トップページ > 薬学と私 > 医療法人久仁会 鳴門山上病院 診療協力部長・薬剤科長 賀勢泰子 先生 「常にやさしい笑顔で患者さんのこころに寄り添う」

薬学と私 第25回

 「薬学」との最初の出逢いは、高校1年生の時に伯父に言われた一言がきっかけでした。海外出張の多かった伯父は帰国するとお土産を持っては我家を訪れ、ヨーロッパやアメリカ、アジアの国々で撮影してきたスライド映像を披露しては、わくわくするようなみやげ話をいろいろ聞かせてくれました。進路を決めかねていた私は、アメリカの風物を見せてもらいながら、「海外では女性はどんな職業を目指しているの?」と聞いてみました。叔父は、「アメリカでは薬剤師がとても尊敬されている職業で女性の薬剤師も多いよ。きっと君に向いていると思う。これからの女性は専門的な資格をもって自立する時代だよ。」と薬剤師の資格を取ることを勧めてくれました。この一言がきっかけとなって、「薬剤師になろう!」と目標を決めました。自立するアメリカの女性薬剤師と自分自身を重ね合わせて心が躍るような気持ちになったことは今も忘れられません。
 叔父の一言があったからこそ薬剤師を目指し、病院薬剤師という一生の仕事に巡り会ったことに感謝しています。学生時代から今日までを振り返るともっと努力しておけば良かったと反省することばかりですが、薬剤師の職業が今も尊敬される職業の上位にあることを誇りに思っています。

 薬学部を卒業して、初めて勤務したのは愛媛県新居浜市にある住友グループ経営の総合病院で病床数は355床、薬剤師9名、調剤補助者3名で、朝8時から午後5時30分まで入院、外来調剤業務、製剤業務に明け暮れ、毎週一回の当直勤務もこなすハードな職場環境でした。ここでは、薬局長はじめ先輩方、よき指導者に恵まれて社会人としても薬剤師としても基礎となる教育をしっかりたたきこんで戴きました。「鉄は熱いうちに打て」と言いますが、卒業してすぐにこの病院勤務することができたことは、大きな財産でしたしその後の薬剤師人生の原点にもなりました。まさに恵まれた新入社員でした。
 結婚を契機に転居したことから、現在の病院に勤務することになりました。高齢者の理想郷を目指して設立準備中の入社でしたから、すべて一から作り上げて行くしかなく、経験の浅い薬剤師にとって、設備備品から備蓄医薬品の選定、医薬品集の作成、マニュアルの整備など、以前勤務した病院の薬局長や先輩方に指導戴きながら無我夢中でのスタートでした。今にして思えば、選択の余地もなくすべての業務に係わってきたことは、チーム医療のあり方を知り、いかに効率的に質の高い業務展開に結びつけるかを知るとても良い経験だったと感じています。
 最初の10年は「何が発見できるかこの仕事を楽しんでみよう。」といった発想で、仕事を選ばず、経験と知識を身につけることに徹しました。何にでもチャレンジすることは、視野を広くして世界を大きくできるチャンスですし、かならず将来の糧となると身をもって体験しました。

 再就職した当時は、病棟業務もほど遠い時代でしたが、医薬品情報の提供や持参薬管理、服薬指導等に取り組み、様々な要望に応えてきましたので早くからチーム医療が培われました。社会情勢や医療制度の変遷に応じて病院の経営方針や医療機能も変遷し、治療重視の一般病院からケア重視の介護力強化病院、続いて療養型病院へ転換、介護保険制度のスタート、回復期リハビリテーション病棟の設立とめまぐるしく変化してきました。薬剤管理指導業務を平成6年にスタート、無菌調整加算、医薬品情報提供加算と順次業務拡大を図り、平成24年には病棟薬剤業務実施加算を取得しました。今では、薬剤師はチーム医療の一員として欠くことのできない存在となっています。
 振り返ってみますと、様々な変化の時々に多くの先生方との出会いがありました。薬剤師を目指した時、薬剤師1年生の時、転職した時、病院機能が変化した時、新たな業務を展開した時、関連学会や地域で研究会を立ち上げた時、機能評価を受審したとき、多くの先生方や上司との出逢いに恵まれて、その都度に進むべき道や方向性を指導して戴きました。もちろん、同僚や友人、家族に支えられて今があるのだと感じています。実現出来ない事もありましたが、多くの出会いに支えられて長期目標を立て一歩一歩実現にむけて研鑽することの大切さ、あきらめるとこなく夢を持ち続けることの大切さを学んできたからこそ今があると思えることはとても幸せだと感じています。
 人と人の出会いはかけがえのない財産です。若い時には、自分自身の能力を信じひたすら前に向かって進んでいく時期と思いますが、どんな時も、まわりの人々に支えられていることに感謝し、人と人の出会いは大切な財産であることを忘れないで欲しいと心から願っています。

 卒業して数年後に母校を訪れた時のこと、学生時代には全く学習しなかったことを4年生が生化学の授業で学んでいることを知りました。わずか数年で時代遅れになっていることに気づき、常に新しい知識を学んでいなければ患者さんにとって不利益をもたらす危険性があることに愕然としました。医学、薬学ともに日々進化していることを常に意識して医薬品情報を入手しておかなければならないと肝に銘じました。
 病棟業務に携わるようになってからは、患者さんの状態を知らずに調剤することが如何に大きなリスクをはらんでいるかを知りました。ひとりひとりの患者さんを知り、総合的な患者評価にもとづいて、医薬品の薬物動態をふまえた薬学的ケアおよび処方支援の必要性を痛感しました。入院および外来すべての患者さんへの薬学的ケアの提供を目標にしてきましたが、ようやくその体制を実現する事が出来ました。
 たゆまず努力してきたつもりでも、振り返ってみれば反省をくり返す日々です。これから成長し続ける若い薬剤師のみなさんには、常に疑問をもち探求する姿勢を大切に、最新情報をしっかりと自分のものにし、何よりもそれを患者さんのために役立てていただきたいと思います。

 高齢者医療に携わりながら患者さんから多くのことを学ばせて戴きましたが、大切なことは急性期、慢性期、維持期と病期に応じたチーム医療の提供とともに患者さんのこころに寄り添うケアであることを感じています。
 「時に癒し、しばしば支え、つねに慰む」
 この言葉は、アメリカ、ニューヨーク州北部のトルドー結核療養所のエドワード・リビングストン・トルドー像の台座に刻まれていますが、誰のことばであるかは不明とされています。
治すのは時たまであるが、いつも患者に寄り添うことはできる。この言葉にあるように、尊厳ある生を全うするために、最期の日を迎えた時生きてきてよかったと思える人生を生ききるために、自分なりに出来ることを考えながら患者に寄り添っていられる薬剤師でありたいと念じています。
 どんな疾患であろうと患者さんが最期の日を迎えた時に『生きてきてよかった。』と思える人生を生ききるために、常に患者さんのこころに寄り添うケアを提供し、患者さんやご家族に信頼され慰めることが出来る笑顔のやさしい薬剤師でありたいと願っています。
 これから薬剤師になるみなさんには、将来に備えて、どんな薬剤師になりたいか夢をもつこと、夢を叶えるための努力を惜しまない、どんな時も常に明るい希望をもって笑顔で立ち向かうこと、
未来に輝いている自分自身をイメージしながら、具体的に今出来ることを目標に行動をおこし、一歩一歩夢にむかって歩み、患者さんのこころに寄り添える笑顔のやさしい薬剤師になって戴きたいと願っています。