トップページ > 薬学と私 > 日本薬学会広報委員 長谷川洋一 「経験・体験から学ぶこと」

薬学と私 第31回

 本学会ホームページのリニューアルとともに「薬学と私」のコラム連載がスタートしたのは、平成22年(2010年)12月でした。慢性的な経済不況下で、「夢がない」「希望がない」「やりたい事が分からない」という現在の若い世代に、第一線で活躍されている方からのメッセージとともに、「薬学には、多くの夢があり魅力ある世界であること」を伝えようという当時、張替委員の企画提案をきっかけに島崎委員とともに3人で進めてきました。本コラムも連載途中、張替委員から永田委員へ、そして坂口委員へと委員の交替があるなか、当初10回の予定であったのが、おかげさまで30回を迎えるまでになりました。ここまで継続できたのは、企画もさることながら、薬学をベースにした意志ある仕事人が多いこと、さらに薬学に期待を抱く人が多いことなどが理由に挙げられるのではないでしょうか。そして、何より次世代を担う若者や後輩に頑張って欲しいという熱い思いが共通して存在していることであると思います。
 今回、第30回を一つの区切りとして、本コラムを担当した1人として振り返ることにしました。

 これまで登場いただいた方々のコラムを拝読していると、自分のいい加減さが恥ずかしくなってきます。でも、現在、大学人の1人として、本コーナーから学んだこと、そして日頃考えていることを僭越ながらしたためることにしました。

 大学に赴任して、5年が過ぎました。専門領域は実務です。それまでは、大学卒業後、大学院に進学し、うち1年を病院での実務研修にあて、病棟活動(当時はまだ業務ではなく活動と称されていました)を模索していました。昭和61年のことです。大学院を修了し、そのまま病院に就職、数回の転勤を経て今に至っています。
 大学院時代の病院研修時に、患者さんを始め、医師、看護師、薬剤師との出会い、そしてそれをサポートしていただいた大学の恩師の存在が今の自分の基本になっているといっても過言ではありません。薬剤師にできることは何か、どうしたら役に立てるかを毎日のように考えていたのを思い出します。振り返ってみますと、そんなときに、いろんな“きっかけ”があったと思います。
 病棟研修中、「骨髄移植と免疫抑制剤(シクロスポリン)」という話題の記事を見つけました。当時は、今ほど骨髄移植が行われていない時でしたので、骨髄移植?免疫抑制剤??シクロスポリン???といった感覚でしかなかったのですが、調べていくうちに、これがTDMなんだ!と気づき、薬剤師として関わることができるのではとの思いが募っていきました。ただ、TDMを行うにも血中濃度の測定法が確立されておらず、調べれば調べるほど、シクロスポリンの物性に特徴があることがわかり、まずは何とか測定できるようにすることを目標に医師、薬剤師、大学の協力のもと検討したのを覚えています。
 続けていくうちに、「この薬の血中濃度が測定できるようにしてみないか?」「○○の研究をされている先生(医師)を紹介したいんだけど」「今度病棟旅行に薬剤の先生も一緒にどう?」・・・仕事以外の話もありましたが、いろいろ声がかかるようになりました。“きっかけ”が「きっかけ」を生み、次につながるかもしれないということで、ワクワクしたのを思い出します。でも、忘れてならないのは、何事も自分なりに考え、一生懸命取り組むことです。

 病院研修時代は、臨床薬学という言葉が注目され、日本では、アメリカの薬剤師業務を参考に、臨床現場での役割や関わり方を学ぼうと病棟活動という形で取り組んでいました。日本でクリニカルファーマシーや臨床薬剤師という言葉が盛んに使われたのも丁度その頃だったと思います。
 当時を学生目線で振り返ると、大学で学ぶ授業内容は、アメリカでの薬剤師業務と照らし合わせても内容的に大きな差はないのでは?と感じました。では、何が違うのでしょうか。臨床とのつながり、今習っていることをどう使えばいいのか、すなわち知識を実践に変えることの方法がわからなかったのだと思います。
 私は、基礎の上に実務が成り立っているということをもっと意識すべきと考えています。
まさに、実務は、基礎知識や専門知識をベースに、臨床現場で患者にいかに適用するかを評価していくものであると思います。そのためには、大学において、基礎と臨床の接点を常に持っている必要があると思います。この患者に最適は何かを考える場合、様々な知識を結びつけ、評価して行かねばなりません。それが実務だと思います。

 相対性理論で有名なアルベルト・アインシュタインの残した150の言葉の一つです。もっともなことですが、何故か一番自分の心に響いています。6年制薬学教育で充実を図った医療薬学領域での実務実習の必修化は、まさに実務を経験・体験し、そこから学ぶことの意義が、まさにアインシュタインの言葉とつながったわけです。
これまで経過した時間のなかで、成功したことも、失敗したこともあります。比較すれば失敗したと感じることの方が圧倒的に多いですが、大学の授業でいえば、「今日はいつもより時間がかかった」とか、「今日は上手く説明ができなかったので、伝わったかな?」などと考えることで次の改善につなげていく、その繰り返しが重要だと思います。
 基礎であれ、応用であれ、臨床であれ、知識を操っているのは経験であり、そうした経験の中から新たな発見があるのかもしれません。

  病院での研修時代は、まだまだ薬剤師が薬局の外に出向くことが一般ではありませんでしたが、いろんな職種の方々との協働は、趣味の話や世間話から仕事上の専門的な話まで、会話がなければ成り立たないことを痛感しました。特に患者さんに対して、医療スタッフとして関わる際には、その患者さんの人生に影響を与えている1人だという自覚をもつこと、良い影響を与えるように関わらなければならないということを恩師から学びました。これも、自分の心に深く刻まれた言葉です。出会いのなかから、いろんな視点を学ぶことにもなります。そのような意識を常に持ち続けることを心がける必要があると思います。

 この「薬学と私」に登場された方々とは面識のある方もない方も様々ですが、コラムを通じての出会いが、薬学を志す多くの人の人生に影響を与えるきっかけになれば幸いです。