トップページ > 薬学と私 > シップヘルスケアファーマシー東日本株式会社 教育研修部部長/主任研究員 川村和美 先生 「報恩謝徳(ほうおんしゃとく)」 〜皆に導かれ、皆に育まれて〜

薬学と私 第29回

 薬剤師になろうと思ったきっかけは、高校2年の時です。父の生家がある信州に住んでいました。相互に家族構成まで、皆がわかるような小さな田舎町です。たまたま登校する際、斜め向かいにお住まいの百草丸製薬会社の会長さんからお声かけいただきました。「かずみさん、進路は決まったかい?」「はい、国立大学の経済学部に行って上級公務員試験を受けたいと思っています」「いや公務員より薬剤師がいい、かずみさんには薬剤師が似合うよ」と。
 そこから、初めて薬剤師という仕事を意識するようになりました。病院に行けば薬剤部を覗き、近所の薬局に買い物に行けば誰が薬剤師でどんな仕事をするのか訊きました。私は猪突猛進の猪年生まれです。すぐに全国の薬科大学のパンフレットを集めて情報収集を始めました。そして、名城大学薬学部に『薬学専攻科』という卒業後1年間の臨床経験ができるユニークなコースがあることを発見しました。
 私が見聞きした薬剤師の仕事以上に、“薬剤師には無限の可能性がある”とパンフレットには書かれてありました。先輩方は臨床に薬剤師の可能性を求めて全国から集まり、このコースで大活躍されているというのです。「私も薬剤師の可能性を見つけてみたい」「この大学で臨床薬剤師になろう!」そう思った私は名城大学1本。この大学に行くことだけを信じて受験に臨みました。

 臨床を重視した大学での学びによって、Clinical Pharmacistへの関心がどんどん高まり、アメリカに行ってPhD.を取得したいと思うようになりました。大学3年生のとき、ある先生から臨床生化学研究室の奥田 潤先生に、渡米先を紹介してもらうよう勧められて研究室を訪問すると、奥田先生は「アメリカに行きたいの? (3秒後に)ダメ。女の子が一人でアメリカに行くなんてけしからん。語学留学で1年向こうに行っても、不自由しないだけの語学力がつくとは限らないよ。5年間かけてもPhD.が取れる保証なんてどこにもない」と紹介どころか大反対です。
 そんな奥田先生のお話を聞いていたら、私もだんだん不安になって来ました。「アメリカから帰って来る頃には三十路は間違いないなぁ、いや過ぎてるかも。第一、PhD.が取れるかもわからないなんて…」。躊躇し出した私に、奥田先生がおっしゃられました。
「君は何がしたいの?」
 当時、薬学部が6年制になるという話もあり、私は進学を望んでいましたが、薬学研究科はどこも基礎研究のみだったため、日本での大学院進学にまったく興味がありませんでした。そこで、Clinical Pharmacistの発祥地であるアメリカに行けば、臨床の課題をテーマにした研究ができると思ったことを話しました。
 すると、奥田先生は「君、僕の研究室に来んか? 君のやりたいこと、何をやってもいいよ」と仰ってくださいました。つまり、ネズミを切ったりフラスコを振りたくないと宣言している私を、受け入れてくださるというお話だったのです。日本に居ながらにして、臨床の課題をテーマとした研究ができるなんて、私には願ってもないお話でした。「先生、私は専攻科にも行きたいです。臨床で問題になっていることを見つけて、大学院で研究したいと思っています」 奥田先生は優しい笑顔で「やってみなさい」と仰られました。

 大学院と薬学専攻科を併願し、初年度、念願の薬学専攻科で臨床研修を受けました。当時、薬剤師が医療の担い手に位置づけられて3年経った頃でしたから、薬剤師の病棟活動は花形の業務でした。私も15〜20名/月の服薬指導、病棟の回診同行、カンファレンスへの参加、1ヶ月半の手術室張り付きの経験も与えていただきました。南カリフォルニア大学の臨床研修にも参加しました。それは刺激的で楽しい、無我夢中の毎日でした。
 そんな臨床研修をする中で、医師や看護師に比べ病棟でどこか遠慮がちな薬剤師の姿勢が気になり始めました。発言も控えめで主張もすぐに取り下げるし、カルテを閲覧している途中でも医師や看護師に譲ります。その必要以上に遠慮がちな薬剤師の姿勢に、どんどん強い違和感が募りました。
 だからといって、他職種とどう恊働すべきか、どこまで踏み込むことが許されて越権とはならないのか、チームの中でどう振る舞うことが薬剤師の役割を果たすことになるのか、私自身よくわかりませんでした。いくら振り返っても、こうした疑問を解決するような方法は、誰からも教えてもらったことがなかったのです。
 服薬指導に回る際も、頻回に訪問する患者さんとそうでない患者さんがいます。説明に時間をかける患者さんとそうでない患者さんがいます。でも、「必要だと私が思うから」という理由でその違いは許されるのか、私にはまったく自信が持てませんでした。

 古くから患者さんに接してきた医師には医の倫理があり看護師には看護倫理がある一方で、薬剤の取り扱いが主な業務だった薬剤師に明確な倫理教育は当時ありませんでした。だから、プロフェッショナリズムが産み育っていないのではないか、自身の行為に明確な根拠を持つ方法を知らないために遠慮がちになってしまうのではないか、という考えに1年の臨床研修を経て思い至りました。
 そして、大学院への進学の際、奥田先生に「倫理をやりたいと思います」と申し出たのです。「川村くん、本気か? 倫理なんてやっても誰からも振り向かれないよ。疫学とか法律の方がまだ陽の目が当たる。倫理をやっても10年は誰からも相手にされないぞ。それでも倫理をやる覚悟があるの?」と奥田先生からは私を心配するコメントでした。「はい、私は誰かに振り向いてもらいたくて、倫理の研究を始めるわけではありません。私が知りたいから、薬剤師に必要だと思うから、研究したいんです」「よぅし。わかった!」
 そうして、大学院での研究テーマは“薬剤師の倫理”に決まりました。私に倫理を教えてくれる先生は薬学部にいませんでしたから、倫理に関する書籍をまず50冊程読みました。法学部の先生とやり取りを始めました。そして、薬剤師の倫理規範である倫理規定や倫理綱領を国内外から集め、欧米諸外国の史的変遷を辿り、比較分析を行いました。医療関連職種の倫理規定も比較分析しました。そして、西欧と日本との薬剤師という職業の起源の違いや国によって薬剤師に与えられている役割は微妙に異なることなどをまとめました。当時の薬学部では極めて珍しい、人文系のテーマに対して修士課程の修了をお認めいただき、後に書籍を出版して学位もお与えいただきました。

 臨床には、たくさんのモラルディレンマが転がっています。判断に困る、あるいは一旦、決めても自信の持てないケースがたくさんあります。修了後は、とにかく薬剤師のモラルディレンマを知りたい一心で、臨床に飛び出しました。案の上、病院でも調剤薬局でも、たくさんのモラルディレンマに遭遇しました。中でも、私の転機となったのが、ある門前スタイルの保険薬局に勤務していたときのことです。
 基幹病院との処方と同種同効薬が重複された処方について、門前の医師に連絡したところ、「うるさいなぁ、薬剤師は処方通り、数を数えて出しておけばいい」と言われました。その薬局の経営者も処方医に同調し、「医者に逆らったってしょうがないよ。そのまま出せばいいじゃない」と言うのです。私は「重複がわかっている処方を私は調剤できません。リスクや負担だけが高まって、何のメリットもないとわかっている同種同効薬を、先生は患者さんにお渡しできますか?」と調剤拒否をしました。管理薬剤師は「あぁ、俺はできるよ」と私の目の前で同種同効薬を調剤し、平然と患者さんに渡しました。
 それまで、私は常に自分の関わりによって患者さんに益があるよう努めてきたつもりでしたし、実践してきたというそれなりの自負がありました。それが、目の前でガラガラと崩れ去ったのです。私はこの出来事を機に、この調剤薬局を辞めました。

 「薬剤師って、なんてつまらない仕事なんだろう…」処方䇳通りに調剤するだけなら、機械と変わりません。人は誰でも間違えるわけですから、技術の進歩とともにピッキングマシーンの精密度は高まるに決まっています。数だけ揃えるだけの薬剤師なんて、そもそも要らないでしょう。私はあの患者さんの重複投与を止められなかった…。薬剤師の仕事に誇りが持てなくなり、薬剤師を辞めてしまおうとも思いました。
 そのとき、ある調剤薬局大手チェーンから、2年前に学術担当者としてのお誘いがあったことを思い出したのです。あのとき頂戴した「当社の全社員を川村さんみたいな薬剤師にしたい」との過分なお言葉が頭を駆け巡りました。
「そうだ! 薬剤師はつまらない仕事なんかじゃない、外圧に押しつぶされて、つまらない仕事にしちゃいけないんだ。“患者さんのために”困難や矛盾に立ち向かおうとしている薬剤師は絶対にいるはず。私が学んで来た経験をいまこそ形にして、臨床で活躍する薬剤師を支援しなきゃ。もしも私と同じ思いを持って頑張ってくれる薬剤師を育て、その人達が全店で活躍してくれたなら、多くの患者さんに薬剤師が関わるメリットを感じていただけるかもしれない。そんな薬剤師は患者さんから、きっと必要とされる。誰がどう立ちはだかろうと、薬剤師は自分に誇れる仕事をしなくちゃならないんだ!」と思い直しました。
 学位を与えてくださったとき、奥田先生から頂いた「川村くん、学位はもらったときからがスタートだよ。その大きな責任を社会に還元し続けるという義務を負う」というお言葉を胸に、誇れる仕事のできる薬剤師を育てるため、薬剤師教育という道を歩むことに決めました。

 「薬剤師倫理に関する問題意識を、私の研究の範疇のままで終えてはならない。皆に使って活かしてもらえるものにしたい」 そのために、きちんとした倫理学のバックボーンが欲しいと思い、静岡大学人文社会科学研究科に進学するとともに、思い切って文部科学研究費の助成金に申請しました。ありがたいことに採択いただき、私なりの倫理教育のプログラムを作り上げることができました。
 この臨床倫理の検討法は現在、多くの薬科大学での講義や、薬剤師会や病院薬剤師会の研修会、プライマリケア研修会等のご依頼を頂戴したり、緩和医療薬学会の薬剤師向け緩和教育プログラムに組み込まれて、わずかずつですが広がって来ました。本当に嬉しいことです。

 でも、まだまだ職業倫理は正義感のような捉え方をされているのが大半です。職業倫理とは特定の職業に従事する者に要求される倫理ですから、単なる良心や正直のことを指すのではありません。ときに、患者さんにはよくても経営者にはよくない判断がありますし、自社によくても取引先に受け入れられない判断もあります。
 倫理的な判断とは、誰もがそこそこに納得できる着地点を探るための、合意形成の重心と言えるでしょう。薬剤師にはその社会的な役割や責任を果たすにあたって、医療に携わる専門職業人として望ましい判断力と、それに基づく行為を求められているのです。
 どんなに幅広い知識にも、卓越した技術にも、愛情に溢れた態度であっても、適切な判断が伴わなければ真に役立つものにはなりません。“一人の薬剤師が国家資格に見合う判断力を持つ”ことを目指して、これからも奮励努力して参りたいと思います。

 薬学を志してから今日に至るまで、多くの方々に導き、温かく育んでいただきました。私をご教導くださいましたすべての皆様に、心より感謝申し上げます。本当に恵まれた環境で、数々の希有な経験をさせていただきました。今回、「薬学と私」への寄稿という私には身に余る、すばらしい機会をお与えくださいました関係者の皆様にも深謝申し上げます。
 私にどれほどのことができるかわかりませんが、皆様のご指導を仰ぎながら、私にできる精一杯の努力を重ね、少しでも薬学界に報いたいと考えております。私も皆様のようにいつか誰かの支えとなれますよう、格物致知の道を極める不動の努力をここにお約束したいと思います。これからも変わらぬご指導を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。