トップページ > 薬学と私 > 株式会社医薬ジャーナル社 代表取締役会長 沼田 稔氏 「私が日本薬学会に入会できたわけ」

薬学と私 第49回

 株式会社医薬ジャーナル社の設立は、昭和40年(1965年)の8月2日であった。そして、その年の10月号を創刊号として月刊専門雑誌「医薬ジャーナル」を刊行。このようにして医薬ジャーナル社は、50年前、1冊の雑誌とともにスタートした。年齢未だ31歳、医薬品業界紙の記者5年弱のキャリアだけが頼りの人生再出発であった。

 そして現在、医薬ジャーナル社の出版活動は、定期刊行物では、「医薬ジャーナル」をはじめ、「化学療法の領域」(昭和60年創刊)、「血液フロンティア」(平成3年創刊)、「CLINICAL CULCIUM」(平成3年創刊)、「アレルギー・免疫」(平成6年創刊)の月刊雑誌5点など、また単行本に関しては、年間60点前後の新刊ペースが安定してきている。さらに創立50周年を迎えた本年では、100点の新刊書発刊をめざしている。

 その私自身が日本薬学会の会員資格を得たのは、創業から11年を経過した昭和51年(1976年)のことである。入会のきっかけとなったのは、ひょんなことからであった。当時、山口県の宇部にあった医薬品卸会社「末永天正堂」の末永克己社長のご来訪を受けた際のことである。何が話題でそうなったのかは、今やまったく記憶にはないが、ちょっと日本薬学会の会員名簿を見せて欲しいということになった。現在とは異なり、同学会の名簿は、会員だけに冊子として配布されていた時代のことである。そのようなことで、非会員としては社内に持ち合わせがなく、ご要望にはお応えできなかったのだが、「専門ジャーナリズムとして、日本薬学会の会員名簿も持たないとは何たることか」と、なかば呆れ顔での末松社長からご注意を受けたという次第である。

 そこで、これではならじとばかり、早速、日本薬学会への会員登録申請を行った。当時の日本薬学会は、薬学とその関連分野の基礎研究者の限られた集団といった印象が強く、たとえ薬剤師ではあっても、入会に際しては適切な推薦人を必要とするという、そのような専門性の強い時代であったと記憶している。何しろ、その設立は明治13年(1880年)で、足かけ3世紀にもおよぶ活動を続けてきている学会である。明治36年(1903年)に設立された日本内科学会や、大正12年(1923年)設立の日本結核病学会よりも長い歴史を持つ名門だ。

 そのような権威ある学会への、学歴もなくクスリについても「門前の小僧習わぬ経を読む」程度の理解力しか持ち合わせのない一介の専門雑誌編集者の入会申請である。当然、一笑に付され却下されるものと思い込んでのうえのことであった。しかし、意外にも折り返し入会承認のお知らせを頂いたのには、驚き感謝した。どうしてご承認頂けたのか、その理由については、未だ分からずにいる。

 しかし、今ここへきて思うことは、あの時点から既に日本薬学会では、「基礎研究者の限られた集団」から脱皮して、現在あるような医療薬学分野をはじめとする多彩な専門分野を統合した開かれた学会へと、その道筋を探る試みが胎動していたのではないかということである。  因みに、私自身が思いがけなく会員資格を得た昭和51年(1976年)というその年は、東大と阪大に初の「医学部附属病院教授」が誕生した歴史的な年でもあった。それまで、国立大学附属病院の薬剤部長には教授のポストが与えられなかったが、文部省(当時)はその年になって、ようやくにして重い腰を上げた。薬剤部長が教授でなければ、調剤現場での研究や臨床研修医への薬剤についての指導などの面で、十分な職能を果たせない不合理さがあるとの、かねてからの批判に応えるものであった。

 この薬剤部長の教授職誕生は、基礎、臨床に亘る薬学分野の大きな転換期という意味において、象徴的な出来事であったといえよう。

 そしてさらにまた時代は21世紀を迎えるに至って、日本薬学会は一層大きくその門戸を広げ、薬学における多彩な専門分野を如何に旨く統合していくか、そして如何に学術活動の活性化を図るかという課題に直面することになる。

 2000年10月大阪で開催された日本薬剤師会学術大会での記念シンポジウム「新世紀における薬剤師の使命」では、シンポジストとして、佐谷圭一日本薬剤師会会長、キールガストFIP(国際薬剤師・薬学連合)会長らに、寺田 弘日本薬学会会頭がこれに加わり、独自の立場からの論議を提起した。開局薬剤師を中心とする日薬学術大会への日本薬学会会頭のこのような参加は、それまでに例をみなかったことで、そうした意味では、20世紀の締めくくりともいえるこのシンポジウムはまた、新しい時代の「薬・薬・薬連携」脚注 のいわば前夜祭とでもいうにふさわしい趣を持つものであった。当然のことながら、20世紀は無駄に時を過ごしたのではなかったということだ。

 しかし、ここで忘れてはならないことは、薬学のアイデンティティ、即ち、薬剤師が薬剤師であることの自己証明ということであろう。その自己証明とは何か。薬剤師は医師でも看護師でもない。医療薬学を担う薬剤師は、本来の薬学そのもので患者にアプローチしなければならないということだ。次世代を担うこれからの薬学・薬剤師の方々には、これまで先人・先輩が築き上げてきたその歴史に学び、この21世紀におけるさらなる薬学の発展に取り組んで頂きたいと願っている。「歴史とは生き方」の学びなのである。

脚注:日本薬剤師会と日本病院薬剤師会による「薬・薬連携」に、もうひとつ日本薬学会が加わっての新たなる3薬連携体制。