トップページ > 薬学と私 > 理化学研究所 統合生命医科学研究センター ファーマコゲノミクス研究グループ グループディレクター 莚田泰誠先生「ファーマコゲノミクス研究者としての層別化投薬の確立を目指した取り組み」

薬学と私 第62回

 薬学部卒業後の私の進路につきましては、男子の先輩方 (学内外の生活のあらゆる面でリファレンス・モデルでした) のほとんどが、製薬企業の研究開発部門へ就職されていたこともあり、大学院修了後、福井県の北陸製薬 (現・マイラン製薬) に就職しました。入社後は薬物動態部門に配属され、規模が小さい会社でありましたので、開発品の製造承認申請業務と開発候補品の探索研究に、同時並行的に従事しておりました。

 ところが、その会社がニ度に渡り、外資系企業に買収される事態となり、結局、2003年の福井県の研究所の閉鎖に伴い、私は退職することになりました。15年間の会社勤めでありました。幸い、当時、薬物代謝研究でご指導をいただいていた鎌滝哲也先生 (北海道大学名誉教授) のご紹介で、理化学研究所・遺伝子多型研究センター (現・統合生命医科学研究センター) の中村祐輔先生 (現・シカゴ大学医学部教授) がオーダーメイド医療実現化プロジェクトの立ち上げにあたり、薬学研究者を探していらっしゃるとのことで、拾っていただいたのが今の職場です。
 私自身による自己分析では、決して会社を辞めるようなことはせず、転職のような冒険は避けるタイプでありましたが、上述の事情により、やむを得ずアカデミア研究者に転身したというのが本当のところです。北陸製薬で携わっていました薬物動態学とは、薬物投与後の血液、尿及び組織中の薬物濃度を測定し、からだの中の薬の動きに基づいて薬効や毒性を裏付ける研究であり、それなりに、やりがいのある仕事ではありました。しかしながら、このような基礎的な研究では、患者さんと触れ合う機会がなく、なかなか患者さんのお役に立っているという実感を得ることはできませんでした。さらに、会社の買収後、いわゆる外資系企業になったあとのことですが、日本法人の研究開発における意思決定は、本国の研究開発本部の意向に完全に左右されており、常に、親会社の方ばかり気にしなければならず、患者さんのベネフィットは何かということを考えることもなくなる状況が続いておりました。このまま、患者さんの顔が見えないような仕事を続けていても良いのかと、自問自答を繰り返していたときに、転職のタイミングがあったわけです。
 オーダーメイド医療実現化プロジェクトは、2003年にスタートした文部科学省のリーディングプロジェクトのひとつであり、47疾患、20万人の患者さんのご協力をいただき、世界最大規模のバイオバンク・ジャパン (DNA・血清バンク) を構築し、ゲノム解析研究による、「ひとりひとりの体質に合った医療」 の実現を目指したものです。その中で、薬の作用と遺伝子の情報を結びつけるファーマコゲノミクス (薬理ゲノム学) 研究を、私は担当することになり、2017年現在も引き続き、従事しております。同じ薬を服用した場合でも、患者さんによっては薬が効きやすい、効きにくい、あるいは副作用が起こりやすい、起こりにくいといった個人差が見られます。その個人差に着目し、薬の効果や副作用に関連している遺伝子を見つけることで、患者さんひとりひとりに合った、適切な薬を安全に使い分けることを目指しています。

 薬の作用と遺伝情報を結びつけることが、どのように役立つのか?ひとつは、がん治療における分子標的治療薬とコンパニオン診断薬の同時開発に見られるような新薬開発。もうひとつは、上市後の既存薬を上手に使うための遺伝子検査法の開発であり、私たちの研究グループではこれをミッションとしています。例えば、薬疹は薬の服用によって湿疹が起こる副作用ですが、重症型薬疹であるスティーブンス・ジョンソン症候群 (SJS) や中毒性表皮壊死症 (TEN) では、死亡例や未回復例が7~25%に達し、一度発症してしまうと治療は困難で、まさに後戻りができないことが問題になっています。
 私たちの研究グループでは、特に薬疹を起こしやすいことが知られている抗てんかん薬カルバマゼピンによる薬疹の発症に関連するHLA-A遺伝子を同定しました。ヒト白血球型抗原、HLA (human leukocyte antigen) は免疫に関係するタンパク質であり、ヒトのほとんど全ての細胞表面に存在し、侵入してきた抗原を提示することで免疫反応を活性化させる役割などを担っています。HLA-Aは主要なHLA遺伝子のひとつであり、日本人では約50種類のタイプ (対立遺伝子、またはアリル) が存在することが知られています。その中で、HLA-A*31:01というタイプがカルバマゼピンによる薬疹の発症リスクと関連することがわかりました。カルバマゼピンの服用による日本人の薬疹発症患者77人のうち、58%がHLA-A*31:01を持っていました。このタイプの患者さんでは、HLA-A*31:01を持っていない患者さんに比べて、カルバマゼピンによる薬疹発症のリスクは9.5倍になります。

 日本人で、カルバマゼピンによる薬疹の発症頻度は約3%と報告されています。このうち約6割がHLA-A*31:01を持っていることになりますので、3%の6割、すなわち、約2%の患者さんを事前の遺伝子検査で特定しておいて、カルバマゼピン以外の抗てんかん薬を服用することにより、薬疹の頻度を2%減らすことができます。このようなHLA-A*31:01検査の臨床的有用性を実証するために、私たちの研究グループは、前向きの臨床研究を実施しました。今後は、HLA-A*31:01とカルバマゼピンによる薬疹の発症リスクとの関連の情報を、国内の治療ガイドラインへ反映したり、HLA-A*31:01遺伝子検査の体外診断薬としての製造承認の申請をしたり、さらには保険適用を目指すなど、取り組むべき課題は山積みですが、ファーマコゲノミクス検査の実用化に向けては着実に進んでいます。今後は、ひとつでも多くの遺伝子検査について、臨床における検証を行い、患者さんに優しい、よリ適切で安全な層別化投薬を確立したいと思います。