トップページ > 薬学と私 > 東洋サイエンス株式会社 代表取締役社長 齋藤秀夫 氏 「アジアの架け橋をめざし、研究・製造・マーケティングをサポート ~Making Science Growing Together~」

薬学と私 第21回

 遺伝子スクリーニングから人臨床までの受託研究、新化合物を中心に35,000種以上の実績がある受託製造、需要創造が中心のマーケティングと貿易。これが当社の業務です。扱う分野は、ヒューマンケア(医薬・化粧品・健康食品・畜水産等)とファインケミカル(自動車・色素増感型太陽電池、燃料電池、プラスチック、接着剤、電子等)の専門素材が中心。薬や薬事以外の有機、無機、免疫、微生物、栄養学、高分子、電子等の知識が必要ですが、これら多岐分野に参入できたのは、やはり薬学のおかげです。

 巨大ダムやビルの設計技師にあこがれ、磨製石器、弥生土器、国分寺跡での綿布模様の瓦等を見つけて興奮していた日本の歴史が大好き人間。本との出会いでその範囲は、世界の歴史・文化・風土へと広がり、株や投資等の経済活動にもあこがれました。しかし、高2の時に一つ間違えば生きていなかった交通事故に遭遇。包帯と投薬の中、たまたま薬のTVコマーシャルが目に留まり、「永遠に必要な仕事」と解し、薬学に進路を決定。大学では、空手部に籍を置き、自分の仕事探しで薬局を皮切りに工場、ビアホール、ファストフード、訪販、バーテンダー等を体験。結局、海外旅行をきっかけに海外で多分野に従事する商社を知り、恩師の紹介で中堅の総合商社に勤務。

 入社2年目の84年、イラクとの戦争下のテヘランに駐在。英語だけでなく、ペルシャ語ができないと身動きが取れないイランは戒律の厳しいシーア派国家。高射砲の轟音と殉死を恐れない革命防衛隊の銃と向きあう毎日。緊張の中、政府高官との必需品の応札商談は、暗号や隠語を使ったテレックスや電話交渉もあり、さながら山﨑豊子著・「不毛地帯」。戦争特需により巨大な輸液需要、兵士が前線で使える釘型簡易注射、人口維持に必須な巨体な粉ミルク需要、前線と残留家族に欠かせない鶏肉製造を支えた巨大な鶏用抗生物質、戦時下でも女性には必須な化粧品等、戦時下ではどんな需要が旺盛なのかを知りました。また制癌剤や糖尿病関連の新薬で絆を築いたイランのMDは、ドイツや米国留学をした最高レベルの方々。当時GDP世界第9位、誇り高きペルシャ人は、商人・バザリアン文化もあり、その交渉術・英語力・知力には、大いに学ばせてもらいました。しかし、結婚式で一時帰国して間もなく、テヘラン市内が爆撃の嵐に。トルコ経由で日本人全員が急遽脱出することになり、駐在は断念。脱出劇はNHKのプロジェクトXでも紹介されておりました。

 以後、東南アジアを中心に畜水産飼料、食品、健康食品、化粧品等の非薬分野の新規需要開拓に従事。ワインの発酵粕を抗生物質の賦形剤に使い、肉厚で割れにくい卵となる用途開発。アジア最大財閥や現地最高学府と組み、エビ餌の基本処方をゼロから開発。生菌剤をエビに初めて処方し、抗ウイルス効果、免疫賦活効果等を実証・学術発表をしたり、死化した生菌剤でも生菌剤に負けない免疫賦活作用と成長効果を実証し、新たな需要創造に。

 またOTCの栄養ドリンクの粉末有用成分に重曹を処方、袋入粉末栄養飲料を開発。発泡で自然溶解するこの粉末製剤は、各社にて製品化され、数年後に大ヒット。今はほとんどの原料が中国製ですが、年間、約300億円の売上規模に成長している製品もあります。

 「治療」より今後は「予防」が来ると考え、診断薬輸出を企画立案し、当時のトップ企業と交渉。賛同してくれたインドネシア大学付属病院の勤務医が起業していただき、その後さらに化粧品の需要創造にも協力していただき、今では巨大化した同国のメークアップ化粧品の成長に大きなお手伝いができました。

 これらの非薬分野の需要創造は、新分野の学ぶ楽しみ、共に苦労し共に成長するという当社のモットー、Making Science Growing Togetherへとつながりました。

 プラザ合意の85年、為替は180円台になり、日本の輸出は大きく減少。しかし需要創造した新素材は、円高下でも成長し、「先端素材は円高に強い」ことを学ぶことができました。総合より専門性を求められる時代になり、商社も総合の看板を下ろし、専門商社へとシフト。ジェネラリストからスペシャリスト、輸出も汎用型から先端素材へ時代が大きく変化。

 87年、上司の独立に伴い、起業に参加。そして95年、アジアの架け橋を目指し、最先端素材を中心とした輸出入商社を創業。輸出地域はトルコを含むアジア全体、対象エリアの総人口は世界の半分以上となりました。

 また冷戦を支えた旧共産圏の国立アカデミーは民営化が加速、ロシア・東欧を中心とした最高技術陣と提携し、新規化合物を中心に受託製造を開始。今は中国・インド・北米・東欧の4極の受託製造拠点があります。

 さらにサービスとして無償提供していた臨床試験や各種試験は、フランス・タイ・チェコ・タイ・インドネシア・インド等と提携し、遺伝子スクリーニングから基礎試験・人臨床試験までの、受託研究事業を開始しました。

 どこまで「既知」で、どこから「未知」。どこまで「可」で、どこから「困難」・「不可」か。研究テーマを探す際の所作は、仕事においても有用なステップです。「未知」「困難」「不可」な部分を、「迅速性・経済性・簡易性」等のキーワードをかけ、求められる新たなビジネス・モデルやシーズを「仮定」していきます。その仮定力は専門家を納得させられる技術力、池上彰的「わかりやすい説明力」が必要です。「薬学」は最も幅広い科目を履修する学問の一つであり、広範囲の知識はあらゆる可能性に大いに役立つものです。英語と組み合わせることで、その舞台はさらに広がり、日本を再び活性化してくれる新たな人材になってもらえれば幸いです。