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過去のハイライト

 私にとって今年最も大きな出来事だったのは、やはり3月11日に発生した東日本大震災です。想像を絶する地震と津波、そして、福島第一原子力発電所の事故により、甚大な被害がもたらされました。今もなお大勢の方々が避難を余儀なくされ、不自由な状況で将来に不安を抱きながら生活されております。一日も早く被災地域が復興し、被災者の方々が再び落ち着いた生活を取り戻されることを切に願っております。

 我が国が未曾有の国難に直面している現在、特に福島原発の事故により、科学技術への信頼が大きく揺らいでいるという事実は、私たち研究者に重くのしかかってきています。原子力技術は、戦後の経済発展が進む日本における科学技術の象徴の一つでした。重大な事故を起さないといわれた徹底した安全設計と管理から、絶対に事故は起こらないというような安全神話が築き上げられ、多くの人々がそれを信じてきました。しかし、今回の事故でそれが脆くも崩れ去ったのです。この安全神話が形作られる過程で、専門家が果たした役割が小さくなかったことを考えるにつけて、研究や科学、そして医療に携わる者の一人ひとりが、今後どのように自然科学や科学技術に関わり、発展させていくかを考える契機にすべきではないかと考えます。私自身としましては、京都大学iPS細胞研究所(CiRA=サイラ)の所長として、科学技術に対する国民の信頼回復に貢献することが、使命の一つであると強く感じています。

 私たちが出来る貢献とは、iPS細胞技術を用いて医学の発展に寄与し、様々な形で多くの方々、特に難病や重篤な外傷で苦しんでおられる方々の役に立つ技術に成長させることです。iPS細胞(人工多能性幹細胞:induced pluripotent stem cell)は、皮膚などの細胞に少数の因子を導入することで作製することができ、ほぼ無限に増殖し、神経細胞や心筋細胞など、体のあらゆる組織や細胞に分化できます。2007年に成人の皮膚細胞からのiPS細胞の樹立成功を報告してから4年が経過し、国の多大なるご支援と国内外の研究者の努力により、医療応用に向けた技術開発が急速に進んできました。

 iPS細胞技術は、大きく分けて「創薬」と「再生医療」の二種類の応用方法が考えられます。「創薬」では、患者さんから体の細胞をご提供いただき、iPS細胞を作ります。それをさらに神経や心臓などの体の細胞に分化させ、その分化した組織を用いて病気の原因や病態を研究し、新しい薬剤の開発につなげたいと思います。「再生医療」は、細胞移植を指しますが、iPS細胞から病気やケガで機能を失った組織を作り、患部に移植して機能回復を目指します。一部の病気では、患者さんの体細胞から作ったiPS細胞から目的の細胞に誘導し、病態再現ができるようになっています。また、いくつかの研究グループは、数年以内に国内でiPS細胞を用いた細胞移植の臨床試験を始めることを目指しています。

 私たちの研究所でも、iPS細胞技術をいち早く臨床現場に届けるための努力を続けていますが、誕生して間もない技術ですから、医療応用実現には基礎から応用研究までの様々な段階で、いくつもの課題を克服しなければなりません。そのためには、国内外の研究機関や企業が、協力することが不可欠だと考えています。国内では、文部科学省が中心となり、オール・ジャパン体制で約800名の研究者がネットワークを形成し、情報の共有、専門家の協働によって、無駄を省き効率的に研究を実施する努力をしています。もちろん、その中には薬学の研究者も加わっていただいております。

 海外の研究者・機関とも積極的に協力体制を築いていきたいと思います。来年、第10回国際幹細胞学会(ISSCR)年次大会が横浜で開催されます(会期:2012年6月13日-16日、会場:パシフィコ横浜)。ISSCRは、世界最大規模を誇る幹細胞研究分野の国際学会で、世界をリードする研究者が横浜に一堂に集結します。アジアで初めてのISSCR年次大会が日本で開かれることは、国内の研究者にとって、その技術力を世界に示す上でも、研究協力を推進する上でも重要な機会となります。薬学会の会員の方々には、最新の研究状況を知り、トップレベルの科学者との情報交換や交流を展開する絶好の場となるでしょう。第11回日本再生医療学会総会も、同時期に同じ会場で開催されますので、多くの薬学に携わる学術/企業研究者、ビジネス関係者、大学院生の皆さまのご参加を期待しております。
国際幹細胞学会:http://www.isscr.org/Annual_Meeting_Home.htm
日本再生医療学会:http://www2.convention.co.jp/11jsrm/

 iPS細胞のような人工的に作りだした細胞を医学に用いようとする試みは、社会に受け入れられるように慎重に進めていくことが重要です。規制の面では、独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMDA)が医薬品の審査を行っていますが、PMDAにとってもiPS細胞は新しい材料であり、現在審査基準について検討していると聞いています。CiRAでは規制科学部門を設置し、規制当局に研究の現状を伝えるとともに、どのように安全性を審査するのかなどについて情報交換を行っています。
 新しい技術を医療に応用するために何よりも必要なことは、一般の方々のご理解、ご支援を得られるような取り組みであることだと思います。CiRAでは、研究活動について刊行物、ウェブサイト、イベントを通して情報発信にも力を注いでおります。また、ISSCRや日本再生医療学会では、来年の総会開催時に一般の方を対象とするイベントも予定されています。高校生や大学生、患者さんやそのご家族におかれましては、そのような機会を利用して、研究や研究者に触れ合い、iPS細胞を含む科学技術に対して忌憚のないご意見をお寄せいただけましたら幸いです。そのようなコミュニケーションを通して、科学と人々の生活との関係をより深く考える研究者が育ち、科学技術への信頼回復にもつながると考えるからです。今後とも、皆さまのご支援をよろしくお願い申し上げます。