トップページ > 薬学と私 > 東京都福祉保健局医療政策部医療政策課長 矢澤知子 氏 「成長できることの素晴らしさ」

薬学と私 第37回

人の役に立ちたい、社会に貢献したい。薬学を志す皆様は、きっとそう願っていらっしゃることでしょう。皆様に輝かしい未来が訪れることを確信しつつ、私の宝物である「経験」をお伝えしたいと存じます。

 都庁の薬剤師には、大きく分けて、薬事監視員と都立病院薬剤師の2つの道があり、私は、病院薬剤師を志望して都庁に就職しました。
 病棟、医薬品情報業務を経て、厚生労働省治験コーディネータ研修を第1期生として受講し、治験事務局と治験コーディネータ業務を担当しました。要綱改正や契約事務を行う中、手続きを教えてくださった事務職員の視野の広さと、能力の高さに憧れ、今思えば無謀な行動ではありましたが、行政職の管理職試験を受験し、平成14年から事務職の道を進み始めました。そして、今もなお成長していると実感できる職場環境に感謝しています。

 第一の宝物は、東日本大震災による甚大な被害を受けた、宮城県気仙沼市での医療救護活動の経験です。
 東京都福祉保健局医療政策部は、震災当日の平成23年3月11日夕方に都庁を出発し、東京消防庁と共に気仙沼市に入り、東京DMAT、医療救護班、薬剤師班を派遣するとともに、宮城県災害医療コーディネータ、気仙沼市立病院と連携、協力して現地に拠点を構え、全国から集まってくる医療救護班の活動をコーディネートするという重責を担っていました。
 4月に入ると現地の復興が進み始め、医療救護班の活動は、人命救助から、避難所での健康管理へと移行していきました。
 災害医療といえば、ライフラインが途絶える中、多くの傷病者の診療に追われるイメージが強いと思いますが、実は、その後も肝心です。避難所の衛生管理や、糖尿病など慢性疾患を抱える方への対応を行いながら、被災地の復興に伴い、医療体制を従前の体制に戻し、安全に医療救護活動を終了することこそ、重要で困難な任務です。
 私は、医療救護活動を復興後の医療体制へ引き継ぐ方法を探る、という責務を果たすため、4月末に現地へと向かいました。
 まず、活動日誌から、患者動向を把握するとともに、市や医師会と情報交換し、既に、市内7割の診療体制が復興しており、円滑な引き継ぎを望んでいることを確認しました。
 一方、他県の班員から、医師不在の病院への支援、在宅患者への対応はどうするのかといった、様々な意見がありました。医療の復興に係る重要な課題でしたので、市、医師会、宮城県災害医療コーディネータに重ねて協議をお願いし、その結果、市が当該病院を支援することや、在宅支援班の活動継続など、具体的な対応策を講じつつ、段階的に医療救護活動を縮小し、安全を確認しながら引き継ぐことになりました。
 100名を超える班員は、活動意欲で満ち溢れた方ばかりです。引継計画を受け入れていただけるかどうか不安でしたが、こうした経緯を、ミーティングで説明したところ、温かい笑顔でご賛同を受け、復興支援という新たな目標に向けて引継を行うことになり、班員の柔軟な判断力と、お心の寛容さに敬服いたしました。
 医療情報の引継ぎですが、その主役は、お薬手帳でした。6月末に安全な引継ぎを実現したのは、発災直後からお薬手帳に情報を集約し、責務を全うした薬剤師班の功績です。
 被災地では、あらゆる人が、明確な目標を持ち、責務を果たしていました。その方々からのご教導の下、ご一緒に活動させて頂いたことは、私の貴重な宝物です。

 もう一つは、平成16年から医事課長として従事した病院の医療訴訟事件への対応です。
 医事課は、診療報酬請求事務、地域医療連携、退院後在宅への医療等に加え、医療訴訟を所管しており、私は、事案発生から2年を経過してもなお、解決の糸口が見えない訴訟事件を担当することになりました。
 もちろん、交渉は弁護士にお願いするのですが、医療訴訟は、当事者だけでなく、病院全体に必要以上の負担を強いることがあります。何度も繰り返し報道するマスコミなど、外的要因があればなおさらです。
 私の責務は、病院職員が、溌剌と医療を提供するための環境づくりでしたのに、報道関係者、警察、弁護士等との対応や、予期せぬ事態への対応などに追われていました。
 追い詰められて失敗すると、失敗したくないと逃げ腰になり、また失敗します。もがき苦しみ、もう限界かな、と諦めかけた時、ふと気付きました。真摯に向き合わなければ何も始まらない、と。上手に捌かなければと焦り、当たり前のことを見失っていたのです。
 その日から、何事からも逃げることなく、事実を正確に受け止め、立場や、考え方が違う相手であればあるほど、傾聴し、誠心誠意向き合おうと決めました。そして、やるべきことには、全力で挑戦しようと心がけました。
 その後、示談が成立し、病院が新たなスタートを切る機会を得たられたこととともに、自己を失いかけた経験が、今の私の糧となっています。

 薬剤師を目指したのも、東京都を職場に選んだのも、人の役に立ちたい、社会に貢献したい、と願ったからですし、事務職である今も志しています。
 現在は、未だ先輩に導かれ、周囲の方々に助けられ、支えられながらやっと進む毎日です。でもいつか社会に貢献し、人の役に立つことができるよう、そして、これまで受けたご恩に、少しでも報いることができるよう、諦めずに強く歩んでいければと思います。

 薬学を志す皆さまの益々のご健勝をお祈り申し上げます。