5. いざ、サンディエゴ、そしてまさかの…137写真2 Ferring サンディエゴ研究所Chemistry Departmentの 仲間たち 後列右端から3人目がJohnny、右端が筆者(2023年撮影)。とのことでもあり、単純すぎるかも知れないが、「一緒にチャレンジしたい」と思わせるリーダーであった。渡米以来一番長く過ごしたニューヨークとそこでお世話になった共同研究者や仲間たちと離れるのは寂しいものの、どのような形かはわからないが、いつか再び彼らと一緒に研究することを将来の目標に、またFerringで新しいチーム構築に関われることへの期待を胸に、2022年夏、家族共々西海岸へと移動した。 Ferringは歴史的にペプチド創薬に強みをもち、複数の製品を有する製薬企業である。サンディエゴ研究所も以前はペプチド創薬に注力していたが、数年前から研究対象を低分子創薬へと徐々に移行していた。それに伴い、メドケムチームだけでなく、Pharmacology、DMPK、Toxicologyなど、研究所のおよそすべての部門が新たに再構成されつつあった製薬企業である一方で、スタートアップバイオテック企業のような組織でもあった。Johnnyと同様に、製薬企業やバイオテック企業で経験を積んだ新任リーダーの元、各部門が形作られていくプロセスは刺激的で、多様なバックグラウンドをもつ研究者たちとの議論は、筆者がそれまで経験し当たり前と思っていたことと異なる意見も多く、いつも興味深く、また学びも多かった。これは新組織立ち上げに関わることで得られるメリットかもしれない(写真2)。 そこではプロジェクトチームの運営に始まり、化学系CRO各社との契約取りまとめと共同研究マネージメント、化合物ロジスティックス構築、新入社員のリクルートなど、さまざまな実務を担当した。社外CROとの共同研究においては、地政的要因によるリスクの回避を念頭に置き、北米、アジア、ヨーロッパ各地に所在する複数のCROと契約した。各社で異なった特徴があり、プロジェクトごとに適性を見極めてリソースを配置せねばならず、試行錯誤の連続であった。またFerring研究部門自体、本社はスイス、研究開発の本部はデンマークに所在し、サンディエゴ研究所も加えたグローバル組織として活動しており、必然的にプロジェクトマネージメントの難易度が高くなる。Tri-I TDIで学んだThe One Thingを強調してスピード感をプロジェクトにもたせることを意識したところ、他のメンバーからも好評を得、Tri-I TDIでの経験が役立ったのは嬉しかった。 新メンバーも続々と入社し、いくつか新規プロジェクトも立ち上がり、研究所としても軌道に乗り始めたころ、筆者の担当するプロジェクトの一つで開発候補化合物を見出すことができた。さあこれから、という昨年春のある日、研究所員全員が会議室に集められ、研究所の閉鎖予定が告げられた。室内は呆然とする人、喚き出す人、席を立つ人が混じった混沌とした状態で、自身もにわかに信じられず、しばし呆然とするのみであった。とにかくそこから数ヵ月は、後片付けとデンマークのグループへの業務の引き継ぎに忙殺されることとなった。 しかしながら、このような混沌の中でも、新たなチャレンジを模索してさまざまな議論が直ちに開始された。上記化合物の薬としての可能性を強く感じていた、筆者を含む研究所員数名を中心として社内での開発可能性を議論するとともに、スピンオフ新会社を設立してそこでプロジェクトを継続させる可能性を模索した。結果として、先の候補化合物を含むアセットの活用を目的として、元プロジェクトメンバーであったYong Yue博士、Aritro Sen博士、筆者をCo-Founderとする新会社(Maipl Therapeutics, Inc.)を設立するに至ったのであるが、いかにビジネスモデルを立案してFerring経営陣の合意を得るか、そこに至るまでの過程は、これまで研究しかしてこなかった筆者には新たな学びの連続であった。ただ振り返ってみると、ここでも人との出会いとThe One Thingが最も重要なポイントであったと思う。 Yongはベテラン創薬研究者で、かつスタートアップ企業の設立経験を有しており、Maipl Therapeuticsにおいても、CEOとしてリーダーシップを発揮している。Aritroはアカデミアでの研究経験が豊富な治療領域エ
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