3. 新天地、ニューヨーク135写真1 Tri-I TDIでの実験開始を祝って 右端がMike、左端が筆者、そのとなりが麻生氏 (2014年撮影)。ことにある。とはいえ、実際の創薬研究はTrial&Errorの連続であり、またしばしば成功例をSerendipityと形容することがあるように、予定どおり、また理詰めでは必ずしも前進しないのが創薬研究の難しさでもある。ドライなディシジョンと粘り強さをいかにバランスよく取り入れるかが、研究マネージメントにおける課題の一つと感じた。ただ、今になって思うが、日本人Medicinal Chemistの合成化学におけるパフォーマンスの高さ、化合物デザインの独創性、さらに壁にぶつかったときの粘り強さは、他国の研究者と比べても相当に高いレベルにあると実感するので、特に若手の皆さんにはぜひ自信をもって研究を進めていただきたい。ともかく、シビアかつハイレベルな日本の製薬企業での実務をキャリアの初期の段階で経験できたこと、ならびにバイオテック企 業の研究スタイルに触れることで、自身のMedicinal Chemistとしてのベースを形作れたのは幸いであり、当時の上司、先輩、同僚の皆さんには感謝しかない。 2013年も終わりに差し掛かったころ、社内である公募が発せられた。それはニューヨークにある3つの医学系大学院である、Rockefeller University(RU)、Memorial Sloan Kettering Cancer Center(MSKCC)、Weill Cornell Medical College(WCM)が共同で非営利の 創薬研究機関を大学キャンパス内に設置し、武田薬品 がパートナーとして運営に参画し、そこに複数名のMedicinal Chemistを派遣するので希望者を募る、とのことであった。その機関名は3つの異なる大学医学部とのことから、Tri-Institutional Therapeutics Discovery Institute(Tri-I TDI)と名付けられ、3大学に所属するPrincipal Investigator(PI)たちから提案される、ごく初期の創薬ターゲットのProof of Concept(POC)を迅速に取得し、また多数のアイデアを正確かつ早期に検証、見極めることが期待された。Tri-I TDIの設立経緯ならびに役割については、麻生和義博士による本誌への寄稿1)に詳しいのでここでは述べないが、相当数(述べ50名以上)の日本人Medicinal Chemistを挑戦的で、かつ海外の第一線のアカデミア組織に派遣させるというのは、一製薬企業としてとても大きな決断であったのではないかと思う。 さて、公募が発表された時点ではTri-I TDIはまったく新しい組織とのことで、事前に収集できる情報はごく限られていた。しかしCEOはすでに決まっていて、Mike Foley博士とのこと。Mikeとはそれまで直接会ったことはなかったが、筆者もポスドクとして過ごしたStuart Schreiberラボ出身のMedicinal Chemistで、Broad Instituteの設立に深く関与し、また複数のバイオテック企業の設立に関わった起業家としても有名であったのは知っていた。単純に「これは面白そうだ!」と内心前のめりになりながらも、小さい子供を含む家族連れでニューヨークに住むことに怖気付いてもいた。ただこれを見送ると今後このような機会はあるのかもわからないし、そもそもまったく新しい組織にFounding Memberとして加わる機会はそうあるものでもない、と心を奮い立たせて応募することにした。その当時はこの決断が研究者人生の大きなターニングポイントとなるとは夢にも思わなかったが。 その後無事に採用され、ほどなくして現地でチームでの活動が始まった(写真1)。新しく建築された建物内のラボは空っぽだし、毎日が手探りで、今思い返しても冷や汗が吹き出るような厳しい日々が続いたが、Mikeならびに麻生氏のリーダーシップの下、メンバーがそれぞれ自主性をもって各大学のPIや共同研究者と議論、研究環境を整備することで、1ヵ月掛かったが、いやわずか1ヵ月しか掛からなかったと言うべきか、新設のラボ内で合成実験を開始することができた。自分たちでなんとかラボを立ち上げられたことを誇らしく感じたとともに、これまでは武田薬品研究所という巨大組織でたくさんの方からのサポートをうけることで、研究に集中できていたことに改めて感謝した瞬間であった。Tri-I TDIではその後の8年間を過ごすことになったが、本当に沢
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