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過去のハイライト

 『医薬品とは人間が健康を保持しようとする願望のもとに追及しつづけてきた歴史上の所産であり、長い経験と知恵によって生み出された知的文化財である』 医薬品を少ない言葉で実に的確に表現したこの文章は日本薬学会に組織された「21世紀へ向けての薬学の創造委員会」の報告(1989年)の中に記述されたものであり、医薬品を創る仕事ならびに使う仕事に直接、間接に関わる全ての方にとって実感・共鳴できる定義であると思います。一方、医療用医薬品を創製するためには非常に多くの学問領域における最先端の知識や智慧が結集され、さらに最新の科学技術が最大限活用されますが、現実的には10年を優に超える極めて長い年月を要すること、従って数百億円を超す多額の費用を要することが知られております。さらに日本における最近の成功確率は実に30000分の1以下という驚異的な数字であることが報告されています[日本製薬工業協会(製薬協)公表の資料による]。このように創薬という仕事は非常に難度の高い挑戦的なものではありますが、病気で苦しむ患者の方々に一刻も早く優れた医薬品を届けるために数々の工夫・努力がなされています。改めて創薬の歴史を眺めてみると経験的な手法が使われた時代が長く続き、その後、関連する科学の進歩に伴って効率的・理論的・合理的な手法・手技も意欲的に採り入れられてきました。一方医薬品を物質という観点で眺めると、勿論低分子複素環化合物が圧倒的に多く、その後蛋白質、抗体、核酸系化合物も実用化され、今後はさらに細胞も実用化が期待されています。しかし、これからも経口投与可能な医薬品は重要であり続け、低分子複素環化合物が医薬品の中心を占めることは間違いのないことです。

 既に述べましたように、医薬品の歴史の中で、低分子複素環化合物が中心的存在であり今後もその状況は変わらないと考えられます。従って、新しい医薬品候補物質の創製が重要命題であり、有機化学を専門とする研究者の参画と活躍は不可欠であります。有機化学者としては、新規化合物を高純度・高収率で創製するという能力をもつことが基本として期待されています。そして、医薬化学研究者あるいは創薬化学研究者として活躍するためには以下の知識と能力を習得することが望ましいと考えます。

  • 医薬品の本質である生命倫理性および科学性
  • 医薬品研究開発のプロセス
  • 医療満足度ならびに未充足医療ニーズ
  • 目標とする医薬品の医薬品情報(添付文書、インタビューフォーム、臨床試験報告等)
  • 医薬品候補化合物について有効性のみならず物性、体内動態、安全性を同等に重要視するという考え方
  • 特許に関する知識
  • 理論的薬物設計への関心と成果の活用

 上述したように医療用医薬品の成功確率が30000の1以下であることに象徴されるように相変わらず創薬は極めて難度が高く、成果獲得までに長時間を要する、忍耐強さの要求される挑戦的な仕事であります。同時に、医薬品創製に成功した研究者にとっては、自分の創った医薬品が地球上で何億人という規模の患者の方々に使われ、疾病の治療に直接貢献するとともに開発した企業にも収益面での恩恵をもたらすことができるというとてもやりがいのある仕事であります。

 リピンスキーの提唱したルール・オブ・ファイブでも理解されているように経口吸収性の上限は分子量500であるとされています。一方、特許性のある新規な化学構造を持つ化合物を設計し、創製しようとすると、分子量が増える方向に進まざるを得ない、即ち経口吸収性・生物学的利用率が低下する方向ということになります。実際に承認された医薬品の分子量は年々増加傾向にあることも事実です。さらに、これまで医薬品として使用されてきた化合物を構成する元素としては水素、炭素、酸素、窒素、硫黄、燐、塩素、ナトリウム、カリウム等が最も多く、次いで金属等も使用されています。これまで使われてこなかった元素の医薬品としての可能性を検討することは非常に有意義であるとは考えられますが、実際に実用化するためにはそれらの元素の生体にとっての安全性や地球上での存在量が大きなボトルネックとなるので、慎重な考察・評価も不可欠であります。
 前述しましたたように、医薬品として実用化される物質は非常に多岐に亘っており、特に抗体医薬の開発により多くの疾患の新しい治療方法を手に入れたことは画期的です。しかし、医療の現場においては今後も経口投与できる医薬品が非常に重要であることは言を俟たず、これからも創薬の現場において有機化学は貴重な貢献を果たすことは疑いありません。
 また、有機化学の手法・手技は医薬品の主薬になる化合物の効率的かつ低コストでの合成のための研究、さらには規格の検討のための研究にも効果的に活かされます。
 今後も創薬の現場において有機化学研究者、医薬化学研究者、創薬化学研究者の活躍の舞台が用意され、若い方々の積極的な参画が大いに期待されています。