トップページ > 薬学と私 > 株式会社南江堂  今日の治療薬編集室 猪狩奈央氏 「薬学と少し離れてみたけれど」

薬学と私 第45回

 「薬学と私」をお読みいただいている皆さん、はじめまして。猪狩奈央と申します。私は2003年に大学院薬学研究科(前期博士課程)を修了し、いまは「薬学」とは少し離れ、南江堂という出版社で「今日の治療薬」という医療用医薬品集を企画・製作する部署に所属しています。本稿では、なぜ「薬学」と少し離れたところで働くようになったのか、また、出版社でどんな仕事をしているのかについて、まとめてみたいと思います。

 2001年3月に大学を卒業した私は、薬剤師資格をなんとか取得し、大学院へ進み、半年間の病院研修ができる医療薬学を専攻しました。
 病院研修では、病棟での服薬指導やTDM、透析室のスタッフカンファレンス、医師と合同の論文抄読会など、研修生として幅広い業務を体験させていただきました。研修中は、レポートをまとめる機会が多く、研修先の病院の小さな図書室で、医学雑誌の総説や看護師向けの教科書をよく読みました。
 ところが、医師向けあるいは看護師向けの資料では、薬剤師としての私の疑問をうまく解決してくれません。大学の図書館でも同様で、基礎薬学の資料は充実していても、医療薬学の資料は当時、図書館の片隅にひっそりと並べられているだけでした。
 「薬剤師が書いた薬剤師のための医療薬学の本があるといいのに」
 私の大学院時代、何度も頭に浮かんだ言葉でした。

 もうひとつ、大学院時代に何度も頭に浮かんだ言葉があります。
 「調剤が苦手」
 薬剤師として働くにあたって、調剤は根幹ともいえる重要な業務です。にもかかわらず、私ときたら、処方せんに記載された薬剤がどこの棚にあるのかを探すのにまごつき、ようやく見つけたヒートが10錠包装なのか14錠包装なのかをその場で数えないとわからないという有様。また、スピード重視で軟膏を容器に詰めると、容器の周囲に軟膏がはみ出し、容器全体がベタベタしてしまう始末。
 それらは調剤以前の問題だと思いますが、スピードと正確性を同時に求められる調剤がいつか私にも出来るようになるとは到底考えられませんでした。
 調剤が苦手となると、病院や薬局で働くのは無理。大学院修了後の進路についてうじうじと悩んでいた頃、恩師である福島紀子先生(慶應義塾大学薬学部教授)から、予言めいた言葉をかけられました。
 「あなたは薬剤師にならない気がするの・・・」
 数多くの学生を指導された福島先生のご経験から、私のように悩みを抱える学生は薬剤師に向いていないとお考えになったのかもしれません。私は福島先生の言葉にショックを受ける一方で、とても解放された気分になったことを覚えています。
 「薬剤師にならなくてもいい。それなら、薬剤師以外の道を探してみよう!」
 その後、新聞の求人欄で偶然みつけた南江堂に運良く就職することができました。
 「南江堂に就職すれば、”薬剤師が書いた薬剤師のための医療薬学の本”を作ることが出来るかもしれない。」
 いま思えば、学生らしい期待を胸に南江堂へ入社しました。

 入社後は薬学部や医学部の教科書を企画・製作する部署を経て、「今日の治療薬」編集室に異動し、現在は「今日の治療薬(浦部晶夫ほか編集)」や「今日のOTC薬(中島恵美ほか編集)」などの書籍を担当しています。
 薬学系や医学系の書籍は、編集者(薬剤師や医師などの専門家)が基本方針をたて、それに沿って複数の執筆者(こちらも薬剤師や医師などの専門家)が分担執筆する「編著」スタイルが主流になっています。
 私たち出版社の社員は、編集者とともに書籍の基本方針を検討し、執筆者から原稿を集め、それらが基本方針にそった内容であるかどうかを精査します。各執筆者には書籍全体の原稿を読む機会がありませんので、全体像をつかみ、個々の原稿の問題点を洗い出し、調整することが私たちの仕事になります。
 もし、基本方針から外れると思われる原稿があれば、私たちが修正提案を添え、編集者へ伝えます。修正提案は、専門家が執筆した原稿に、素人である私たちが「意見する」ことになりますので、過去に刊行された書籍や文献、インターネットの情報にあたりながら、慎重に行うようにしています。とはいえ、私は編集者や執筆者に的外れの内容を提案してしまったことも少なくなく、勉強不足を反省する毎日です。
 入社から10年以上経過し、現在は幸運にも“薬剤師が書いた薬剤師のための医療薬学の本”を担当できるようになりました。特にここ数年は、がん治療や在宅医療、OTC薬販売など、医療の最前線で活躍する薬剤師の先生方から原稿をいただき、意見を交換しながら、書籍を作り上げていく楽しさを味わえるようにもなりました。
 書籍を作り上げていく上で、学生時代に学んだ「薬学」の知識が役立つのは、実際のところ、ほんのわずかにすぎません。しかし、これからも決してゼロになることはないでしょう。
 「薬学」は私のふるさとです。いまは、少し離れたところで働いていますが、これからも「薬学」に関わる皆さんの発展を祈っています。