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活薬のひと

 日本の薬学は古くから医療により深く関わりたい気持ちと創薬に専念したい気持ちの間で揺れてきました。最近の10年は薬学6年制と医療薬学実習の導入で臨床の場への足がかりができ、これから臨床にどこまで関与できる人材を送り出せるかが重要な課題の1つであると思います。常々臨床において医薬品使用の安全性を確保する職務に、薬学の知識を持つ者が適していると考えてきましたが、今後、この役割が医療の現場で広く認知されることを期待しています。
 ただ、このような役割を発揮できる薬学者の養成は、簡単ではなく、個体レベルでの毒性病理の教育研究を充実する必要があります。今、薬学だけでなく関連する理系大学教育ではくすりや化学物質が適用された後に生じる毒性や副作用を個体レベルで評価する能力を体得する機会が少なくなっています。
 古くから薬学の卒業生は製薬企業等に入って創薬研究に携わってきましたが、個体レベルでの安全性は主に毒性病理の知識を持つ獣医師が主に担ってきました。薬学において個体レベルの安全性を評価する能力を持つ研究/教育者を育成することは、医療の場においてくすりの安全適用を確保する薬剤師の養成に重要と考えています。

 現在、私は内閣府におかれた食品安全委員会で様々な食品関連の健康影響評価に携わっております。関わる内容は発足の要因となったBSEプリオンから微生物、農薬、食品添加物、包装剤や飲用水に含まれる有機/無機物質、動物薬や特定保健用食品と多岐に渡っています。つまり私達が毎日食べている肉や乳製品、野菜、加工食品、飲料水などの健康影響を取り扱っています。これらの多くはリスク管理機関の農林水産省、厚生労働省や消費者庁からの依頼に基づいて、一部は“自ら評価”と称する、食品安全委員会が必要と認めた案件について、これらを摂取する際の安全性を11の専門調査会で評価しています。各専門調査会は毒性病理、動態、薬理、疫学、遺伝毒性や栄養を専門とする多くの研究者で構成され、個別の案件ごとに多面的に検討し、ハザード(危害要因)の同定に留まらず、得られた知見情報からヒトにおけるリスクを定量的に評価しています。

 これらの専門調査会には、薬理、薬物動態や遺伝毒性等を専門とする薬学研究者の方々に専門委員として加わっていただき、評価書作成に協力いただいております。この場を借りて専門委員の先生方々に感謝申し上げます。専門調査会での内容は個々の研究者の研究分野と異なることもあり、余分な負担をおかけしている面もありますが、多くの方には現在の薬学に不足する毒性病理、生理および臨床疫学の考え方や手法を理解する機会および影響評価への適用を実践する機会とも捉えていただいています。
 臨床薬学だけでなく、医薬品を初めとする有用物質の創出には生体影響リスクを定量的に評価することが必要で、これが開発を進めるあるいは断念するかを判断する主要因の1つとなっています。しかしこの分野を扱う専門領域が今の薬学にほとんど見当たりません。全分野にわたって創薬を押し進めることができる薬学者の養成にも薬系大学におけるこの分野の充実を期待する次第です。