トップページ > 薬学と私 > 一般社団法人日本プライマリ・ケア連合学会 理事 矢澤一博先生 「やりたいことときっかけを大切に」

薬学と私 第46回

 私は家業の薬局三代目薬剤師になることを期待されながら育った環境(現在、故人を含めればDNAのつながりがある薬剤師9人、医師・歯科医師が8人)があり、何の抵抗もなく明治薬科大学に入学しました。しかし、それが「薬学」から遠くなる第一歩でした。終わってみなければ分からないものです。

 入学の年、学生運動・学園紛争の影響で東大の入試も行われない時代、薬科大学にも紛争が及んでいました。入部した漢方研究部の部室で、授業がないことを幸いにどっぷりと「漢方」に親しみました。そして「湯液その内を攻め、鍼灸その外を攻めれば、病すなわち逃れるところなし」という言葉を目にします。これがきっかけです。自分は東洋医学に関心を持っているが「漢方」はその一部でしかない。「鍼灸」を学ぶにはどのような方法があるのか。そして大学二年の春には鍼灸理療専門学校の二部(夜間)に入学しました。これが行動の選択です。
 昼は薬科大学生、夜は専門学校生の生活は、幅の広い人々との出会いと昼夜を問わない習慣をもたらしました。昼は科学・化学を中心に学び、夜は当時の薬学教育で不足であった「症候」「診断」「治療」などを学び、「生理」「解剖」「病理」を復習できました。二校を卒業し、東京教育大学教育学部理療科教員養成施設臨床専攻課程に入学しました。鍼灸臨床を通して、人体の圧痛、硬結、緊張、弛緩、温・冷、湿潤・乾燥などを知り、様々な治療効果も体験しました。そして、患者さんは効けばそれでよく、メカニズムや治療の考え方には関心がないことも知りました。一方で、大学で身につけた実験に対する姿勢は研究活動に大いに役立ちました。二年間の臨床専攻生を終え、非常勤の教務補佐員となり、大学に出ない時は三ノ輪の漢方薬局で漢方の多くを学びました。
 ある時、芹沢勝助主任教授に「将来、薬学博士になりたいか、医学博士になりたいか」と尋ねられ、「医学」を選びました。そして、東京大学医学部大学院研究生(第二生理学のちに医用電子工学)となり、さらに東京都老人総合研究所佐藤昭夫先生の下で自律神経生理学の研究指導を受けることになります。もちろんすべて夜間あるいは土日・祭日の活動です。その後この一連の研究が私の学位論文になりました。そして、これまでの間にご指導いただいた諸先生の人間性に強く影響を受けました。
 既に1973年筑波大学は開校しており、1978年東京教育大学が閉学、私は非常勤講師を経て筑波大学専任講師となります。そして、学内プロジェクトで大学病院の中で素晴らしい臨床医加納勝利教授の指導を受けます。高校を卒業した時には想像もできない臨床・研究三昧の生活でしたが、妹の病死を契機に1985年筑波大学を辞します。

 前後しますが1979年に日本プライマリ・ケア学会が設立されます。教育大学研究室の方針もあり、私も間もなく入会します。学会は地域医療を実践する個性豊かで勉強熱心な医師が、多職種連携を大切に活動しており、何とも居心地の良い学会でした。医師、歯科医師、看護師、理学療法士など多くの職種と知り合い、相互尊敬の大切さを学び、多職種連携・協働の重要性を実感しました。薬剤師の資格を持っているが「薬剤師」は医療の一資格でしかない。医療全体を学ぶにはどのような方法があるのか・・・の答えがプライマリ・ケア学会(現在の日本プライマリ・ケア連合学会)でした。好奇心に任せ、北海道から沖縄まで幾多の研修を受講しました。
 そんな中、ある「肩ポン」でそれまで希薄であった薬剤師としての意識を改めて持つことになります。1995年阪神・淡路大震災の後、被災した医師を東京に招いての研修会が開催され、終了後の懇親会で渡辺淳先生に「肩ポン」され「君は薬剤師なのか、薬剤師もこういうところに出て大いに勉強したまえ」と励まされたのです。会場で薬剤師は私だけでした。医療職の仲間としての薬剤師を再認識し、この後は医療研修委員会、薬剤師研修制度に関する委員会、広報委員会そして評議員としての学会活動に熱が入ったのは言うまでもありません。私は薬学から考えた薬剤師のあり方ではなく、医療職・患者から期待される薬剤師の能力とあり方・なりたい薬剤師を迷わずプライマリ・ケアの薬剤師像にしました。薬学は幅が広いのでその中にいると「多様」と感じますが、医療の多様性から見れば一職種でしかないのです。医師や看護師が患者中心の医療を実現しようと活動しているとき、協働できる薬剤師がチーム医療の仲間として認められるのです。日本プライマリ・ケア連合学会に入った薬剤師は、プライマリ・ケア医、家庭医、総合診療医に会えるのが楽しみであると言います。薬剤師がプライマリ・ケアマインドを身につけ、他医療職から会えるのが楽しみだと言われることを期待しています。

 明治薬科大学客員教授となり薬剤師生涯学習に関わり、学会では薬剤師研修制度の検討に入る中、2004年の  薬剤師認定制度認証機構(CPC)の設立と代表理事内山充先生のお考えを知り、強く共鳴したことは現在の活動につながる大きなきっかけでした。そして、CPCへの明治薬科大学の申請(G06)に関わり、プライマリ・ケア認定薬剤師の創設と申請(P02)に関われたことはこの上もない喜びです。
 日本では十分に理解されていませんが、公益的組織の認定薬剤師や専門薬剤師の制度も第三者評価を受ける必要があることは間違いありません。幸い日本には第三者評価機関としてのCPCが存在するのですから、それを発展させ、全ての認定・専門薬剤師制度が認証を受けることが、国民に分かりやすい薬剤師・薬学界の一歩となると信じています。

 日経ドラッグインフォメーションプレミアム2010年1月号の特集「薬剤師1000人に聞いた 取りたい資格、なりたい薬剤師」で、『プライマリ・ケア認定薬剤師』は第2位となりました。なりたい薬剤師の1位は『地域の医療職と連携しながら地域医療や在宅医療に担い手になる』でした。この特集は、2009年8月にプライマリ・ケア認定薬剤師制度が創設・公表され、プライマリ・ケア認定薬剤師はまだ一人もいない時の調査結果です。プライマリ・ケア認定薬剤師が取りたい資格であり、地域医療での活動がなりたい薬剤師という結果は今も変わらないと考えています。2015年4月現在、北海道から沖縄まで108名のプライマリ・ケア認定薬剤師が誕生していますが、まだまだ少ないのが現状です。日経DIの特集をきっかけにプライマリ・ケア認定薬剤師を取得した方も存在します。やりたいことときっかけを大切にするかはあなたの選択にかかっているのです。