トップページ > 薬学と私 > 医薬品医療機器総合機構(PMDA)国際業務調整役 佐藤淳子 氏 「日本、そして世界の患者さんにより良い薬物療法を」

薬学と私 第30回

 私は、現在、医薬品医療機器総合機構(Pharmaceuticals and Medical Devices Agency:PMDA)に所属し、2012年5月からは欧州の医薬品規制当局であるEuropean Medicine Agency(EMA)にJapan Liaison Officialとして赴任しています。 薬剤師として医療機関で働きたいと思い、薬学部を選んだのですが、大学生活を送っているうちに研究に興味を持つようになり、大学を卒業する際には、医学部の助手という道を選び、教育や研究に携わりました。

 就職したのが医学部だったこともあり、基礎的研究とはいうものの、臨床で起こっていることのメカニズムを追及するような研究に複数携わることが出来ました。
 臨床で実際に何が起こっていて、どういう点に困っているのか等を、診療に当たっている医師から聴き、臨床医と一緒になり、発現機序の追及やその予防策等について研究し、それらの研究結果をもって、学位を取得しました。始発電車で出勤したり、大学に泊り込んで徹夜でサンプリングをしたりと、昼夜を問わず、働いていたことを懐かしく思い出します。国内外の学会にも参加するようになり、様々な刺激を受けるとともに、所属大学のみならず、同じ領域で活躍している他学の先生方とも横のつながりを持てるようになり、とても刺激的な毎日を送っていました。
 併せて、学内外で開催される症例検討会にも数多く参加し、学術書を読んでいるだけでは把握できない症例毎のバリエーションや医薬品使用の実際も知る機会に恵まれたことは、後の私の仕事に大きな影響を与えたと考えています。

 大学に勤務している間、関連病院にて薬剤師として働く機会にも恵まれ、埼玉、千葉、東京にある70-80床規模の3つの病院に勤務しました。たかがアルバイトではありますが、この時の経験は今でも私の仕事に対する姿勢に大きな影響を与え続けている素晴らしい経験だったと思っています。
 比較的規模の小さい医療機関で働く機会を得ましたので、調剤を行うのみならず、保険請求の実際を垣間見たり、様々な患者さんから色々な話を聞くなど、色々な経験をすることが出来ました。一日の服用回数別に内袋で薬を分けて渡しても、丁寧に一錠ずつに切り離して、海苔の缶でシャッフルして、いつも薬の数が合わなくなる方、著しい肝障害があるのにアルコールを止められない方等、驚く事ばかりの毎日でした。でも、こういう方々と話をすると、皆それぞれに色々な事情があることが分かりました。この患者さんのために自分が出来ることはなんだろうと思い悩んだものです。患者さんと世間話等をしたりしながら、個別に目標を作って、その患者さんが目標を達成できた時の喜びはひとしおでした。
 また、薬剤師として働く機会を得たおかげで、医薬品によって十分な満足が得られている患者が少ないということにも気が付くことが出来ました。自分自身大きな病気もせずに過ごして来ましたので、医薬品のご利益について認識が薄かったのですが、患者さんに接してみると、医薬品によって充分な満足感が得られている患者が如何に少ないかということを痛切に感じました。海外では、入手可能な医薬品が日本では入手困難であり、試薬が投与されている患者や、複雑な手続きの上、莫大な費用と時間を費やして海外から個人輸入している患者も目の当たりにしました。こんな光景を目にする度に、この状況を解決できる方法はないものだろうかと考えていました。

 博士号の取得も目鼻が立った頃、国立医薬品食品衛生研究所医薬品医療機器審査センター(Pharmaceuticals and Medical Devices Evaluation Center:PMDEC、医薬品医療機器総合機構 Pharmaceuticals and Medical Devices Agency:PMDAの前身)開設に伴う求人の話を大学の恩師より耳にする機会がありました。恩師は私ではなく、私の先輩に勧めていたのですが、たまたま脇でその話を聞いていた私が興味を持ちました。
 この頃の私は、たかがアルバイトかもしれませんが、実際に薬剤師として患者と接することにも充実感を覚えており、高校時代から考えていた医療機関で働くことにも未だ魅力を捨てきれない状況でした。しかし、限られた薬剤師経験ではあるものの、大学の関連病院で働いたことで、未承認薬の個人輸入や試薬投与等を目の当たりにすることが出来、このような事態の解決のために働くのも患者のためになる薬剤師の仕事の一つではないかと思うようになっていました。一薬剤師が膝を突き合わせて対応できる患者の数は限られていますが、患者からの距離が少し遠くなりますが、日本全国のそして世界の患者のために働ける薬事行政という仕事も薬剤師が職能を生かせる重要な仕事なのではないかと考え、PMDECの職員募集に応募しました。
 幸いなことに、採用通知を受領することが出来、私の薬事行政への関わりが始まりました。研究、病院での勤務とは、あまりに異なる職場環境で驚く事ばかりでしたが、この状況を驚くことが出来る人間こそ、薬事行政に必要とされている人間であるはずと信じ、私の薬事行政での奮闘が始まりました。行政に関わるようになって、まず私が感じたことは、臨床現場との距離感でした。私は研究経験者としてPMDECに採用されましたが、研究室で試験管を振っていただけでなく、前述のようなアルバイト薬剤師の経験から、教科書ではなく、臨床の現場で医療従事者が、患者さんが、その家族が何を考え、どういう行動を取っているか見てきました。周囲は自分以外みな医師という世界で医師らの生の声を聴く機会にも恵まれたこともあり、専門性に長けた部分はなかったかもしれませんが、特定の分野に専門性の高い他の研究者出身の審査員とは少し異なる視点で物を見ていたような気がします。医薬品は臨床の現場で使用されるものであり、臨床現場を知らずに審査や安全対策は出来ないと思い、早期から臨床現場への研修制度を作って欲しいとの希望を出して来ました。長年に渡り、懇願してきたことが認められたのか否かは不明ですが、1日程度の病院見学ツアーを経て、現在では数ヶ月に渡る病院研修の機会がPMDAの職員に与えられるまでになりました。私自身は既にその研修の対象ではありませんが、臨床経験のない若手職員が臨床に触れるきっかけになることを切望し、周囲の職員に薦めたりしています。一方、私自身は、PMDEC時代に出来た週1日の研修制度を利用して、都内の2つの総合病院に院内感染対策チームに加えて戴き、渡英直前まで、院内の感染症患者の状況等について把握したり、感染対策、抗菌薬適正使用等についてアドバイスをすることを通して、抗菌薬をはじめとした医薬品に対する医療従事者の考え方や、医療機関でどのようなことが起こっているかを目の当たりにしてきました。たかが週1日程度とはいえ、刻々と変化をし続ける医療現場に関わり続けられたことは、治験相談や審査を担当する上で大変有益であったと考えています。

 PMDEC/PMDAでは、治験相談や審査といった国内対応のみならず、国際的な業務にも携わることが出来ました。はじめに担当した国際業務は、ICH(The International Conference on Harmonisation of Technical Requirements for Registration of Pharmaceuticals for Human Use (ICH) 日米EU医薬品規制国際調和会議)でした。2001年から今日まで主としてファーマコビジランス領域の4つのトピックスのトピックリーダーやコラポーターとして参加し、欧米の担当者とともにガイドライン作成に関わることが出来ました。
 また、2002年には、PMDEC(当時)よりGuest reviewerとして米国FDAに滞在する機会を得ました。6ヶ月間という短い期間でしたが、内部打ち合わせも含む様々な会議への参加や審査報告書の作成等に携わらせてもらうことが出来、日米の異同を知る上で大変良い経験になりました。何と言っても、この時の財産は、人間関係です。すでに10年以上経過していますが、当時の仲間と今でも連絡を取り合い、公私共の情報交換が続いています。 これ以外にも、APEC(Asia-Pacific Economic Cooperation、アジア太平洋経済協力会議)主催のアジア太平洋地域の規制当局を対象とした1週間のトレーニングコースでトレーナーとして日本の審査について紹介し、グループディスカッションをファシリテイトするような会合にも2年間に渡り参加することが出来ました。数ヶ月に渡る事前準備は、電話会議で進められますので、日本時間の20時以降から始まり、日本人は常に一人という状況でしたので、決して楽なものではありませんでしたが、国際的な視野を広げる観点では大変有益な経験を積むことが出来たと思っています。   2012年5月からは薬事行政領域における欧州と日本の協力体制の強化を目的として、EMAに赴任しています。日々の業務は、審査中の医薬品について日欧の意見・情報交換がスムースに運ぶよう準備や手伝いをしたり、双方が必要と思われるような情報を見つけての情報提供、共同プロジェクトのサポート等、審査、GCP、GMP、市販後安全対策など、薬事行政にかかるあらゆる領域をカバーしています。自分が経験をしたことのない業務もあり、専門用語には苦労していますが、新鮮な毎日を送っています。700人を越えるEMAの中で日本人1人という環境ですが、EMAのスタッフと話をしていると、PMDAと同じような問題に頭を悩ませていることも多いことに気づかされます。こちらに来る前から何名かのEMAのスタッフとは交流がありましたが、メールや年に数回程度会議であった時に立ち話をするのとは、交換できる情報量・情報の奥深さが全く異なることを改めて痛感しています。種々の案件について、背景要因等も含めつつ、お互いの現状、課題、解決計画とそのタイムラインを共有していると、日本から見ていた以上に日欧の共通点は多いように感じます。一つ一つは小さなことでも、このような情報共有、問題解決を重ねていくことが真の意味での相互理解、国際調和に繋がっていくのではないかと考え、その為に私が日々出来ることとして、微力ながら努力を続けているところです。

 私が活動を続けている一つの領域として、小児領域があります。研究者時代の私の研究のひとつに、テオフィリンによる痙攣のメカニズムがありました。これは、当時籍を置いていた大学の小児科の先生からお話を戴いて上司と共に取り組んだ研究課題でした。この先生との関係で、小児関係の学会等にも参加するようになり、小児科領域の色々な症例や研究報告を目の当たりにするようになりました。薬剤師としてアルバイトしていた病院でも、フィルムコート錠を粉砕してフィルムを除去した後に分包したりしていましたが、本当にこれでいいのかなぁなどとは思う程度でそれ以上の感慨は特になかったのですが、学会等に参加して様々な話を聞けば聞くほど、行政的なサポートが必要な領域であることを身にしみて感じるようになりました。この研究に携わり始めまもなく、私はPMDECに移動することとなり、この研究に対してはあまり貢献することは出来ませんでしたが、PMDECの職員になっても小児薬物療法の充実に向けて何か出来ることを見つけてやって行きたいと思っていました。当時、ICHにおいて、小児集団における医薬品の臨床試験に関するガイダンスについては議論が始まっていたものの、PMDECの中に小児用医薬品の開発について積極的な議論を行うような雰囲気はなかったように感じました。研究者時代からのつながりで、PMDECの職員になってからも、学会発表の機会を戴きましたが、研究者時代にはとても優しかった先生方に厳しいコメントの集中砲火を受け、敗れ傘のようになったことを昨日のことのように覚えています。別にPMDECにおいて小児の担当と業務分担されていた訳でもないので、ここで小児領域との関係を断ち切ることも出来たのですが、負けず嫌いの性格も相まって、こんなことで引き下がってはならないと自分に言い聞かせ、何を言われてもめげずに向かい合い続けた結果、今では研究者時代以上に良い関係が築けたのではないかと考えています。
 PMDAにおいても、長年の切望が実を結び、平成23年にはPMDAの中に、欧米のような薬効横断的な小児用医薬品の担当グループとて年小児ワーキンググループがが設立されるに至りました。このグループでは、これまでの小児医薬品開発について分析を行った上で今後向かうべき方向について検討が出来たらと考えているところです。既にいくつかの学会において、このグループの検討を発表していますので、ご覧になられた方々もいらっしゃるかもしれません。
 欧米においても、小児薬物療法の充実は重要な課題となっており、PMDAの小児ワーキンググループでは、米国FDA(Food and Drug Administration)、EMA、Health Canadaと定期的な電話会議を持ち、小児向けの医薬品開発等について議論を行っています。議論の俎上にあがるほとんどの医薬品開発が欧米の国際共同治験ですが、残念なことに日本は含まれていないものがほとんどです。日本においても、成人の医薬品開発においては、国際共同治験など開発の国際化が浸透してきていますが、日本においては小児領域では国際共同治験を利用し承認を取得した品目はまだ見あたりません。少子化が進行している今日、小児においても国際共同治験等を活用して効率的にデータ蓄積をすることが出来たらと考えています。

 私のもう一つの重要な財産として、学会における経験があります。研究者時代より臨床系を含む様々な学会の会員となり、PMDAの職員である今も活動を続けています。研究時代と異なり、学会活動に費やせる時間には制限もありますが、休暇等も活用しつつ、国内外の学会での活動を続けています。私が活動をしているのは、主に臨床薬理系や感染症・抗菌化学療法系の学会ですが、学会に参加し、最新の知見を把握すると共に、積極的に発言を行うように心がけています。その成果があってか、国際交流委員、総会等のプログラム委員、学会誌の編集委員をはじめ各種委員を務めさせて戴く機会にも恵まれました。様々な委員等を引き受けること自身は自分のプライベートの時間が減ることにはなりますが、そのデメリット以上に、更に自分の世界を広げられるというメリットを感じ、断らないようにしています。事実、様々な役職を引き受けたおかげで、PMDAの中に閉じこもっていたとしたらきっと得られなかったであろう知識・経験を得ることが出来ました。学会活動で知り合いになった先生方には、PMDAの業務の上でも、何度、無理をお願いしたことか知れません。大学教授、病院長等ご高名かつご多忙な先生方であるにもかかわらず、私ごときのお願いに嫌な顔一つせず対応して下さっています。このようなサポートがなければ、私のPMDAでの業務も今のようにスムースに進まなかったに違いありません。
 今ではPMDAでも出張として海外の学会に参加できる制度が出来ましたが、従前は休暇を取って自費での参加しか参加の方法がありませんでした。例え自費・休暇でも参加する意義は高いと感じ、参加し続けた結果、海外の人達の中にも私を認知してくれる人が増えたことを嬉しく思っています。EMAに来てから参加した抗菌薬領域の会合でも、偶然にも顔見知りのFDAの担当者、米国感染症学会の参加者、米国企業の代表等と会うことが出来、最近の問題点等について立ち話をすることが出来ました。立ち話と言うと無駄話のように見えがちですが、実はこういう立ち話の方が本音ベースの話が出来ることも多く、重要な情報が漏れ聞こえてくることも多いと感じています。このような立ち話が出来るようになったのも学会に参加し、色々と質問したりし続けたおかげではないかと考えています。

 PMDAの仕事は患者と物理的に会うことはないといっても過言ではありません。臨床現場よりも患者との距離が遠い分、多くの患者に影響を与えることが出来る仕事が出来るものと考えています。もちろん、医薬品は医療現場で使用されるものですので、臨床を忘れることは出来ません。少ない経験ではあるものの自分が感じたような不安を感じつつ調剤をする薬剤師が少しでも減るように、必要な医薬品が容易に手に入らない患者に少しでも早く、より安心して使用できる医薬品が提供できるように今の自分に何が出来るかをいつも考えながら業務に当たっています。
 薬学部を選択する段階、学生時代には自分が行政職に就くなんて夢にも思いませんでしたが、回りまわってたどり着いた今の仕事にやりがいを覚えています。行政というとがんじがらめで、新しいことは何も出来ないように思われがちですが、臨床研修の話、小児ワーキンググループの話を見てもお分かり戴けるよう提案がリーズナブルであれば自分たちの手で変えていけるものであることがお分かりいただけたのではないかと思います。もちろん、実現出来ること、出来ないことがあるでしょうし、実現可能であることにしても、その達成に向けて時間を要するものもあるでしょう。今、何が必要なのか、必要な事項に向けて、どんなタイムラインでどんな準備が必要なのか短期的展望、長期的展望を持って、地道に努力していくことの重要性をひしひしと感じています。私が事例として挙げたような例であれば、立ち上げたら終わりではなく、立ち上げた意義があったことがきちんと周囲に認知されるような実績を積み重ねていくことも重要です。こうやって考えていくと、体が幾つあっても足らないように思えてきますが、我々の努力が患者さんの明日の光に繋がると信じて、様々なことに積極的に取り組まずにはいられなくなる今日この頃です。