9. ポスドクとしての研究環境8. 研究所の環境14探索に加えて、タンパク質工学、トランスレーショナルリサーチにも強みがあり、大学・財団・企業のパート ナーとの共同研究を行っている。現在までに、Calibr研究所は、変形性関節症、心臓病、線維症、多発性硬化症およびがん等、多くの疾患領域に対する医薬品候補のパイプラインを生み出し、今後2年以内に5~10種類の新しい分子の臨床試験への移行を予定している。実際、がんに対する「Switchable CAR-T Platform」ならびに M. Lotz先生との共同研究から見つかった変形性膝関節症に対する低分子薬で、フェーズ1臨床試験が進行中である。 Calibr研究所は、スクリプス研究所から車で5分ほどのところにある。建物には鍵がかかっており入るのにも一苦労で、スクリプス研究所の他の研究室と共同研究するのとは異なりかなり骨が折れるが、いかにもバイオテクといったガラス張りの美しい建物である。 スクリプス研究所のPIにとって研究費、特にNIHグラントの獲得は最優先事項である。基本的に給料は100%グラントから支払われるため、取れなければクビになる。逆に研究費さえ取ってきていれば自由に研究でき、極めてアメリカ的である。研究室運営には、大きめのグラント、通常NIHのR01相当のグラントが2個程度必要である。また間接経費も少し前までは直接経費の100%であったが最近問題になり下がった。さらに十分な間接経費を支払えないグラント・奨学金には申請できないという制約がついている。1人でグラントを書いて研究費を取ってくる力が必要であり、外部から来た若手PIにはなかなか厳しい環境である。このような環境であることから、人の出入りが激しい。2021年には、スクリプス研究所の別キャンパスであるスクリプス・フロリダ研究所が財政難によりフロリダ大学に売却された。スクリプス・フロリダ研究所はアメリカ有数のスクリーニング設備を有していたが、財政難に加え、Calibr研究所とスクリプス研究所の合併によりスクリーニング施設の必要性が下がったことが原因であると思われる。 このような激しい環境の中、どこ吹く風といった態度で研究しているのが、筆者(北村)の恩師の1人、昨年2度目のノーベル化学賞を受賞したK. Barry Sharpless先生である。サイエンスの根本を進めることに特化しており、サイエンス、生き様ともに自由奔放で、こんなに自由でいいのかというほどにやりたい放題である。Schultz先生が政治面では研究所のトップであるが、Sharpless先生がスクリプスのサイエンスをもう一方の端から引っ張っている。 研究室間の直接的な競争はなく、どちらかというと良い刺激を受けあっている。日本あるいはアメリカ東海岸のある大学でたまに聞く、隣の研究室とは話したこともない、といった険悪な研究環境ではない。とはいえ、どの研究室も創薬を志向する研究をしていることから、似た内容のことを別々の研究室で行っていることもある。例えば、共有結合性創薬開発は、Ben Cravatt先生によるABPP法の開発の貢献が非常に大きいが、一方でJeff Kelly先生も同様なアプローチをInverse drug discoveryとして独立に提唱している。 スクリプス研究所において、PIと比べてポスドクは気楽であり、世界トップクラスの研究を満喫できる。留学するにはサンディエゴの気候自然も含めて良い環境である。オープンな環境で基本的に学部の垣根はなく、また研究室間の交流も盛んである。筆者(北村)は、もともとWolan研究室に所属していたが、共同研究を始めて徐々にSharpless研にも所属するようになり、またWolan先生のGenentech社への異動に伴い、Ian Wilson研にも所属することになった。結果的には最先端の化学と構造生物学を学ぶ良い機会になった。10. おわりに 筆者(藤井)が、スクリプス研究所に留学してから25年以上の月日が過ぎた。当時(1989年)は、スクリプス医学研究所(Research Institute of Scripps Clinic)という名称で、免疫学の分野ではよく知られていたが、化学の分野では無名であった。同年、Nicolaou先生、Wong先生が研究所に移ってこられたことをよく覚えている。1991年、スクリプス研究所(The Scripps Research Institute)に改名され、恩師のLerner先生が初代研究所長に就任した。その後、Sharpless先生をはじめとする名だたる化学者が招聘され、最先端科学の研究所ができ上がった。北村先生からの紹介にあるように、時代に合わせて変貌してきたが、いまでも世界トップクラスの研究所であり続けている。残念なことに、2021年12月、
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