トップページ > 薬学と私 > サイエンスライター 佐藤健太郎 氏 「創薬研究からライターへの転身」

薬学と私 第41回

 筆者は、サイエンスライターという珍しい肩書の人間である。今まで同業者に会ったことは数えるほどしかないし、中でも化学を中心分野とするライターは、自分自身以外にほとんど知らない。独立した時には、こんな仕事が果たして成り立つものなのか、我ながら皆目見当がつかなかったが、幸いにして今のところ各方面から仕事をいただいて、どうやら飯が食えている。どうしてこういうことができているかといえば、やはり薬学という分野との出会いがあったからこそであると思う。

 筆者は大学進学の際、理学部を選択した。化学が好きだったから、ならば理学部だろうという単純な理由だった。今にして思えば、薬学部という選択肢も考えるべきだったと思う。卒業後筆者は製薬会社で創薬研究に携わったが、何しろ生物学にはうとく、「in vitroとin vivoはどっちがどっちだっけ」程度の知識で入社したため、ずいぶん苦労したからだ。

 薬学部でも化学は学べたし、生物学、医学、生命倫理など幅広い知識を身につけることもできたろう。薬剤師の資格も取れたかもしれないし、医薬品企業、医療関連の仕事など、やりがいがあり、しかも社会に重要な貢献をできる道が開けることが大きい(ついでにいえば薬学部には女性が多いから、筆者のような男でも多少は華やかなキャンパスライフを過ごせたかも、という後悔も若干ある)。教育というものは、受験のテクニックを仕込むだけでなく、本来こうしたことをこそ教えてくれるべきものであると思うが、残念ながら高校生当時の筆者はその環境になかった。

 というわけで筆者は、会社に入ってから独学や耳学問で、医薬に関する知識を身につけていくことになった。有機合成はもちろんのこと、タンパク質化学、薬理学、コンピュータの操作、毒性学、薬物代謝、各種分析技術などなど身につけねばならぬことだらけで、何しろ必死だった。製薬会社の研究所というところには、これら様々な学問に通じた一騎当千の強者たちがわんさかとおり、聞けば何でも教わることができた。今にして思えば実に得難い環境で、多くのことを学ばせていただいたものと思う。

 また医薬というものは、研究の結果生み出された成分がそのまま人体に入り、積極的に生体のシステムにタッチするという意味で、大変に珍しい製品だ。副作用などの問題は決して切り離せるものではないし、良きにつけ悪しきにつけ社会に与える影響が大きい。

 そして医薬は、企業と社会に対して直接に、非常に大きな利益をもたらしうる製品という点も特徴的だ。他の業界であれば、より速いコンピュータチップやより丈夫な繊維といった新たな研究成果を出しても、それだけで製品は成立せず、いくらか商品に付加価値を与える程度に過ぎない。しかし医薬品の場合、ひとつの研究成果が何万という生命を救い、何十万人の苦痛を和らげ、何千億円という金額を稼ぎ出すこともありうる。

 こうした医薬というものの特質は、研究所の一所員でしかなかった筆者にさえ、研究と社会・経済の深い関わりを意識させずにおかなかった。またここから展開して、医薬(及び各種有機化合物)が、歴史の中でどう生かされ、どう影響を与えてきたかについても、興味を抱くこととなった。現在筆者が書き手としてやっていけているのは、これらのことが重要な基盤を与えてくれたおかげと思う。

 筆者はこれまで、単著6冊、共著1冊、監修1冊の本を世に送り出してきた。最初の本である「有機化学美術館へようこそ」は純然たる有機化学の本、「医薬品クライシス」及び「創薬科学入門」は、医薬を創る現場とその周辺状況を描いた本で、いわば「本業」の知識を活かして書いたものだ。

 しかし「化学物質はなぜ嫌われるのか」、「『ゼロリスク社会』の罠」、「身近にある危ないモノ」(監修)は、医薬を含め各種のリスクについて記した本で、これは医薬品のリスク問題に対する意識から展開して生まれたものだ。また「炭素文明論」や、ウェブ連載した「世界史を変えた医薬品」(書籍化予定)は、化合物と歴史の関わりを描いた本だ。こうした作品のバックグラウンドとなったのは、やはり医薬研究に携わった13年の日々であった。筆者は、研究者としては能力不足で、医薬を生み出すことは夢のままに終わってしまったが、そこで得たものは決して無駄ではなかった、と今にして思う。

 筆者が創薬の現場を去ったのは、2007年のことであった。その後、医薬品業界をめぐる状況は、さらに大きく様変わりしつつあるようだ。かつて花形であった発酵創薬から合成低分子へ時代は移り、そして現在はバイオ医薬が花盛りとなっている。世界の医薬品売り上げベスト10のうち、7つまでをバイオ医薬が占めている現状を見ると、この世界の移り変わりの速さに改めて驚きを禁じ得ない。核酸やペプチド、さらには細胞治療といったものまでが登場している現状を見ると、今や医薬という枠組み自体が境界を失い、大きく広がっていきつつあるようにも見える。そして残念ながら日本の企業は、この流れにもう一つ乗り切れていないようであるのは、外から見ていて歯がゆい限りだ。

 大学生などに、「製薬企業で研究をしたいのですが、どのようなスキルを身につければよいでしょうか」と問われることがある。正直、返答に詰まってしまう。これだけ移り変わりが速い世界であれば、特定のスキルだけを磨いたところで、数年でトレンドから外れてしまう可能性も十分ある。

 しかし新薬を待ち望む患者がなくなることはないし、創薬が生涯を捧げるに値する素晴らしい仕事であることも、今後変わりはないだろう。医薬品を取り巻く現状が変わりつつある現在は、新たな発想で勝負ができる大きなチャンスともいえる。若い世代には、特定の手法にこだわることなく、ぜひとも柔軟な発想で創薬に取り組んでほしいと思う。そして大学や研究所には、それを可能とする環境を整え、彼らを支え育てることを希望したい。

 どんな研究者も、いつか必ず現場から離れる時が来る。しかし筆者がそうであったように、薬を創るという経験から得た技術や発想は、必ずや他の環境でも生きてくるものと思う。若い世代は薬学という領域の中で自分の武器を磨き、創薬というフィールドに飛び込んで自在にその武器を振るい、活躍してほしいものと思う。