トップページ > 薬学と私 > TITV(Tahara Initia TV).ch 主宰 株式会社イニシア 代表取締役 田原一 氏 「外からの視点で医療現場及び社会への貢献を考える」

薬学と私 第32回

 私が生まれたのは秋田県の小さな町です。八郎潟のほとりにあって私が生まれた頃は、八郎潟干拓事業が最盛期で人口がまだ多い時期。その町でただ1軒の薬局を薬剤師である父が営んでおり、朝6時半頃から夜8時過ぎまでの開局時間内には薬を求める多くの客が薬局を訪れていました。閉局後の夜でも「子供が熱を出した」などと電話がかかってくることもしばしばで、父は調剤室の横の路地に面した窓に、小さな夜間休日用窓口を作りました。
 そのような環境で育ち高校に進学しましたが、理数系はまったく苦手で文系志望のところ、両親などとも「とりあえず薬学部を出て薬剤師の資格を取ってから、何か自分の好きな道を探すなり、他の学校に行ってはどうか」という話になり急遽理系に転向、運良く薬学部に進学することができました。

 薬学部の学生時代は、とにかく現場を知っておこうと考えました。2週間の病院実習制度しかない時代でしたので、病院、薬局関連のアルバイトを探しました。先輩の紹介で始めたのが、診療所の夜間診療の調剤助手のアルバイトでした。
 3年生に進級すると、薬理学の授業が始まりました。授業では、薬効別に一般名が出てきます。そのときに自分でも驚いたのですが、一般名と製品名が頭の中で一致し、さらに剤型やシートの色、形状までが頭に浮かぶようになっていたのです。これは2年間の調剤助手アルバイトの効用です。薬学部に入って初めて、授業が楽しいと感じました。
 授業を受け身で聴くだけでなく、自らの行動に結びつけて考えることができたこと、学生であっても「医療現場」という大学「外」からものを見る習慣が出来たこと、さらに「現場に答えがある」ことなどを、身をもって体験しました。

 卒業も近づいた頃「薬学部を出たら好きな道に」という話でしたので、就職や進学はあまり考えず、代わりに何をしようかと考えた末、鍼灸学校に行くことにしました。当時は「薬剤師は患者に触ってはならない」という伝説が今とは比べものにならないほど強かった時代です。薬剤師がバイタルサインを採る、フィジカルアセスメントをするなどという時代が来るとは夢にも思いませんでした。
 鍼灸学校の入学が決まった後、卒論ゼミの教授のところに相談に行き、教授の紹介で大田区蒲田の保険調剤薬局に勤務することになりました。
 通学した鍼灸学校は3年制でした。当時、時間にもお金にも余裕があったわけではありませんが、「早く様々な知識を身につけたい」という気持ちからビデオデッキを購入、録画したNHK教育(当時)番組「今日の健康」を、夕食時にメモを取りながら視聴するという毎日でした。
 もうひとつ将来に向けて必要と考えたのが経営の知識です。中小企業診断士の資格はすでに出来ており、その通信教育講座を受講しました。今でも思うことは、そのときにもっと財務管理や簿記について学んでおけばよかったということです。

 薬局勤務時代に話を戻しますが、勤務3年目には「調剤だけでなくOTCも」という考えが頭をもたげ、ドラッグストアで働いてみることにしました。
 原宿、表参道の裏通りにあるドラッグストアです。来店客が自分で症状を言い、さらに話を聞いて症状にあったOTCを勧めるというケースがかなり多かったのを記憶しています。そして1年が過ぎ、鍼灸学校卒業と同時に外資系製薬企業に1986年4月から入社しました。
 医薬情報担当者として、いわゆる「営業」をするにあたって考えたのは、「自分がいなくても売れるしくみをどう作るか」、「一度の訪問で複数の製品を紹介すれば、効率よく売上が上がるのではないか」、「採用件数と処方量を増やすプロセスは異なるのではないか。特に病院での採用においては、薬剤部にもしっかりとメーカーのプレゼンスを植え付けるべきではないか」ということです。これは中小企業診断士の勉強が役立ったのだと思います。
 この製薬企業は面白い仕組みを持っていて、全国から10名ほどの医薬情報担当者を選抜し、本社スタッフと合同のプロジェクトチームを結成、会議をするのです。つまり本社の政策が現場にあっているかを確認しながら行っていくということです。そこで思ったのは「常に答えは現場にある」ということです。当時から今に至るまで「現場主義、現場第一」という考えを持つきっかけになったのが、この本社プロジェクトチームでの活動でした。
 また車での営業活動の間、私は終日カーラジオで「FEN(Far East Network:極東放送網。現在のAFN)」の英語放送を流しっぱなしにしていました。結果、TOEICスコアが面白いように上がっていったのを覚えています。

 医薬情報担当者として充実した日々を過ごしていましたが、ある日ふと手に取った日経新聞の求人欄に「医薬品業界専門のコンサルタント候補募集」という文字が。結局3ヶ月後にそのコンサルタント会社に転職しました。そこで私がやりたかったのは医療界、製薬業界を外から眺め、コンサルテーションしていくこと。個人としては、まず講演や執筆が出来るようになりたい、次にコンサルタントとしての現場での活動というステップを考えていました。
 コンサルティング会社入社後、1990年に共著で「よくわかる医薬分業100問100答」(ユート・ブレーン刊)という本を著しました。これは当時の厚生省や各都道府県薬剤師会でも参考図書として活用していただきました。

 1997年に勤務していたコンサルタント会社の上司と2人で独立しました。それが現在の「株式会社イニシア」です。
 近年では、製薬企業向けソリューション(問題解決)への事業シフトを行い、具体的には病院長対策、薬剤部対策、疾患別・診療科別製品プロモーション戦略構築支援、保険薬局対策などを個別及び複数のクライアント企業に対して、提案、実行というものです。さらにインターネットによる動画配信、映像コンテンツ制作なども手がけています。
 最近では私が主宰する「TITV( Tahara Initia TV).ch」事業においてデジタルコンテンツ、facebookなどSNSをツールとして、医療介護の質向上を支援するサービスを展開しています。私自身がキャスターを務め、医療や薬学関連、そして医療制度や経営に関する番組配信を行っています。

 薬剤師という資格は、実際に医療現場で生かしても良し、また医療現場以外のスタンスにおいても活用が可能で社会貢献ができる資格であると考えます。
 そして薬学は、そこに学んだことで身につけた知識や人脈、独自の発想を様々なスタンスで活用することができる、非常に「懐の深い」学問分野であると言えます。外からの視点で、薬学に関わる方のみならず広く一般の方々の役に立つような事業展開を行いつつ、薬剤師以外の方々に薬剤師の存在や、薬剤師の仕事の重要性をアピールしていくことが私に課せられたライフワークと考えています。