トップページ > 薬学と私 > 株式会社南山堂編集部 編集長 古川晶彦 氏 「夢と現実の接点をみつける~「薬学」と「文字」が導いた「編集」への魅力~」

薬学と私 第28回

 2012年12月某日、素敵な誕生日プレゼントが届いた。薬学部出身の編集者である私に「薬学と私」の執筆依頼状が届いたのだ。驚いた。今までに味わったことのない緊張感だ。
 さて、前述のとおり私は編集者である。編集とは“資料をある方針・目的のもとにまとめ、書物・雑誌・新聞などの形に整えること”(広辞苑第6版)である。すなわち、それを為す者を編集者(エディター)という。しかし、エディターという仕事が、ライターと誤解されることが少なくない。私は入社時から編集者として出版社で勤務し、本年4月で社会人20年目を迎えることになるが、今まで編集後記以外にものを書いた経験はない。執筆することの緊張感を今初めて経験している。今まで苦労させられてきた編集者に執筆依頼できたと、満面の笑みを浮かべていたS先生をはじめ、これまでご尽力いただいた先生方へ、この場をお借りしあらためて感謝したい。

 小学生まで薬学とは無縁の環境で育ってきたが、中学に進学すると、周りには医師・歯科医師・薬剤師を親にもつクラスメイトが少なくなかった。さらに、将来像を医療従事者に定め、その道へ進むことを目標としている同級生がいた。私自身は具体的な将来像を明確にもっていなかったが、この新たな環境が医療へ関心を抱かせることとなった。そして、大学への進学を考え始めた頃、進路先として医療・製薬・食品業界へ関心をもつようになっていた。結果として受験までに1つの進路に絞り込むことができず、いずれの業界にも接点のある薬学部を選択することとした。一方で、この頃から出版業界にも魅力を持っていた。
 なぜ、出版業界へ魅力を持っていたかと言えば、1つには、決して多読家ではないが、本から学ぶことが数多くあったという点での魅力である。そしてもう1つは、幼い頃から文字を読んでもらう大切さ、文字が生み出す感動を両親から学んだからであろう。書家である両親から、読みやすい文字を丁寧に書くことを学び、書(文字による作品)が与えるインパクトを目の当たりにした。
両親の師である故・中島司有は、文字というものは、「文字に自分の心を背負わせ、自分の人に伝えたい言葉を言いふくめて、先方に送りとどけるためのものだ」と著作「書のこころ」(講談社)で述べている。さらに、書く人にとっては自分の文字であっても、「誰かに読んでもらうために書く」という、文字を書く主目的を、文字の筆者は常に忘れてはならないとも述べている。そして、「誰かに読んでもらう」条件として以下の3つを挙げている。

・正しい文字
・わかりやすい文字
・心をこめて書いた文字

 私はこの書の基本姿勢を幼い頃から指南された。自慢できることはあまりないが、唯一整理したノートは先生からもクラスメイトからも褒められた。このようなちょっとした出来事によって、文字に対して親しみを抱くようになったのかもしれない。
 「薬学」を学んだ現実と「文字」への想い、この2つのフィールドを自分で生かす接点が医学・薬学専門出版社にあり、編集者としての道を選択するに至った。そして、文字を読んでもらうことの条件を、編集した情報を読んでもらうことの条件として

・正しい情報
・わかりやすい情報
・心をこめて編集した情報

と置き換え、編集に取り組むことを心掛けている。

 大学時代の友人の多くは、薬学あるいは医療業界での活動を目標とした中、私は出版という薬学部出身者としては異色(周囲から言われている)な業界に身を置くことになった。薬学部卒の進路先をみると、今なお、出版社というカテゴリーは見当たらず“その他”に属している。換言すれば、出版業界は一般的に薬学との関連性が高くない、薬学で学んだ強みを生かすことができない就職先と考えられているのかもしれない。
 幸い私は周囲のサポートがあり、新しく立ち上げた季刊誌の編集長に30歳で抜擢された。現在は薬学書編集部の編集長とともに月刊誌の編集長を兼任し、多くの経験を積む機会に恵まれている。誠に運が良い。
 さて、編集者の仕事を簡潔に述べると、書籍・雑誌のプロデュースである。具体的には、企画立案から原稿整理、校正、そして、誌面レイアウト、装丁デザインなどを含めて弊社では編集業務としている。このプロセスにおいて、医学・薬学の専門知識が必要とされる場面もあれば、デザインを提案する場面もある。入社時、編集者として臨床医学の知識が不足している(薬学の知識も不足していたと思うが…)ということで、総合臨床誌の編集部に配属された。実際に雑誌編集を経験し自覚したことは、診断学などの臨床医学的知識がないだけでなく、読み書きできない用語(例えば皮膚科領域の用語など)が数多くあることだった。そして、デザイナーとの打ち合わせでは、デザイン・組版の基礎知識を知らないためにイメージしていることを的確に伝えられず、自分の表現力の乏しさを自覚した。
 社会人一年目のスタートは己の能力不足の自覚であった。出版業界で生きていくための基礎知識・基本スキルが身についていないことは、薬学からみた“その他”の業界に踏み入れたことによる1つの辛さであった。しかし、魅力ある仕事の辛さは、新しいことを学ぶ楽しさでもあった。

 残念ながら私の場合、薬学を学んだことも、薬剤師の資格を有していることも、編集者としてのオプションでしかない。オプションとはつまり、基本操作ができなければ、有効には活用できないものである。蓄えてきた知識や研究実績を自己アピールできる優秀な人もいるだろうが、私のように“中の下”の成績では付加価値として捉えてもらう程度である。そのため、編集能力が不足している私はとにかくその知識・スキルを身に付けることが必要だった。そんなとき、社内の大先輩、今の上司から声をかけられた。
「焦るな。一歩ずつ進め。」
それから、もう一言。
「誠実に仕事を進めなさい。」
 上司は何気なく発した言葉のため、すでに記憶にはないようだが、私は今でも心に留めている訓示である。この一言は、焦りを感じていた私が一歩ずつ編集を学ぶ原動力となり、オプションである薬学を生かすきっかけにもなった。薬学の知識を豊富に蓄積しているという強みは、鋭意努力は重ねているものの、未だに身に付いていない。しかし “編集者×薬剤師”として編集スキルを研鑽し、薬剤師の目線を養う努力を忘れず、誠実に仕事を進めることで、多くの先生方に出会い、支えられ、それが大きな強みとなっている。
 薬学を目指す過程、あるいは薬学を学ぶことで、さまざまなことに出会う機会があるだろう。その機会を大切にし、夢と現実の接点をみつめ目標を掲げてみてはいかがだろうか。私も途半ばにあるが、若い方々にも一歩ずつ夢に近づく努力をしてほしいと思う。
 書の個展で坂村真民の代表作のひとつである「念ずれば花ひらく」という詩を知った。何事もいつも心に留めて一生懸命に努力すれば必ず道は開ける。そして、やがては成就の花が咲くという。

 幼少時に抱いた将来の夢をみなさんは覚えているだろうか。小学1年生当時の文集をみると野球選手、パイロット、アイドル、看護師といった夢を抱くこどもが多かったようだ。私はというと、パン屋になるのが夢だった。それも動物を模ったパンばかりを作るパン屋だ。面白くてかわいい夢だ、と思っている。また、“編集者×薬剤師”の道を選択した原点になっているようにも感じる。
 さいごに、このような形で自分を振り返る機会を与えていただき、心より感謝を申し上げる。もし、自ら過去を振り返ったとしても、文字として残すことはなかったであろう。さて、読んでいただける文章になっていただろうか。