トップページ > 薬学と私 > フレゼニウスカービジャパン株式会社 薬事・品質保証部 シニアマネージャー 白川光政 氏 「その薬は病気の人にどのように働いているか?」

薬学と私 第19回

小学生の頃レントゲン検査で肺門に影がみられ、当時は初期結核の疑いという診断で、頻繁に病院へ通い、いろんな検査やストレプトマイシン注射などを受けました。水泳や過激な運動は医師から制限され、運動会や体育の時間には先生から見学を指示されたりして、淋しい思いをしたこともあります。
その後何十年もしてから、医学専門誌を読んでいて、次のような記事を見てびっくりしました。幼少時に肺門に影がみられるのは実は感染ではなく、アレルギーの一種であり、自然に直るものであるというのです。医学および健康保険の進歩によって自分は結核から救われたと思っていたのが、実はそうした安静措置や薬剤投与は必要のなかったことが、その後の医学の進歩によって解明されたわけです。
医学部では自立までに6年以上かかりますし、化学を中心とした自然科学にも興味があり、両方を学べそうということで薬学を選びました。
今は薬学部も6年制になり、臨床現場も必修となりましたが、当時は大学薬学部では正常な動物での作用をみることしかできず、その薬が病気の人にどのように働いているかについては学ぶすべがありませんでした。そこで、医学部の臨床講義を聴講したり、薬剤師補助のアルバイトをしたりしました。
臨床医学の講義や医師の話で学んだことは、患者ひとりひとりの訴えを虚心坦懐に聴き、患者が示す様々なサインを丁寧に見ていくことの大切さでした。
今は患者自らが体験した病状や経過を語り、現在の治療の問題点や望む治療について訴えた声が公開されており、そこには第三者的な観察では気づけない真実があります。

私自身は主に製薬企業で、新薬開発業務に携わってきました。 まずは動物実験でみられた様々な所見を丁寧に観察、評価します。 これらの所見が人でどのように現れるか、実験動物と人とをつなぐ明確な「橋」はまだ見つかっていません。猿が遺伝的には最も近くても、その所見が近似するともいえません。
自分が作成した臨床試験計画で、動物実験で炎症を抑える物質をリウマチの患者に使って、指の腫れが見事に消えたということを担当の医師から聞いて、うれしい限りでしたが、こんな経験もあります。
某大学の学生さんたちにボランティアになってもらって、ある抗生物質を注射して血中濃度を測定しました。しばらくしてその学生さんたちを訪問した時にこんなことを言われました。「白川さん、自分たちあの試験が終わってから、軽く一杯飲みに行ったんだけど、みんな少し気分が悪くなっちゃって、吐いてしまった者もいる。」
運動クラブの仲間だったけれど、意外と神経質な連中だったのかなと思っていたところ、その後アメリカでの臨床試験で、この抗生物質にアンタブース(ジスルフィラム)作用があることが分かりました。この物質の側鎖にアセトアルデヒドデヒドロゲナーゼを阻害する作用があり、アセトアルデヒドが体内に蓄積することが動物実験で証明されました。
また、海外では多くの人に安全に使われていた薬を日本に導入する際に行った薬理試験データを丹念に見ると、大量投与で心臓抑制が認められ、稀に起こる重大な副作用を予知していました。
動物実験で血管をゆっくり広げる作用を示した薬物を見出し、それが現在1日1回投与で使われる降圧剤となりましたが、猿では血管収縮作用はなかったのに、人では血圧を上昇させた薬物も経験しました。

薬学を学んだ後、多くの方は以下のいずれかの道を歩むことになります。
1)研究/教育を続ける
2)医療機関のスタッフになる
3)企業に勤める
4)公務員になる
5)自分で起業する
こうした道の幾つかを生涯に経験できることが望ましいのですが、日本ではなかなかむずかしく、私の場合も3)の企業勤務からはみ出ることができず、定年退職後も外資系の製薬企業に雇用されて仕事を続けています。
企業に勤める場合には、利益をあげるという中心的目的のために、各人が組織で求められる役割を果たすことを要求されます。そうした中で、必ずしも自分がやりたい分野の、やりたい種類の仕事が与えられるとは限りません。
私自身は企業内のそうした制限の中で、「その薬が病気の人にどのように働いているか」ということを、何とか毎日の与えられた仕事の中で位置づけられるよう努力しました。また休日や勤務終了後には、基礎的なテキストを読み、関連する勉強会を探して参加しました。そうした気持ちを継続していれば、いつかは希望する仕事に出会えます。
企業に勤めると、利益向上に直接つながることには周囲の支持を得られやすいのですが、「必要な薬を提供する」というプロフェッションを失ってしまいますと、その後の生きる道を迷う恐れがあります。これはどの分野の道に進んでも共通のことと思います。

多くのMRと同行しましたが、担当する製品を正しく理解し、適切に伝えていた方の多くは、文科系出身者でした。薬学出身の方は、覚えた知識や用語がそのまま使えることで、自身で内容を十分咀嚼できていないと思うことがあります。
日本だけだと思うのです、理科系、文科系といって垣根を作ってしまうのは。
病気の人をみる、ということでは、自然科学も、人文/社会科学も変わりません。
自然科学にも限界があり、人文/社会科学の叡智で補っていくしかありません。医薬の世界ではレギュラトリーサイエンスという概念が進められてきましたが、原子力/放射線問題については解決の方向を示せていません。
英語は大切ですが、英語が話せればより高い仕事につけることは、外資系企業に関わらず、限界があります。
薬を病気の人に使って、新たにみられた効果や副作用を英語で伝えることは、英和/和英辞典ではできません。その内容や医学背景をまず自分の言葉で正しく理解し、その日本語に最も匹敵する英語表現を使わないことには、正確なコミュニケーションはできません。
そのためには、日頃から日本語及び英語の専門誌に目を通して用語の意味や表現に慣れ、また日本の文化や社会制度を理解していることも必要です。
大きな組織に正規採用され、それが永続して定年まで勤め上げ、年金をもらえる、そういうことはもう維持できない状況になりつつあります。
震災により多くの産業が縮小を余儀なくされた中で、医薬産業は何とか雇用と利益を維持しています。幸いに医療関係は、これから益々ニーズが広がり、日本の強みを生かして発展が望まれている分野です。
所属する組織の慣習に従うのみでなく、仕事の基本を理解し、どこでも通用するような仕事のしかたを常に心がけて下さい。