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活薬のひと

本日は、日本薬学会の理事、平井みどり先生、望月眞弓先生、石井伊都子先生にお集まりいただきました。先生方は、お三方共に女性であり、薬剤師であり、薬学部の教員を経て、現在は大学病院の薬剤部長としてご活躍です。とても豪華なメンバーからお話しを伺う機会をいただいて、わくわくしています。

(司会)まずは、この学会との関わりについてお聴かせください。

病院の研究室で基礎研究をやっていたので、最初に薬理学会、その次に自然に薬学会に入りました。薬学部で教育に関わるようになって臨床現場と教育の場を繋ぐような感じだったんですけど、12年ほど教鞭をとって今は母校の方へ戻って、医療現場の中で基礎研究と臨床を結び付ける研究や、調査研究、薬剤師業務に直接関係する研究をやっています。となると、若い人達の発表は薬学会か医療薬学会、そんな感じですね。
 薬学会とのお付き合いもずっと続いていて。理事として学会の運営側になったときは、やっぱり伝統や歴史があって、かっちりしていると目を見張りました。薬学会はこれまでの積み上げがあるなと今も感じています。

私は、先生方とちょっと違って、卒業後は製薬企業にいたので、発表よりも情報収集の形で薬学会に参加していました。そのあと大学病院の薬剤師になってからは、薬学会はなんとなく敷居が高くて。医療現場の薬剤師が薬学会に参加するのは少なかったような気がします。当時はね。どのくらい前とは言いませんが…(笑)。現場で見つけた課題を研究した成果は病院薬学会、今の医療薬学会で発表していたので薬学会との接点は薄かったんです。
 それでも、病院薬剤師になって10年位たったころファルマシア委員を担当することになったんですね。ファルマシアは、今ではかなり医療現場に近いテーマを特集で扱いますが、そのころはまだ現場の話題をとりあげる時代ではなく、私を含めた現場の薬剤師数名が、ファルマシアを通じて現場の情報を薬学会の会員の方に知っていただくようなことをしていました。あと、その頃長井記念館が建て替えの時期だったんですが、今の2階にある情報図書コーナーの設計にも参加させていただきました。大学の教員になってからは、薬学会との接点が増えて、今では6年生や修士・博士の学生の発表で一番数が多いのが、薬学会の年会だと思います。学生にとって薬学会は、研究発表の経験を積む場だったり、論文を出したりという学術活動になっています。

(司会)私は大学院生の時に自分の研究の発表で参加しましたけど、だんだん情報収集と学術交流が目的に加わってきました。薬学会ってテーマが広いので、色々な分野を知るにはもってこいですね。

私は、学生の時に発表したんですけど、卒業後にすぐ大学の教員になったので、教育とか研究とか全て別なく日常的にこなさなくてはいけなかったんです。薬学会は駆け出しとして学術発表できる場であり、学生さん達が発表する場でしたね。年度末という意味でも目標にして成果を発表する場でした。
薬学会サイドに入ったのはファルマシア委員を6年やった時からです。ファルマシアという雑誌は読み物として非常に良いと思っていましたけど、実際に委員として入ってみると、とても厳しく真剣に作り込んでいて、こうしないと良いものは出来ないという発見ばかりでした。それ以降、薬学会とは繋がっている気がしていて、留学時代を除くと、あとはずっと自然と薬学会という場にいる感じがあります。… そして、この場にお二人の先生と同席すること自体、烏滸がましいのですが(笑)、ご一緒させていただいています。

私もね、薬剤部の方に入って医療薬学会での発表も多いですけど、薬学会と医療薬学フォーラムは、現場の仕事、臨床関係も発表できる場ですから、そういう意味で心強いですね。

さっきの話に戻りますけど、ファルマシアで思い出したことがあって。私がファルマシア委員会にいた時期、25年くらい前かな、薬剤師からの意見が言いづらかった当時に、医薬分業の特集はどうかという提案をしたことがあるんです。最終的には実現したんですが、最初はなぜそんな特集が必要なのか、みたいな。そういう時代でしたね。私は今、ファルマシアの担当理事を仰せつかっていますが、医療系に関する提案を皆さんが何の抵抗もなく出し、提案を受ける側も一緒になってディスカッションしている。薬学会の中にテーマが浸透したんだなと感じます。

私が委員のときは「もうちょっと医療系を入れましょう」の頃で、たとえば専門薬剤師や認定薬剤師の記事に関しても「じゃあ検討してください」となったり、医療系の知らない言葉をもっと取り上げようとなったり。たぶん、すごく変わりつつあった時代だったんだと今でも思い出します。

今の立場でファルマシアを見てもまったく違和感ないというか、なんかこう…現場と離れてない感じがします。それだけすごく変わってきましたね。昔のファルマシアは本当に基礎的な内容で、医療に関する内容があると、「あれこんなことが入ってる」みたいな感じがあったじゃないですか。でも今は医療に関する話題が普通にある。相当変わったと本当にそう思います。

「世界の薬局紹介」、あれも自然にでてきたんですよ。委員が単純に興味が湧いた雰囲気でした。

「新薬のプロフィール」、あれは私の時代に始まったものですが、ああいうのが入るというのも、やっぱりだいぶ変わったってことになりますよね。

ずいぶん前に、薬科大にいた頃かな、ファルマシアのテーマにちょっと関わっていたとき、やめる時に懇親会みたいなのがあったんですけど、だいぶ年上の、そうそうたるお偉い先生方(笑)がいっぱいいらっしゃって。今はそんな感じじゃないですよね。
 そのときに聞いたのは、薬学会が最初にできたとき、長井先生が「ちゃんとしたお薬を日本の中で作れるようにしよう、製薬企業をきちんと育てよう」として、官民一体で進めていく中で薬学会ができてきた。つまり、薬学会というのは、明治時代に国民の医療のために、官民一体となって進めていく上で、学問の部分を担う会だということ。そして薬科大学というのは製薬企業に良い人材を供給するために作られた。そんな話があって、なるほどなー、とすごく納得したんです。

学術団体というのは、やっぱり何を提供できるか、だと思うんです。研究発表という「学術交流の場」、代表的なのが年会ですね、それと論文を発表する「雑誌」、そして会員向けの「ファルマシア」。これがね、今バランスよく配置されていますよね。ファルマシアは先程から医療系が入ってきたという話をしていますけど、実は、ファルマシアは医薬品に関する基礎的な情報を基礎でない人間にとってもわかりやすく提供してくれているので、私としてはとてもありがたいと思っているんです。病院薬剤師になってから、そういうところを読んだんですよね。やっぱり学会が提供してくれる雑誌なんだなとすごく私は思います。

基礎系の人は医療の情報、医療系の人は基礎で今、何が注目されているのかがわかる。
両方ちょうど混ざり合うような場として、けっこう特異な存在かなとおもいます。

(司会)すごくバランスがとれていますよね。ファルマシアのテーマ一つとっても、毎号さまざまで。以前は“薬物治療”というキーワードは、なかった気がします。薬という化学物質を扱うケミストリーや製剤、医療系まで、そこに開発の話もあり、免疫の機序なんかもあったり…

そうそうそう。

(司会)毎号のテーマにかなりのボリュームがありますよね。手元に届くと、これはちゃんと読まなくては…と思うような、そういう雑誌。さらに新薬や研修会のことなどが入りながら、分厚くなり過ぎずに、毎号ほぼ同じ分量にするというのもすごい。それだけで大変だと思います。

皆さん強い想いを持って書くんですが、編集の立場ではそれを抑えて抑えて。担当者は本当に大変な作業になりますね。的確に削らないとその方の想いも伝わらないし、一番大事なところを届けられなくなるので。だから原稿の行ったり来たりがあります。

それは大変ですねー。

さらに、自分の専門性と離れた内容でも担当しなければならない時がありますので勉強になります。

学際的な感じがあるから、確かに編集の立場ではすごく勉強になりますよね。

もう一つ、私と薬学会が関わる大きな出来事は、やっぱり薬学教育モデル・コアカリュキュラムの作成かなと思います。あれは薬学会主導でなかったら出来上がらなかったと思う。当時、今は亡き昭和大学の工藤一郎先生がまとめ役になって、薬学会館の会議室で、繰り返し繰り返し、みんなでやったのを覚えています。それがあって、今の病院薬剤師の皆さんや薬局薬剤師の皆さんが、より患者さん第一ということで、安全に、なおかつ効果的に治療を受けていただけるように薬剤師の関わり方とかを考える一つの大きなきっかけだったんじゃないかなと思って。

やっぱり教育が変わると現場も変わるし、現場が変われば教育も変わるし。そういうのを実感させられましたね。あの薬学のコアカリキュラムの作成に関わって。

薬機法自体にきちんと、医師、歯科医師、「薬剤師」と三番目にポンと出てくるから、やっぱりやらなければ、と思いますね。

そういう大きな仕事を薬学会がやってきているんだと感じます。

(司会)最初にモデル・コアカリキュラムが導入された時、じゃあそれにあわせて変えるぞとなっても、じゃあどう変えるの…となったんですよね。大学の教員は、コアカリキュラムによって、医療現場と一緒に教育を考えることになった。これって一つのターニングポイントですよね。
 私は、今回の改訂に参加させていただいたのですが、コアカリキュラムの成り立ちは分かっていても、文章化するのがすごく難しい。学生さんは当たり前のように捉えているから、そこにどれだけの教員の想いが入っているか、しゃべりだすと止まらないですよね。(笑)

そうそう。

(司会)今のような話をして、何人かは興味を持ってくれる学生さんがいて教育研究や医療の現場に進んでくれると、これからも繋がっていきますね。

そうですね。そんな6年制の学生さんを受け入れている病院側の意見をもらいたいですね。

先生のところではどうですか、そこは?

私は、両方とも見ている立場ではありますが、受け入れる側としては、今はうちの大学の学生だけしか見ていませんが、覚えることで手一杯で、考えることがやや不足していると感じます。なので、全部覚えていないと実習で手を動かせない。原理原則を覚えていたら、品物が変わっても同じでしょ、というところにまだ辿り着けていない感じがしています。もちろん実習の中で辿り着けるようにしなければいけないと思うんですが、やっぱり今の大学の教育の時間の問題も含めて、少し考える時間をもたせてあげることを各大学は考えないといけないのかなと思います。実習指導をしている薬剤師からもそんな意見が出てきていますね。

同じことを思います。でも慶應の学生さんでもそうだったら、みんなそうでもしょうがないかなという気もしますね。

私の経験ではむしろ、一年生の頃から…大学教養のところでもちょっと問題があるかな。薬学だけではなく、医学部、看護部…、全体的に同じ傾向にあるんですけど、考えるといったこととか、答えが無いことに、学生はみんな唖然とするんです。「これはこうやってやる」と書いてある参考書もないし、解説書を見たとしても事象としては無いので、しかもこういうことを教えてくれる予備校とかもないところで君達は学んでいくんだよ。まずそこでザワッとなるんです。

答えは無いの?正解は無いの?ってことね。

特にびっくりしたのが、ちょっと前の一年生が、授業の終わりに「来週までにこれを考えて、レポート提出してね」と言ったら、いきなりわーっと泣いて。「どうしたの」と聞くと、「先生、私に自分の考えを求めないでください。」「どういうこと?」と聞いたら、「今まで受験勉強をやってきたから、受験の範囲だったら何とか詰め込めます。来週までにここまでの範囲を覚えてこいだったら必死で覚えます。今まで一度だって自分の考えを求められてこなかった。」…これが典型だと思ったんです。

そのことをはっきり言うんですね。

それでどうしていいか分からないから困って、今、泣いていますって。

でも、そこまで自己分析できるなら、あと一歩じゃないですか。

そういう自己主張があるなら、それを書いてくればいいじゃないと言ったら、要は、正解がないから、与えられたものを覚えるだけの力量しかない。それがこれまでの受験勉強の大半で、だから自分の意見とかどう動くのかは全て決められてきたことなので、無理なことを求めるなと。それは薬学生だけでなく、医学部生でも同じで、予備校は参考書を教えてくれるけれども今までの勉強方法が医療では通用しないですね。同じ病気でも同じ年齢でも性別でも、その人によって対応が変わってきたりするから、そこを全部反映して、それに応じて臨機応変に対応していかなければいけないし。まずそこから戸惑う。

正解の無いことしたくないとか。さっき望月先生がおっしゃってたように、全部を理解し覚えていないと動いちゃいけない。なんかそんな風に思っているところがありますよね。

すごくまじめで、たぶんそこが今一番困っているところですよね。

そこは問題ですよね。そこを一旦打ち砕いてやらないと、医療に入っていく人としては、もう全部お手上げ。何もできないですね。

正解がない世界。やったことが正解か不正解かわからないので、それをモニタリングしてフォローアップしてフィードバックして。そういうものが医療の現場なんだということをもう少し、あの実習に出ると、少しはわかって戻ってくるようですが、戻ったあと、それを大学でさらに深めていってもらうことが必要ですね。卒業研究で、例えば問題解決のような思考でやってもらうとか、そういうような形がとれると一番いいですね。

そこに薬学の先生達みんな気が付いて欲しい。そういうところを私達共通で認識していかないと、次世代に影響してくる。

今結構、無くなる職業、残る職業とか話題になっているじゃないですか。結局それも、正解がなくてぶれるようなものに関してどうやって合わせていくかができる職業は残るけど、決まったことをきっちりやって提供するっていうのはロボットでもできる、そういうことですよね。医療はまさに人が相手だから、ぶれるし、変わるし、人によって違うし、合せなきゃいけない。先程の対応で言えば、患者さんがぶれるとぶれてるのが間違っているとなってしまう。なぜここでこういう検査値が出ないんだなんてことになりかねない。

医療で一番重要な役割を果たしているのは、医薬品だと思うんです。医薬品そのものが、ベネフィットとリスクのバランスの中で成り立っている。それにはかなりのむらがあって、ある人にとってはベネフィットの方が上回っているけど、ある人にとってはその逆かもしれないかもしれず、ここをきちんと見極めてあげられる。これはAIでは相当発達しないとできないことであって、そこですよね。これからの薬剤師で身につけてもらいたいのは。

エビデンスベースト(Evidence based)が非常に大事なんですけど、エビデンスって要するに一番山の中心のところで、これを外れたら何もできないのが現状です。じゃあ次、じゃあ次、ある意味エンドレンスゾンビのような繰り返し繰り返しが必要なところを、そのしつこさを学生さんが身に付けられたらな。

基本は患者さんが快くなるように。そこのところがまだ学生は実感がないから、しつこく(患者さんの状態を)追っていくよりも、実習発表用のスライドを作る方を優先しちゃうわけですよ。
で、分からなくて、患者さんのところに行こうよと指導薬剤師が言っても、準備ができてないとか…。全部調べてからでないと患者さんのそばに行ってはいけないわけではないんですけどね。やっぱり不安だから全部調べてからでないとみたいな、そういう感じなんですね。正解を求め過ぎてるかな。まあ指導する側は試験では正解を出しなさいとは言いますが、あまりに呪縛されてるなという気はしますね。
 それをなんとか外していけたらいいんですけど、どうしたらいいのかなと。

(司会)私はよく、学生さんに「問題をやってみれば、自分はどこまで出来ていて、何が分かってないかわかるよ」と言うんです。でも、「今はまだできないから…」とやらない。結局、基礎からやっていて最後は時間がなくなって悔しい思いをするんです。正解を求め過ぎるというのがありましたけど、問題のプリントを配ると、答えはないんですかとか。正解がわかってもそれ以外には正解がないのか、としつこく追うことはほとんどないですよね。

だから中途半端なことして、どうしようと思った時にね。そういう時こそ、メンターの指導者が大丈夫だよと言ってあげないと、前に出られない。私の友達の訪問看護師さんが言ってたんですけど、訪問看護師でも、すいすい行ける人と、(ある種の心理的ハードルを)超えられない人がいる。超えられない人に、私の友人は、患者さんが亡くなってもあなたの責任じゃないからと言ったら、初めて一歩踏み出せたという。結局、何かあったらどうしよう・自分のせいじゃないかといった不安があると一歩も進めない。だけど進まなかったらもっと悪くなる。どんな形でも一歩進む、それで結果が悪くても、あなたの責任だけではないんだから、みたいな、そういうふうに誰かが背中を押してあげないと、出られない人が多いんだろうなと感じています。

(司会)目の前の学生さんがどういう状況にいるか、今どう思ってるか把握して接するのは、教員にとっても難しいですよね。自分の一言が、その学生さんにとって助けになる一言なのか、もしかしてプレッシャーをかけ過ぎてしまうのか考えてしまうことがあります。

教員も目標みたいなものがあるじゃないですか、これだけのことをみつけてもらいたいと思ったり、達していない人がいると、つい、いきすぎて背中を押すということになってしまう、その人によって押し方には強弱があるということ。それは、やはり教育というものの、教育することを学ばないといけない。

メンターシップ。

そういうのも経験がないと超えられない話であって、真面目な薬剤師ほどそれができなかったり。学生さんを自分の下に置きたい。「絶対大丈夫だから、患者さんのところに一人で行かせなさい」と呪縛を外すように言わなくちゃいけない場合もあります。

全部教えたくなる。

自分の目が届く範囲で全部やりたい。でもそれだと学生さんにはみえないですし、やはり学生さんを常に引っ張ってくる方が多かったり。あと学生さんに責任感がでてくると、しつこさもでてくるので、病棟に行くときには一人で行かせることが大切だと思います。でも最初はそれなりにいい患者さんにあてないと。その目利きは指導者側で責任を持ってやらないといけません。

それは選んであげないとね。

今のお話を聞いていて、受け入れる医療現場側がだいぶ成熟してきたなと思います。というのは、最初、6年制の初めての実習を受け入れる時に、医療現場の薬剤師さん達は不安で不安で、自分達はどんなふうにこの6年制教育を受けてきた学生の実習指導をしたらいいんだろうと思っていたと思うんですね。それで実務実習指導薬剤師を養成したりしてきましたが、今ではうちの薬剤部でも実習指導にもっと関わりたいという薬剤師がすごく多くなってきています。
まだ指導薬剤師の認定をとってない薬剤師さん達は、ぜひこれをとって、学生さんの実習に関わりたいと言ってくれるようになってほしいと思います。本当に、学生さん達が現場に出ることで、現場も変わる、みたいに良い刺激になってきていると思いますね。

最初は、もうほんとに業務の邪魔になるとか、すごくそんな感じだったんですけど、今はもう学生がいるのが普通になってきている。そうなれば、必要以上に期待しても、薬剤師も可哀そうだし、ある程度、薬剤師の自由裁量も認めてあげて、というようにするとなんとなく自然にやってますね。

またその人達が育っていくと、後輩の人達をそういうふうに自然に循環して指導していく感じですね。

それはそうだと思います。明らかに変わってきてますよね。
 私なんかのところは、それなりに年長の方が少なくなってきていますが、そういうところに私が入り込んで、業務を一緒に学生とやり、それをかなりしつこく繰り返していくと、かえって学生さんがいた方が、仕事がはかどることもある。「こういうタイミングで」等と指導のポイントを薬剤師側に伝えた上で、「そうすると学生はこう考える」からと少しずつ説明していくと、「あー学生さんがいてくれる時の方がこんなに速やかに進んでいくんだ」となることが解ってもらえます。

それが目指すとこですよ。実習の。学生さんも任されたら自分も役に立ってる満足感が出てくるし、そうでもしないと、あれだけの人数を長期間預かるのは無理なので。

学生は、先生はみんな薬剤師だと思い込んでますけど、患者さんから教えてもらうことがすごくあるじゃないですか。特に患者さんのことって学生さんはすごく覚えてて、この時に薬剤師の先生は神対応していた、みたいな感じに繋がってくる。だからなるべく患者と学生が話す時間を増やして自分だけが指導者ではないというような意識付けは少しずつしてますね。

だいぶ前に、よい薬剤師になるにはどうしたらよいでしょうか、と学生さんたちから質問があって。“神対応ができる薬剤師”みたいなロールモデルをみせることがとても理解しやすいのかな、学生にとっては。それで私もああいう風になりたい、あれを目指して頑張ろう、とか思ってもらうというのが、どこが勉強のポイントなのかも分かりやすい。

そうそう。

そんな風に言って、研修生になってきてくれる方もいますからね。

そう、あの人みたいになりたいからって。

それはありますね。

教えることで自分も成長するし、成長した学生さんのフィードバックが、また満足感に繋がる。そういう現場ができていけば、現場で指導していくということに時間はとられますが・・・良い意味合いに繋がってくることだと思うし、少しずつそういう雰囲気ができています。コアカリが変わるといってもそんなに心配しなくてもいいかなと感じています。

薬局と病院の実習がうまく繋がるということに配慮すれば、スムーズでいいと思う。

(司会)以前、学生から薬局と病院でのやり方の違いに戸惑ってしまったということを聞いたことがあるんです。先生方は大学から病院に移られて、今度は地域の薬局との連携の話になるんですが、薬局と病院がうまく連携するために、先生方の病院ですでに何かされていますか? 千葉大ではいかがですか?

うちは、専門職連携、IPE(Interprofessional Education)があるので、病院内の連携も進んでいると思います。特にうちの学生は、IPEで学習していたとしても薬剤師なんて連携していないだろうと勝手に思って実習をすると、カンファレンスや病棟で薬剤師があまりにもバーっとものを言って議論するのでびっくりしているようです。地域連携に関しては、院外処方箋に臨床検査値を記載することで、薬局側でどういう寄与をしたかを体感することだと思います。千葉大の学生がでている薬局に千葉大の処方箋がくると、そこの薬局も頑張ってくれるというのはあります。(笑)
 教育を受けながらも繋がりとか見えてくるので、時間とか人数の問題など含めて時間かかりますけれど、根というか病院と薬局の両方が繋がる。

学生さんがパイプになって良いですね。うちは、薬学が無いのでそういう形は無いんですね。うちとしては、検査値までは出してないけど、疑義照会とかね。トレーシングレポートを9月からはじめて、9~10月は山のように、もう要らないよというくらいファックスでレポートがきたんだけど。今はだいぶ落ち着いてます。少し離れた西宮の薬局からもレポートがきて、抗癌剤についてなどで、そこでまた処方に反映したりすると良いかなと思っています。そういうのを学生さんがちらちら見る、内容はわからなくても、こういうことがあるんだと体験してると、また、それをいつか自分の職場で反映してやってもらえるかなと思います。

平成31年度から実施される実務実習では、薬局と病院を繋いで、そこに大学がきちんと関わるというのが求められています。うちの大学には、附属薬局と大学病院があるので、うちの学生さん達に両方で実習を受けてもらい、ここの間を繋ぐためのレポートを書かせています。まず、薬局の実習で、こういう到達目標でここまで到達できて、これだけの疾患は勉強できてます、というレポートが出ます。それを受けた大学は、病院ではどういうことを実習に上乗せしていただくかというところを病院に伝えます。三つの機関を学生のレポートで繋いでいる。今年Ⅰ期から始めて、今Ⅱ期で2回目もやって、どういう形のレポートが効果的かみたいなことを試してます。細かなテクニカルな話になってしまうんですが、8疾患というのを、どういうふうに薬局と病院でうまくカバーするのかっていうのも、そのレポートを通じて案がでるようにしよう、とトライアルでやっています。

それぞれ工夫してやっていますね。

(司会)今は6年制の実務実習の話でしたけど、実習のあと研究室に戻って、社会人になるまでの間に研究を続けるわけですよね。その時にやっぱり正解だけを求めるんではなく、なぜだろうとか、これで良くてもその先はどうだろうとか。どうやったらそういう力がついて、社会に出ていってもらえるかと思いました。
 今日の最初の方で聞かせていただいたんですけど、私たちみんな薬学会での発表というのが、いろんなことのきっかけになっているんですよね。そういう意味で今の学生さん、6年制だけでなく4年制や大学院で研究を続ける学生さんも含めて、先生方から「これだけは伝えたい…」とか、「そんなことを気にせず、しつこくしつこくどんどんいけ…」みたいな話があったら、教えていただければ。

わたし、大学生さんとか院生さんの研究っていうのは、教育だと思うんですよ。
 教育方法として、非常に優れてたものと思えて、というのは、結局自分で仮説をたてて、それを考えて実際にやって評価する。実社会でそういうスキームをやることはなかなか大変だけれど、研究というのは、ある程度限られた中でできるので、それをよりうまく、一定の短期間で体験できるという意味合いで、この考え方を身につけるのはとても重要だと思いますから、そういう意味で、大学で研究をやるというのは大事で、それは社会に出ても通用するものです。特に、手を動かしてやる実験研究を学生の間にしといて欲しいなと思います。
 医療系でなくても、なんでもいいので、研究というものの考え方、そして自分でやったことは身に付くので、一生の宝物になると思います

さっき、医療には正解がないという話がありましたが、それは研究も同じで、自分で一生懸命研究して、これが正解かなと思う仮説を、検証していくのが研究だと思うんですよね。で、今の学生さんたちは、もう頭の中だけで、「これはやっても、結局これはこういうネガティブな結果にしかならないから、先生、やっても意味がないと思います」みたいになってしまう学生が多くて。やっぱり研究ってそうではないんだということで、そこからのスタートで、それでとにかく体を動かし、手を動かし、頭を使って、データを作っていくというそのプロセスをその中でしっかり経験してもらって。で、もしかしたら、一生懸命やって何度も何度も失敗を繰り返して、結局は良い結果がでないということも経験してもらって。それで、それをやっぱりきちんと人に伝えられる形で、学会発表あるいは卒業論文という形で文章化してもらうというのが良い訓練になるんじゃないかな。患者さんに説明するのも、自分の考え方を理解していただけるように説明するためにも、学会発表は良い訓練になって、今、ともすれば日本語を勉強する必要があるような学生さんも見受けられるので、卒業研究をして、最後までそこまでまとめる、それまでが非常に大事だと思います。

全く同感で、自分でやったことの言語化する、それは学問に繋がると思うので、そこまではやって欲しいと思います。あと、社会人と学生は何が違うのか、今お二人がおっしゃったスタンスといったことに関して、それを学ぶということもあると思いますが、学生と社会人の決定的な違いは、学生は自由ですよね。責任が無い。時間の使い方が相当自由にできる。そうすると馬鹿みたいに、何がなんだかわからない程のめりこむ瞬間と時間がある。社会人がそれをやってしまうと明日のお勤めに響くけれど、学生さんならそれができるから、自分がこれだと思ったことに対してグイグイとやって欲しいと思いますし、やっぱり手を動かすと、定量と定性の感覚がつきますので、鑑査能力が高くなると思うので真摯に取組んで欲しいです。1gや100mgがどれくらいとかの感覚が身についていれば、単純ミスも無くなると思います。そういったことも含めて、なんでもいいから、これだと思うことにのめり込んで欲しい学生にしかできないことなので、実習を終わってからの時間も大切に過ごして欲しいと思います。

(司会)日本語の話がありましたけど、今の学生さんのコミュニケーションってLINEなどの短い文章が多いせいか、文章がうまく書けない。話を聞いてみると、思っていることはあるのになんです。やはり文章化は必要なことで大事ですね。添削で直すとき、あまりやり過ぎてもと気を遣います。

私は、私の前で自分の文章を読ませて、それをチェックしていくんです。そうすると自分で読んでて、「あれっ」っておかしいところに気付くんですよ。

(司会)すごくいいですね。声に出すのは。でも、そういうことをやらなくちゃいけなくなっているんですね。今は。
 言語化もそうですけど、あとは学会発表ですね。昔、自分では全然ダメなデータだと泣きながら要旨を書いたことがあるんですけど、いざ学会に行ってみると周りの先生方が意外にやさしい。特に国際学会だと、自分では訳がわからないような褒め方をされて、じゃまたがんばってやろうかなと思ってみたりする。学生さんにはやっぱりそういうことを目指してほしいな。その中の一つが年会や支部会…

医療薬学フォーラムも。

そうそう。

(司会)そう、発表する場はたくさんありますから。一度でも経験してほしいですよね。
そして、先生方をロールモデルにして。これから教育に戻りたいという学生も増えるんだと思うんです。でも、今の学生さんは現場をよくわかっているわけですから、それが活かせる。どこに行っても実務実習の経験が絶対に生きていくんだな、と感じています。4年生にもそう言って送り出すんですけど、先生方も、これからも、全国一万人の薬学生さん達が毎年お世話になりますので、よろしくお願いします。

一点だけ加えておきたいのは、薬学の基本的な学問を、それをちゃんと身に付けてないと。現場にいる人は、「そんなの要らないよ、コミュニケーションだよ」、みたいなことを言う方がいるんですけど、それはね、一部は当たってるけど、やっぱり学問的なバックグラウンドがあってのコミュニケーションだということを、若い人たちに理解してほしいと思います。

そう思いますね。

基本は大切。石井先生も去年、そのようなシンポジウム(注)をされていましたよね。本当にそう思います。では、これを最後のメッセージにしますね。

 先生方とは、それぞれ以前からよく存じ上げていましたけど、今日、このような企画でご一緒できて光栄です。今日は本当にありがとうございました。

(注)日本薬学会第136年会 一般シンポジウムS15「今、何を教えるべきか。 ―基礎がつながる薬剤師を育てるために―」2016年3月.

(理事鼎談 2016年11月)