒業した後に医学部を再受験し、今は医師として東海大学医学部で漢方医学の臨床、教育、研究、普及に従事しています。私がなぜここまで漢方にのめり込んでしまったのか、そんな一人の風変わりな人間がたどった経緯とその思いを綴ってみたいと思います。

 私は昭和33年、私は埼玉県秩父市で薬局の次男として生まれました。父は独学で漢方を勉強して、91歳を過ぎた今年の8月までずっと現役で漢方を中心とした相談薬局を開いていました。私は幼い頃から父の調剤室に並べられた生薬を見ながら育ったため、いつしか父の姿と自分の将来を重ね合わせるようになりました。小学校6年生の時に書いた「10年後の私」という文集に「漢方の魔術師になっているだろう」と書いた記憶があります。
 私は薬局の後を継ぐためにいったん薬学部を卒業しましたが、2人兄弟の兄が医学部に進学したこともあり、どうしても医学を学びたくて、海軍薬剤官上がりの頑固な父を何とか説得して医学部を再受験しました。卒業後は東京女子医科大学消化器内科で西洋医学の研鑽に励むと同時に、その傍らで漢方薬も時々処方することもありました。

 医師になって初めての夏、私にとってのビギナーズラックが訪れました。肝硬変で食道静脈瘤硬化療法を目的として入院していた小太りの老女でした。入院後に途中から担当になった研修医の私が「治療がうまくいってよかったですね。これで安心ですよ。」と声をかけると、「ありがとうございます。でも。。。でも、ちっとも良くなっていないんですよ。」と。よく聞いてみると、ゲップがつらくて大学病院を受診したものの、そこで初めてC型肝硬変と食道静脈瘤が発見されたそうです。当然、そのために入院となったのですが、その治療はうまくいっても、一番つらいゲップが少しもよくなっていないと言うのです。
 私は漢方薬で何とかできないものかと考え、実家の父に電話しました。父は一通りの状況を聞いた後、「それは生姜瀉心湯だ。家族に八百屋で生姜を買ってきてもらって、それを親指の頭くらいすり下ろして、お湯に溶いた半夏瀉心湯エキスに加えて飲ませてみたらどうだ。」と言うのです。私はすぐに父の言う通りにしました。
 2日後、その患者の所に行くと「先生、止まりましたよ。」と満面笑みで迎えてくれました。この患者にとって西洋医学だけでは不満足でしたが、漢方と西洋医学の両方で治療することで、本当の意味での治療ができた、私にとっては初めての非常に衝撃的な症例でした。

 私にとってとても幸運な巡り合わせでした。平成4年3月、女子医大に附属東洋医学研究所が開設され、それに合わせて私も消化器内科から東洋医学研究所に移籍しました。そこで当時、代田文彦教授と佐藤弘助教授と出会い、さらに私が生涯、師として尊敬している松田邦夫先生にお会いすることができました。そして、北里研究所東洋医学総合研究所では大塚恭男先生、丁宗鐵先生という大家の先生方に教えを乞いました。その後13年間、女子医大は患者数も多く、漢方の臨床を本格的に勉強するうえで最高の環境でした。

 私の夢はそもそも「漢方の魔術師」、つまり非常に腕のよい漢方臨床医になりたいということでした。かつて、私の師匠から「患者を自分の親だと思って治療しなさい。」と言われたことがあり、日々の診療では、臨床医として、漢方はもちろんのこと、西洋医学も含めた総合的視点からの診療を極力心がけています。そして、さまざまな治療で治らなかった患者が漢方薬で良くなったと喜んでくれることが、今も私にとっては何事にも替えがたく、まるでバカではないかと思うほど嬉しいのです。
 ところが、大学に在籍するということは、臨床だけでなく、教育、研究、普及、さらに会議や学会業務など、いわば“雑用”をたくさんこなさなければなりません。ですから、一時は漢方専門で開業しようかと考えたこともありました。しかし、大学教育に長年携わっていたせいか、次第に「開業は年を取ってもできるけれど、個人レベルでとどまっている漢方を大学で広めることは今しかできないだろう。」と考えるようになりました。

 大学で自分が考える漢方を自分の思うようにやりたい。そんな思いで私が東海大学に移籍したのは平成17年のことでした。ある漢方メーカーの寄付講座でしたが、西洋医学のど真ん中に一人で入り込んで、西洋医学とはまったく異なる漢方を大学医学部で認知させるにはどうしたらよいか、まさに行動力と実績が問われる日々が続きました。その結果、徐々にですが賛同する先生方が増え、7年前には神奈川県4大学医学部(北里大学、聖マリアンナ医科大学、横浜市立大学、東海大学)の医学部長を中心とした漢方教育の大学間連携組織「神奈川県4大学医学部FDフォーラム」を立ち上げ、昨年には全国の大学医学部の漢方医学教育担当者を集めた「日本漢方医学教育協議会」を組織するに至りました。
 私は今、定年までの残り10年間、遅滞した大学における漢方教育を西洋医学をベースに推進していこうと決意しています。私一人のためではなく、漢方を愛する多くの人たちが「漢方の魔術師」になれることを願って。

 私の経歴などは本当にどうでもいいことです。大切なことは「夢を思い続けること」だと申し上げたいのです。世界最高齢の80歳でエベレスト登頂を果たした三浦雄一郎さん、iPS細胞でノーベル医学賞を受賞した山中伸弥教授、みんな自分の夢と信念を持ち続けることの大切さを語っています。私の場合、たまたまその夢が「漢方」だったということです。そして、間違いなく言えることは、夢はとにかく大きい方がいい。不老長寿の薬の開発でも、世界中にあふれる難民救済でも、世界一の長寿をめざした地域包括医療の確立でも、ノーベル賞受賞でも、宇宙飛行士でも、サッカー選手でもいいのです。少年や少女の頃に持っていた純粋な夢を絶対にあきらめずに、思い続けることこそが大切なのです。そうすれば、たとえ形は違っていたとしても、いつかきっとその夢に近づけると確信しています。12歳の頃に「漢方の魔術師になりたい」と夢見ていた田舎の少年は、56歳になった今でもまだ同じ夢を追い続けています。