トップページ > 薬学と私 > エーザイ(株)医薬販路政策部保険薬局販路室長 安藤稔 氏「感覚は欺かない。判断が欺くのだ」

薬学と私 第7回

 エーザイ川島工園。
   「工場」でなく「工園」なのです。
     緑の森と調和した公園のような工場です。
工場ならぬ「工園」、この言葉との縁が仕事の始まりでしょうか。

『一隅を照らすものは至宝なり』
エーザイ研修所の掛け軸に記された天台宗最澄の教えに共感した故エーザイ会長の言葉です。
 患者さんの人生の一隅を照らす、MR(Medical Representative,医薬情報担当者)の仕事はここに意気に感じるところです。

 MRになって数年後でした。あるリハビリテーション病院を担当しました。
 その病院には、脳卒中後遺症で入院する働き盛りの年代の患者さんが数多くいらっしゃいました。しかし、物理的な筋拘縮と発症への精神的現実否認が、リハビリを強く阻害してしまうのです。
 自社の筋緊張改善薬はこの筋拘縮に有効で、リハビリ効果が向上し意欲も上り、早期社会復帰への道が開けるとされている薬です。
 自社品が役立つうれしさと、患者さんやご家族の笑顔が見たくて、入り浸っては理学療法や作業療法を見学していました。

 このような医療現場の体験がなければ、闘病する方の喜怒哀楽には長く気付かないままでした。
 さらに瞠目すべき点は、発症とその後の闘病という事実、この失望と運命を受容し、いつか乗り越えていく人間の力を目の当たりにできたことです。患者さんの人生観が変化していくのです。薬の力も大なり、と気付きました。

 私の場合、学生時代に一人の師匠に出会わなければ、死生観など到底考えの及ばない生活をしていたはずです。師匠と本を通して視野の広い世界に浸る時間や夜を徹した清茶清話の時間で生や死の概念と対峙できました。
 全くの余談ですが、学生時代で大切なことは、体力の鍛錬、よく本を読み、よく遊び、よく語り、ユーモアのセンスを学ぶこと、と思います。ユーモアとは、相手に対する奉仕の精神であり、複眼的思考の賜物であり、社会が必要とする基本的な知恵のひとつです。

 MRの基本業務はエビデンスに基づく自社品の情報提供と情報収集、すなわち自社医薬品の普及と適正使用を推進し評価につなげることです。
 しかし、大切なことは、MRの仕事がそれだけに留まるものでないということです。信頼関係が保てる人間性の涵養や生命関連製品を扱う者としての倫理観、そして、職業観という意味で大切なことは生と死に対する強い思いなのです。このようなバランス感覚を自身の主柱として身につけていくことが重要です。

 私どもは社業としてMRが主体となり、地域社会と一体となった「まちづくり活動」を支援し、様々な現場知を共有、蓄積しています。
 たとえば認知症の方を支えるために医療と介護・福祉を統合した地域ネットワークに参画している事例が多々あります。認知症治療薬が患者さんご本人とご家族の希望をつなぐ大切な薬剤であることを、そのような場でも体感しました。まだまだ未受診の方も多い現実の課題も感じています。
 現場に行くと、認知症のご本人の尊厳や存在を基本にした活動がされています。このパーソンセンタードケア(1986年ころTom Kitwood提唱)理念が私たちの仕事観にも反映しています。医療はホリスティックメディスンといわれるように患者さんの立場から見て、全人的にその方の健康を考えることが基本です。MRもこの立場で、多職種の一員として薬学を活用した貢献ができると思います。

 長寿高齢社会に向かい、認知症やがんなどのケアが重要な社会的課題となってきます。医学、薬学、介護などの多職種の連携で地域を見守る社会が到来し、薬学の職分はその一員として、地域社会にもっと浸み込んでいくよう要請されると思います。
 薬剤師が、医師への情報提供などにより、個々の患者さんに適正な処方設計に参画できること、医療現場において薬物体内動態や製剤特性など薬学的視点から薬物治療を捉え、知見が述べられること、OTC医薬品(市販薬、大衆薬)を購入される方の体調変化をモニタリングし、医療機関への受診を勧められることなど、薬学を駆使してその職能を発揮し、地域社会においてご高齢の方などの医療やケアでの活躍が期待されます。
 さらに近年、EBM(Evidence Based Medicine,科学的根拠に基づく医療)とNBM(Narrative Based Medicine,語りに基づく医療)との融和が必要と言われています。相手の話を聞き届ける、共感する、このような姿は、病院でも薬局でも、薬剤師の職分として持つべき大切な姿勢かと思います。NBMによる医療とケアへのかかわりが、薬剤師の新しい未来像を予感させる気がいたします。

『感覚は欺かない。判断が欺くのだ』(ゲーテ格言集 新潮社版)
 この言葉を、穴が開くほど見つめてきました。
 すべてを論理的に解決できないこともいっぱいあります。あれこれと考える判断には、自分の立場、面子、そうしたことに対するこだわりで、さまざまなエゴが混入します。むしろ、ありのままに思うことで要所を知ることができるのです。五感の大切さです。しかし、理に徹した議論がないとこの感覚は生まれません。
  「無数の星の中で輝くいくつかの星から北斗七星が星座として浮かび上がるように、薬物体内動態などを活用した薬学的アセスメントを繰り返し実践することで、大事なものがみえてくるのだ。」と在宅療養支援薬局研究会理事越川法子先生がまさに述べておられることなのです。