活薬のひと|公益社団法人日本薬学会
       
 
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活薬のひと

 私の職場である東北大学加齢医学研究所(加齢研)が掲げる理念は、「スマート・エイジング」-それぞれの人が賢く健康に歳を重ねる社会の達成-です。つまり人の老化に伴うさまざまな現象に不自然に抵抗するのではなく、生まれてから誰もが一様にスタートを切る、歳をとること、の本質を明らかにする医学生物学的な研究を通じて、賢く人生の円熟期を迎えるノウハウを提案し、研究成果を社会に還元することを目指しています。
 前身である抗酸菌病研究所が平成5年に改組され加齢研になってからすでに20年以上になります。改組当時の先達たちは高齢化社会を迎えつつあった当時の日本と欧米諸国の現状を見つめ、先進的に「加齢医学」を研究するように大胆に組織変革を行ったのだと伺いました。今まさに日本が先陣を切って前人未到の超高齢社会に突入し、ますます健康に歳を重ねるための具体的方法が求められている現状を見ますと、手前味噌ではありますが時代が加齢研の理念に追いついた感があります。
 さて、スマート・エイジングの理念を最もよく説明してくれる例として、能を確立させた世阿弥の『風姿花伝』に出てくる言葉があります。それは『時分の花、まことの花』です。時分の花とは、若いこと、それ自体がいろいろな面で美しいことを指します。しかし本当の美しさは、歳をとって若さは枯れてもその人のもつ唯一の花が残っていることである、と世阿弥は説いているのです。たとえばいくつになっても自らの才能に磨きをかけ、熟成された芸術がそのひとから発散されるようなこと、と解釈してもいいかも知れません。この世阿弥の言葉は後述の被災地支援事業の中で複数の講師の先生が紹介されていたものなのですが、私はこれを超高齢社会日本が抱える問題のいくつかを解決できるかもしれない処方箋となる考え方であり、スマート・エイジングの理念と通じるものであると思います。ただ、加齢研に所属しているからこの理念への思い入れが強いだけで、一般社会ではあまりスマート・・・の考え方は浸透しないのでしょうか。多くのみなさまにも受け入れていただけるのかどうか、市民の中に飛び込んで感じたことを次に紹介します。

 仙台市内にある加齢研では震災後数ヶ月の間は研究活動を満足に行えませんでしたが、被害は幸い限定的でした。このような中で、同じ宮城県内でありながら遥かに甚大な被害を被った沿岸地域に住む皆さまに、私たちとしてどのような支援ができるのかを考え、私たちの理念を基にした楽しいお話を地域の皆さまにお伝えしようと企画を練りました。この経緯で、翌年2012年から3年にわたり、3つの沿岸地域(気仙沼、石巻、亘理)の被災を辛うじて免れた公民館を会場に、地元教育委員会などの皆さまの全面的なご協力と東北大の支援のもと、加齢研を含む東北大の9人の先生が出向いて土曜日にシリーズで出前授業を行いました。
 企画の主眼は次のようなものです。すなわち、被災地の皆さまは困難な状況にあってご苦労も想像を絶するものがあると思われるものの、生きること、健康に明るく人生を送るための知恵には興味を抱いていただけるだろう、この知的好奇心に応えることで、復興に向けた活力を見出していただこう、というものです。出前授業は先端的な研究の成果に基づいて賢く歳をとる方法をお話する『スマート・エイジング出前カレッジ-愉しいエイジング-』と銘打ちました。ただ、エイジングというタイトルに工夫の余地があったのか、本当はもっと若い方々にも大勢来ていただきたかったのですが、聴講者は中・高年の方がたいへん多くなったのは私たち主催者のPR不足でした。内容をいくつか紹介すると、加齢研の先生には「しなやかな血管で健やかな長寿」、「高齢者の肺炎を予防しよう」、「脳を鍛えてスマート・エイジング」など、また薬学や生命科学、文学の先生にもご登壇願い、「薬を暮らしに生かす知恵」、「元気を生み出すこころの習慣」、さらには「美しさを願うことがもたらすもの」と題して暮らしに活かせるいろいろな知恵を授けていただきました。
 全36回の出前授業シリーズは『もっと学びたい、もっと続けてほしい』という多くの惜しむ声をいただきながら、のべ2170人あまりの参加者を得て3年間の計画を終了しました。この過程で私は企画者の一人として、被災のダメージを抱えていても健康に生き生きと人生を送りたいと願うことは誰しも同じで、そのための知識欲はご高齢の方も旺盛であることを実感しましたし、スマート・・・の考え方に期待以上の賛同を得て確かな手応えを感じました。

 薬は言うまでもなくスマート・エイジングを実現するために不可欠の要素です。前述のように出前カレッジでは大学病院薬剤部の先生に薬を上手に使うノウハウをお話し頂いたのですが、薬が合う・合わないというお話、薬の吸収や血中濃度のお話、副作用のお話など、私たち薬学に馴染みのある人間にとっては当然のようなことでも、聴講された皆さまの反応としては、目からウロコ、初めて知った、薬が効くしくみが分かった、といった声が多く聞かれました。したがって、患者さまや薬を投与する側に立ったスマート・エイジングの実現のためには、私たちはなおいっそう市民の皆さまに分かりやすい言葉で丁寧に情報提供する機会を設けたり、セルフメディケーションやかかりつけ薬局を持つことを推し進めたりする必要が感じられます。大学での薬学教育が6年制に移行しておりますので、今後ますます薬を使う立場に立った新しい知識の社会還元は充実してくると期待できます。
 一方で、薬を創る側や研究の観点でスマート・エイジングを考えた場合、どのような将来的な方向性があるでしょうか。究極的には副作用のない切れ味鋭い薬効を持った薬剤開発に集約されると思われますが、十分に実現可能な達成目標としては、疾患の発症経路・その関与分子を特定したうえで、個々人のゲノム情報を参照しながらターゲットへの特異性を高める、精密で安全な創薬を行うことになろうかと思います。かつて私が薬学教育を受けた時代は、現在の抗体医薬の隆盛は予期していませんでしたし、ゲノム時代の到来を誰も熱く語ってはいませんでした。幸いその頃から薬学教育は実に多様な学問領域によって構成されていましたので、現代のような変革の時代にあってもフレキシブルに対応できる素養を身に付けさせてもらったと感謝しています。私の研究上の興味は免疫疾患の理解と克服ですが、炎症などで働く、人が本来持っている修復・抑制機能をうまく活用した薬創りを目指すことでスマート・エイジングに貢献したいと願っています。