MEDCHEM NEWS Vol.32 No.1
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3. 重水素化医薬品(ヘビードラッグ)の開発42図1  重水素化医薬品:デューテトラベナジン図2  重水素スイッチによる重水素化医薬品の開発例リル酸メチルをはじめとするポリマーの光ファイバーへの応用研究が行われてきた5)。また、重水素標識化合物は未標識体より耐熱・耐酸化性が向上するため、機能性や耐久性を向上させた重水素標識有機EL材料や半導体の合成と実用化を指向した研究開発が激化するなど、有機合成化学と材料化学の発展に伴って利用価値がますます高くなっている6)。 C-HとC-D結合を比較すると、重いDを含むC-Dは振動エネルギーが大きくなるためより安定である。また、質量が大きい分子の運動速度はわずかに小さくなり、化学反応速度を有意に遅延させることも同位体効果の1つとしてよく知られている。これらの結合安定性や反応性の特徴を応用して、医薬品代謝部位近傍の水素を重水素に変換した「重水素標識薬」が注目されている。同位体効果が働いて代謝、排泄などが適度に遅延され、薬効持続性が向上して投与回数や投与量を軽減できるため、安全性と服薬利便性の向上が期待されるなど注目されている。 1960年代に、チラミン-d28)の代謝がそれぞれの親化合物よりも遅延されることを示す論文が報告されている。生物活性物質のC-HをC-Dに置き換えた先駆的な研究例である。1970年に米国メルク社は、重水素含有医薬品候補化合物としてフルダラニン9)を臨床試験に進めたが、後期第二相で重水素とは無関係な副作用が指摘され開発は中止された。2017年、デューテトラベナジンがアメリカ食品医薬局(FDA)により、はじめての重水素化医薬品(ヘビードラッグ)として承認された(図1)10)。ハンチントン病に伴う舞踏病治療薬として、古くから臨床使用されているテトラベナジンの2つのメトキシ基を重水素標識したもので、持続性と安全性がより高いことが臨床的に示されている。デューテトラベナジンの承認を契機に、既存医薬品に重水素を導入する流れ(重水素スイッチ)が活発化している。すでに多くの重水素標識医薬品候補化合物の特許が出願され、臨床開発も進められている(図2)。アルツハイマー病患者の焦燥性興奮抑制に利用されるデキストロメトルファン-d6・キニジン合剤は、心血管系副作用の原因となるキニジンの投与量減量に有効であり、FDAのファスト・トラック指定を受け第三相臨床試験7)やモルヒネ-d3段階にある11)。また、パーキンソン病に伴うジスキネジア抑制には、デューレボドパがレボドパに比べて約1.5倍有効であることが前臨床モデルで示されており、第一相臨床試験段階にある。デューレボドパは中枢でデュードパミンに代謝されて活性発現するが、モノアミンオキシダーゼ(MAO)やドパミンβヒドロキシラーゼ(DBH)による代謝が遅延され持続性が向上する12)。また、特発性肺線維症などの治療薬、ピルフェニドンに重水素を導入したデューピルフェニドンは、COVID-19に伴う肺線維症治療薬として第二相臨床試験段階にある13)。 ヘビードラッグ開発における異なるアプローチとして、重水素を分子のキラリティー制御に利用する方法も注目されている(図3)。血糖降下薬のピオグリタゾンは、光学活性体を投与しても生体内で容易にラセミ化するため、ラセミ体として使用されている。しかし、その不斉炭素上に重水素を導入したピオグリタゾンは、ラセミ化が抑制され、より優れた薬理作用をもつ立体異性体を医薬品として開発できる。重水素化ピオグリタゾンのS体は、体重増加や体液貯留の副作用を示すが、R体には当該の副作用がほとんどないため臨床的に有利で14)、糖尿病に伴う脂肪肝炎(NASH)治療薬として第二相臨床試験段階にある。このアプローチは、キラルスイッチが困難な数多くの医薬品への応用も期待される。 必須栄養素に重水素を導入した化合物とその誘導体も、医薬品候補化合物として臨床研究が進められている(図4)。リノール酸は体内に広く存在する不飽和脂肪酸である。しかし、2つの二重結合に挟まれたメチレン部位は極めて酸化されやすい。重水素置換により酸化反応を抑制したリノール酸エチルエステル-d2は、難病指定動向

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