トップページ > 薬学と私 > 薬事日報社大阪支社 編集部長 石井喜行 氏 「広い視野で卒業後の進路決定を~意志あるところに道は拓く~」

薬学と私 第27回

 私が薬学部に入学したのは、医学部の受験失敗が要因です。昭和34年生まれの私は、一年浪人したため、国立大学の医学部を目指すには、昭和54 年からスタートした第1回目の共通一次テスト(現在のセンター試験)の受験を余儀なくされました。
 共通一次試験では、それなりの点数を取りましたが、二次試験前に風邪を引き、二浪は絶対に避けたかったので共通一次試験の傾斜配点の高かった国 立大学の文学部に入学しました。
 大学に進学して2年経過しましたが、医学部への想いを絶ち難く、もう一度チャレンジすることを思い立ちました。その後、3回国立大学の医学部受験を失敗し、結果的に受験最後の年に併願した私立の薬学部に進学しました。私が25歳になる年のことでした。薬学部を選んだ理由は、卒業後の就職を考えたからです。

 薬学部卒業後は、最初はどこかの薬局に勤め、ゆくゆくは自分で開局しようと考えていたため、4年生の7月になっても就職先は決めていませんでした。 
 そんな時、薬事日報から私の研究室の教授宛に求人依頼があり、教授から「あなたの経歴から、薬の新聞社の記者が最も適していると思われるので、一度面接に行ってみては」と薦められ、薬事日報大阪支社に就職することになりました。
 マスコミに就職したのは、日経新聞で活き活きと仕事をこなしていた文学部時代の同年代の友人の姿が頭の片隅にあったことも少なからず影響しています。

 私が薬事日報に入社した昭和63年頃の主な担当先は大阪府薬剤師会でした。その時の大阪府薬剤師会の会長は、後に日本薬剤師会会長に成られた吉矢佑先生でした。私の記者生活は、いわゆる吉矢番記者としてスタートしたわけです。
 当時の大阪府の分業率は4.2%(全国平均10.6%)で、吉矢会長を始めとする大阪府薬剤師会の執行部は、門前薬局型ではない“適正な医薬分業”の推進に日夜努力されていたのが、昨日のように思い出されます。その中には、若き日の児玉孝現日本薬剤師会会長の姿もありました。
 とはいえ、当時の薬局経営の主な柱はOTC販売であったため、多くの開局薬剤師の皆さんにとって最も関心の高かった話題は、医薬分業の推進よりもむしろ大型チェーン薬局などの廉売問題でした。
 弊社では、春夏秋冬の年4回、柱テーマ毎に特集号を発行しています。特集号には、「時局」号、「薬学会年会」号、「日薬学術大会」号などがあります。
「医療と薬剤」号もその一つで、医薬分業低迷期から現在まで一貫して、疾患と医療用医薬品のメカニズム・使い方などを読者の方々に知っても らう編集方針を取っています。
 当時の開局薬剤師の皆さんの「医療と薬剤」号に対する感想は、「難しくておもしろくない」、「実践に役立たない」などと芳しいものではありませんでした。
 ところが、吉矢先生からは、「あの特集号は、難しい内容をうまく解説しているので、いつも感心して読んでいます。開局薬剤師にとっては、医薬分業を先取りした企画ですね」と高い評価を受け、駆け出し記者ながらも弊社の編集方針に確信を持ちました。
  大阪の分業率が54.3%に伸長した現在では、「医療と薬剤」号の編集内容に首をかしげる読者は殆どおられません。吉矢先生の先見の明に驚かされたのもさることながら、「どの職種の薬剤師も、時代の先を見据えて、様々な分野に関心を持って研鑽を積まねばならない」重要性を痛感しました。
 医薬分業は、紆余曲折を経て伸長し、今では全国平均で68%を示すまでになり、分業初期を知る私にとっては隔世の思いです。年配の開局薬剤師さんの「今の若い薬剤師は朝起きたら処方せんが来るのが当たり前と思っているが、医薬分業の歴史をしっかりと学んだ上で業務に励んで欲しい」という声が少なくありません。
 その言葉には、「先人が苦労して築いてきた医薬分業の質をさらに高めて行くのが若い薬剤師の勤めである」という願いが込められていると言って良いでしょう。

 入社して5年あまり経過した頃、大阪・道修町の国内大手製薬企業の取材も担当するようになりました。当時の道修町には、武田薬品、塩野義製薬、 田辺製薬、藤沢薬品、大日本製薬、日本新薬、住友製薬、吉富製薬、ミドリ十字などの本社が林立し、今では懐かしい限りです。
 その後、平成10年に吉富製薬とミドリ十字が合併。平成17年4月には、藤沢薬品と山之内製薬が合併して「アステラス製薬」、10月には、大日本住友製薬と住友製薬が合併し「大日本住友製薬」が誕生しました。平成19年には田辺製薬と三菱ウエルファーマが合併し、道修町に本拠を置く製薬 企業が激減したのは時代の流れでしょう。
 これら製薬企業の合併は、海外市場への進出を目指して画期的な新薬を創出するための研究開発費の捻出が主な要因です。新薬を開発するには、莫大な研究開発費用と、研究者を目指す皆さんの斬新な発想力が必要不可欠となるのは言うまでもありません。
 今、製薬業界は、主力製品が一斉に特許切れを迎える「2010年問題」に直面しています。特許切れ後は、同じ効能のジェネリック医薬品が登場し、先発医薬品の売り上げが大きく落ち込むため、中長期的な業績への影響は避けられません。各製薬企業は新たな成長戦略を模索しています。
 製薬企業の担当記者として、「薬害エイズ事件」や「ソリブジン事件」にも直面しました。平成5年に発売された帯状疱疹治療薬「ソリブジン」と、抗癌剤「5-FU」の相互作用で重篤な副作用が出現した「ソリブジン事件」では、患者の薬歴管理やかかりつけ薬局、薬薬連携の重要性が改めて浮き彫りにされました。

 薬剤師は、行政、製薬企業、病院、調剤薬局など様々な分野で活躍できるのが特徴の一つです。薬学教育は、平成18年から6年制に移行しましたが、インターンシップ制度も充実し、学生時代に様々な職業が体験できるようになりました。
 薬学生の皆さんには、先入観を持たずにたくさんの職場を体験してみて、是非自分の力が発揮できる職業に就いていただきたいと思います。 「Where There is a will, There is a way」。意志あるところに道は拓きます。