トップページ > 薬学と私 > 有限会社くろしお薬局 代表取締役副社長 川添哲嗣 氏 「薬剤師人生を楽しく生きたい~いつも心に太陽を~」

薬学と私 第22回

 薬剤師を目指したのは、収まりのいい表向きの理由とあまり大きな声では言えない理由の2つが存在します。
 先ずは、誰もが納得する表向きの理由です。実は私の祖母は産婆兼薬種商、叔母が町の保健師、母が市民病院の看護師でした。ですから小さい頃から医師、薬剤師、看護師たちが身近な存在だったので、医療関係職に就くことへのあこがれが少しだけあったということです。医師になるほどの頭脳が無く、看護師は当時99%女性でしたから、残るは薬剤師となったわけです。
 あまり大きな声では言えないもうひとつの理由ですが、実は化学、数学、英語だけが普通の偏差値で、あとはちょっと・・・(想像にお任せします)でしたから、その3教科で受験できるのが薬学部だったということなのです。そして阪神ファンの私は大学生になったら甲子園球場に通うことを夢見ていましたから、関西圏内しか受験せず、合格したのが神戸学院大でした。お恥ずかしい話、「薬剤師への大きな理想」や「創薬」に燃えて薬学部に入学したということはまったく無く、なんとなく入学したのが薬学部だったというのが真実なのです。

 低い理想のもとに入学し、何となくの学生生活を過ごしていましたから、4年生になっても薬剤師になって何がしたいのかはっきりしませんでした。新薬開発にも、薬剤師業務にも特に興味を示すことなく迎えた就職活動の中で、ある先輩にこう言われました。
「川添、おまえみたいな甘い考えで、卒後すぐに『先生』なんて呼ばれたら、人生を間違うかもな。まずは人にきちんと頭を下げることと社会の厳しさを覚えたほうがいいから、営業をしたらどうや」
 この先輩からの言葉をもとに、ニチバン株式会社にて営業職として入社するに至ります。当時大阪支店薬品課配属を約束してくれていたので、ここに決めたのですが、それは“大阪商人の厳しさを学ぶ”ということが主たる目的でした。従たる目的として、阪神甲子園球場に行きやすいということが実はあるのですが、これもまた今だから言えることです。(笑)

 営業を通じてわかったことが二つあります。
 一つはやはり営業職は厳しいということです。医師や薬剤師の先生方に、いろいろと迷惑をかけ怒られ落ち込むのはもちろんですが、商品が売れずに営業成績が伸びず、課長からもあきれられて悩む日々でした。しかし、その中でもしっかりコツコツ頭を下げ、説明していくと徐々に営業の成果が出るようになるわけです。これは大きな学びでした。
 もう一つは、開局薬剤師、つまり街の薬局の先生方が実に楽しそうに仕事をしていることがわかりました。しかも少数ではなく大半の薬局の先生方がそうでした。OTC医薬品や健康食品の相談販売が実に楽しそうで、顔が輝いているんですね。お客さんももちろん喜んでおられるわけで、これは先生の空き時間を店頭で待っている間に門前の小僧となった私には大きな刺激になりました。「将来、こんな薬局薬剤師になりたい」と強く思ったのはこの時です。
 そして、薬局の店頭に立つためには薬のことを勉強しなければ!と思ったのもこの時期です。お恥ずかしい話ですが、本気で薬の勉強をしようと思ったのは薬学部時代ではなく、社会人になってからということになります。(笑)

 このあと営業は4年でやめ、薬の勉強と薬剤師業務を覚えるために、兵庫県三木市の病院に再就職しました。本気モードの私はものすごい勢いで薬を覚えました。数百品目にわたる採用薬の薬効と薬理作用機序をわずか10日間で詰め込みました。人生で2回猛勉強した時期をあげるとすれば国家試験直前1ヶ月とこの10日間かもしれません。まったく自慢になりませんが。
 その後、高知県農協総合病院(現JA高知病院)でも薬剤師の知識と技能を徹底的に鍛えられました。病院では、当時まだ1回100点だった病棟業務にも携わりましたが、このことを通して患者さんにより近い立場で仕事をしたいという思いは一層強くなっていきました。さらにこのとき、退院後の生活を考えることが多かったためか、「在宅医療」というキーワードが頭をよぎり始めました。当時はまだほとんど語られていなかった分野でした。こうして3つの職場を経て、『薬局の店頭に立って患者さんの身近な相談相手になる』『在宅訪問をして自宅での生活を支える』というふたつのミッションを抱え、1998年、30歳にして念願の薬局薬剤師のスタートを切ったわけです。

 私がこの頃心がけているのは、フライシュレンの詩「心に太陽を持て」という詩の言葉です。この詩は「勇気を失うな、くちびるに歌を持て、心に太陽を持て」と言う言葉で締めくくられています。時折、熱血薬剤師などと呼ばれることもありますが、確かにこれまでも情熱を持って仕事をすることが大切だといつも思ってきました。しかし、齢を重ねるにつれ、熱さだけではだめで、優しさや温かさが人間には必要だと感じることが多くなってきました。
 自分自身が勇気を失いかけている時には誰かの優しさや温かさで励まされ、誰かの歌で元気づけられていることに気付きます。ですから自分もこの先、情熱ばかりではなく、誰かを勇気づけられるような優しい温かさを持って行きていきたいとつくづく思うのです。
 とにかく、「人を好きでいてください」。メーカーでの医薬品開発、研究、営業、大学での教育現場、行政、卸、薬局、病院などどのシーンに居ようとも、人を好きな薬剤師でいて欲しいです。
 人が好きな薬剤師が開発する薬、人が好きな薬剤師が行う薬事行政、人が好きなMRが説明する医薬品、人が好きな教授のいる薬学部、そして人が好きな薬剤師が行う服薬指導。これらが基本になれば、きっと薬剤師職の未来は明るく楽しいものになるような気がします。きっと、患者さんの笑顔につながることでしょうから。
 患者さんの笑顔を引き出せるように、いつも心に太陽を持って、人を大好きな薬剤師に!